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政治
ついにとどめを刺される「全学連」 東大の自治会が引き起こす社会運動史上の大事件とは
2012.05.24(木)
代々木 小夜
「全学連(全日本学生自治会総連合)」という名前には、2つの見方がある。かつて学生運動に身を投じた、60歳を超える人たちには善かれ悪しかれ大学時代を象徴する、学生運動の拠点。60歳から40歳くらいの人には、時代遅れの連中が左翼ごっこをする舞台程度にしか見ていない人が多いだろう。それより下の世代で知っているのは、いわゆる共産趣味者(左翼を観察する趣味の持ち主のこと)か、今なお残る(政治)活動家くらいではないだろうか。
現在5つある全学連の中で最大の規模を持つとされるのが、「民青系全学連」と呼ばれる全学連である。民青とは、正式名称は日本民主青年同盟といい、「日本共産党の導きを受ける」青年政治組織である。その民青が執行部で主導権をとるため、民青系と呼ばれる。その民青系全学連が近く解散する可能性が高くなってきた。
引導を渡すのは、「東京大学教養学部自治会」(通称「東C自治会」)だ。代々民青が執行部を掌握し、全学連を主導する役割を果たしてきた大学自治会である。それが今年4月、東C自治会執行部が全学連脱退を決議し、6月の代議員会で承認されれば全学連を脱退する。東C自治会の脱退は、民青系全学連にとどめを刺し、解散に追い込むと見られている。
財政面での破綻が確実な民青系全学連
民青系全学連が解散すると見られる根拠の第1は、「全寮連(全日本学生寮自治会連合)」解散と同様のパターンを踏襲しているからだ。
2006年3月、全寮連が解散した。全寮連は大学の寮自治会の連合体で、いわゆる民青系全学連と兄弟関係にあった組織である。解散理由は加盟寮の減少と役員不足で何の活動もできなくなったからである。
解散の1年ほど前に出されていた全寮連の文書によると、加盟寮は13自治寮。機関紙「みどりの旗」が廃刊になり、その後復活した機関紙「Green Eye"s」の発行部数は400部だった。
全学連の機関紙「祖学(祖国と学問のために)」も一度廃刊になり、コピー機で印刷する形で復活した。刷り部数は1000部以下、そのうち定期購読部数は150部以下で、賛助会員と呼ばれる全学連OBや共産党関係者の読者もいることから、学生の購読数はさらに少なくなる。
第2の根拠は、財政面での破綻が確実だからだ。
現在の民青系全学連で、実際に活動に参加している加盟自治会(共産党用語で「結集している」自治会)のある大学は8大学しかない。しかも民青が執行部を掌握しているのはそのうち2〜3大学に過ぎない そんな状況だからだろう。全学連加盟自治会は、全学連に「加盟分担金」と呼ばれる年会費を払うことになっているが、払わない自治会が多い。
今年の全学連の予算は加盟分担金収入357万円。東C自治会が脱退すると全学連の加盟分担金収入は200万円弱に減ってしまう。
東C自治会が脱退し、加盟分担金を払わなくなったら、全学連は事務所の家賃とコピー機の利用料も払えなくなり財政的に行き詰まる。
もちろん、共産党も以前から全学連の危機を認識しており、三鷹の本部事務所を引き払って経費を節約し、少ないカネを活動に振り向けようと考えていた。ところが、家賃がかからない新拠点を置く場所としていたのが東C自治会室だったというから、最後の生き残り策も断たれることになる。近隣とはいえ他の加盟自治会である東京学芸大や東京農工大に本部を移転させることはできない。見かけは民青が掌握しているように見えても、実際は民青が掌握していない自治会に、機密文書をどっさり持っている本部機能を渡すわけにはいかないからだ。
ネット上に蓄えられた全学連との闘争ノウハウ
第3の根拠は、ITの進展によって、全学連との闘争ノウハウがネット上で共有されるようになった。
過去に全学連加盟自治会が脱退活動を行ったのは一度や二度ではない。しかしそうした活動によって得られたノウハウは、後進に引き継がれることはなかった。全学連が加盟自治会の脱退を知っても、傘下の他の自治会に広く知らせない上に、脱退活動を行った学生が卒業してしまうとノウハウが残らないからだ。
しかし、東C自治会は、自分たちが何をどのように進めたのか、ツイッターで実況中継し、クラウドにある共有サービスに資料をアッブロードして、誰でも見られるようにしている。彼らが卒業しても、ノウハウはクラウド上に残る。
よって無党派学生が、全学連に結集している自治会を叩こうとするなら、ノウハウはネットから取れるようになった(参考:全学連脱退派と全学連中央執行委員の対話など)。
全学連を無理やり維持する、例えば代々木の日本共産党本部内に全学連本部を置くような、なりふり構わぬ禁じ手を使って存続させたとしよう。そんなことをしてもノウハウを蓄積した学生が反抗してきたら、民青が追い出される公算が極めて大きい。大学自治会に民青がいなくなり、「指導」ができなくなった全学連など、共産党には無用の長物でしかなくなる。
以上の根拠より、民青系全学連は今年中、遅くとも今年度中に活動停止に追い込まれ、解散するだろう。
最大の全学連が解散することの意味
民青系全学連の解散は、日本の社会運動史上最大級の大事件である。20代、30代の若い読者にはピンとこないと思われるので、簡単に全学連の歴史について触れておく。
大学自治会は、終戦後速やかに結成された学生による自治組織である。基本の部分は、地域の自治会や商店会やマンション管理組合などとそう変わらない。しかし大学自治会は、そうした一般的な自治会の仕事に加えて、結成当初から政治性を持っていた。
そうなったのは、終戦直後、ついこの間まで軍国主義を正しいと言っていた教師たちが、8月15日を境にして「民主主義」を唱え始めた無節操に対する学生の反発があった。
そうした反発が最初に事件になったのは、1945年10月に茨城県水戸高校で発生した学生のストライキである。目的は、軍国主義者だった校長を罷免し、軍国主義教育にそぐわないとクビにされていた「進歩的教授」を復職させようとするものだった。学生運動と呼ばれる、学生の組織的政治闘争は、これが始まりである。
水戸高校の運動に触発されて、大学に自治会を作ろうとする機運が高まった。1946年5月、早稲田大学で日本最初の大学自治会が結成され、以後多くの大学で自治会が作られていく。結成のスピードはどこも早く、同年11月には大学自治会の全国組織として全学連が結成される。
裏には、当時のエリートだった大学生を党の支配下に置きたいと考えた日本共産党がいた。そうした経緯から当初全学連は日本共産党に従順であったが、共産党と学生の路線対立から全学連は徐々に共産党の路線から外れていく。
この頃の全学連は、国民世論を二分するような政治的大事件が起こると、必ずと言っていいほど大きな影響力を発揮していた。現在、反原発運動が盛り上がっているが、多くの反原発運動家たちが「自分たちの運動を先導していくのは全学連だろう」と考えるくらいの影響力が当時はあった。国際的にも“Zengakuren”は、日本の将来を左右するファクターの1つとして知られていた。
ところが日米安保条約の是非を巡って政府と反対派が争った安保闘争が終わった1961年、第17回全学連大会において全学連は分裂し、その後も紆余曲折を経て、現在、新左翼系の4派と、日本共産党がなおも支配下に置く民青系全学連の計5つが存在している。
日本赤軍の起こしたあさま山荘事件や、東アジア反日武装戦線の三菱重工本社爆破事件、中核・革マル派など新左翼セクトの「内ゲバ」と呼ばれる殺し合いなどによって、学生運動に対する国民の評価と期待は地に墜ちる。そんな中でも民青系全学連は、少なくとも80年代以降、他の全学連より1桁多い加盟自治会を持つ、最も大きな全学連であった。
そうなった理由は、民青が他の新左翼系と違い、暴力革命路線を取らず、比較的穏健な組織だと思われていたからだ(実際はゲバルト部隊を保有していたこともある)。
21世紀に入った頃から法政大学などの大学当局が新左翼党派を学内から追い出す圧力をかけ続けているが、こうした経緯があるため、今も民青だけはこうした圧力を受けていない。そんな全学連が消滅するということは、学生運動の歴史が終わることを意味する。
叛旗を翻したリーダーに聞く
東C自治会の話題に戻ろう。東大教養学部では以前から東C自治会の運営において、加盟している民青系全学連の影響が強すぎると不満が渦巻いていた。そのため近年では2010年、代議員から自治会の解散提案まで出されている。
全学連に問題がないとは言わないが自治会の解散までは必要ないとして、この提案は否決された。だが、日本共産党と民青に対する不満はなくなったわけではない。そして今年3月、東C自治会の常任委員会が全学連からの脱退を決議したのである。
全学連、そして日本共産党は驚愕した。代々民青が掌握していた、全学連の中核と言える東C自治会で、ついこの間まで民青として活動していた者たちが大量に離脱し、反民青・反共産党となって脱退決議が行われたからである。
しかもそのリーダーは、東C自治会の委員長で全学連中央執行委員を務め、近い将来全学連委員長にと期待されていた人物だった。
筆者は、全学連脱退運動の仕掛け人となった何ろく(か・ろく)氏(東京大学教養学部3年、前自治会委員長)にインタビューを行った。叛旗を翻した何ろく氏は一体何を目指しているのか。
「何ろく」は本名で、山口県出身だが、国籍は中国である。規約上日本共産党や民青同盟に入るには日本国籍が必要であるため、彼は党員にも民青にもなれない。しかし高校在学中に共産党支持者となり、大学に入ってからは「党の会議に出ない」以外は、共産党と共に活動していた筋金入りだ。
東大入試日に民青と関わり、合格して東京に出てきた直後から新歓のビラをまいていた御仁である。東C自治会の活動にも熱心に取り組み、先に挙げた学生から出された東C自治会解散提案も、必死になって抑え込もうとした。日本共産党が学生の意向に反した、党の論理で介入を行うことにも、まったく疑問を持たなかった。
そんな何氏を「反民青」「反共産党」にさせたものは、2011年7月に行われた日本共産党の3中総決定(第3回中央委員会総会決定)という文書である。新聞が売れない時代に赤字脱却を目指して機関紙「しんぶん赤旗」を値上げするなどの「現実離れした空想的な内容」に衝撃を受けて、「党中央委員会は正気なのか」と疑うきっかけになった。
そして9月には日本共産党・民青に対する強烈な違和感を感じ始める。東C自治会は、第一に東大教養部学生の代表であり、優先されるのは党ではなく学生である。にもかかわらず、それまで受け入れてきた全学連の指導という名の自治会への介入が、あまりに学生の意向を無視している。そして何氏は確信した。「これはカルトだ」と。
党から出られない恐怖感を克服
質問してみる。「大学入学時に、すでに民青のビラを配っていたわけですよね? それから1年半、民青・共産党の活動にどっぷり浸かっておられたわけですが、どうしてそれまでカルトだと気がつかなかったんですか?」
何氏は一瞬返答に窮したが、すぐ立ち直って概略以下のように答えてくれた。
共産党の主張は形式的には正しい。そして党員は批判されることに対する「運命論的拒否」を持っている。運命論的拒否とは、共産党は迫害される運命にあるとして、批判を忌避する姿勢を言う。
大政党や大企業に逆らうわけだから、彼らの意を酌んだ反共攻撃があるのは当たり前である。それだけ我々は権力から脅威として恐れられているのだから、誹謗中傷されるのを誇りに思うべきだ・・・共産党員は、そんな“教育”を受けている。
だから、党外からの共産党批判が幼稚なものであるなら、論破できる自信を持つ共産党員は悠然と構えている。
しかし、共産党批判をする人には高い知性を持つ人も少なくない。共産趣味者に至っては不破哲三や志位和夫よりマルクス、レーニン、グラムシ、ネグリらの著作を読みこなすような人がごろごろしているのだ。
共産党が選挙で見せる独善的な姿勢を改めれば共産党はもっと伸びるくらいのことを言う人は、もっと多い。そうした批判は党員も「一定の理」があると分かっている。しかし、党がそうした批判を受け入れないのも分かっている。だから認めるのが怖くて、心ある批判も拒絶してしまうのだ。
加えて「居場所性」も大きい。党活動を本格的にやると党活動で1日が潰れてしまうほど忙しくなるため、時間的に党内でしか人間関係が築けないようになってしまう。党外に出れば孤立無援となる恐怖感から、おかしいと思っても党から出ていけなくなる。彼自身、党から出ることによる孤立の恐怖を克服するのに3カ月を要したという。確かにこれは「カルト」と言えるかもしれない。
「彼らは、私がこうして取材を受けたのも、まるで私がとんでもない極悪犯罪をしたかのように、口を極めて非難するでしょうね。批判拒否体質は本当に根深いですよ」
「共産党員・民青同盟員が、個人の立場で自治会運動に参加するのはいささかの問題もないと思うのです。だから今でも彼らとの付き合いは絶やしません。排除するのは学生の意向を無視した全学連・共産党の組織的な自治会支配で、民青排除ではないことは口を酸っぱくして言っておきたいですね」
孤立を覚悟し、党に逆らうと決心した何氏だが、全学連脱退の方針を決定した常任委員会では、出席常任委員全員が賛成した。この中にはもちろん民青同盟員・党員がいる。多くの民青たちも、以前からおかしいとは思っていたのである。
大学自治会は社会に発信できるのか
筆者は最も大事な部分、すなわち「大学自治会は、これからどうあるべきなのか」について聞いた。換言すれば、自治会は「高校生徒会の延長線上にある」べきなのか、それとも「高校生徒会とは別の性格を持つ」べきなのか。
現状の「大学自治会=党派に支配されている」イメージを払拭し、誰にでも開かれた自治会と認知されなければならない。そのためにも何氏は「高校生徒会の延長」になる「学生の目に見える事業」はしっかりやらなければならないと考えている。
しかし、「高校生徒会の延長」だけがあるべき姿かと問えば、答えはノーである。「社会に発信しない自治会はつまらない」というのが何氏の考えだ。
まだ形にはなっていないし、簡単にできるとも思っていないが、目指すものとして彼は「公共性の再評価」を挙げた。
東C自治会は、東京大学教養学部に属する学生の代表である。しかし、学生の総意ということで決議を上げても、学内では通用しても現状社会的な影響力を持たない。その上、学生のニーズも多様化しており全学生が一致できる論点も見つけにくい。
学生の意見が一致するであろう「学費値上げ反対」のようなテーマを扱うなら、まだやりやすい。「とにかく反対」ではなく、ドラッカーを片手に経営学的視点を持ちながら当局と交渉するようなことは、今でもできる。
しかし、そこから一皮剥けて、社会に影響力を及ぼせる大学自治会になるには、公共性についてこれまでとは違う発想で考えていかなければならないのではないか? 専門課程に上がった何氏は、今そんなことを考えている。
例えばマイノリティの問題を考えてみよう。男なのに自分は女だと確信している、性同一性障害を持つ学生が入学してきたとする。彼は女として女子用トイレや更衣室を使いたいが、大学は使わせてくれないといったトラブルが発生した。その時、彼は大学自治会に解決を要請するだろうか?
仮に、自治会が解決を要請されたら、自治会は彼の要求実現を「たった1人のわがまま」だとして拒否すべきなのか? 何氏は拒否すべきではないと考えるが、彼の要求に沿って大学を動かしたとして、その活動を社会にどう波及させていくのか?
これは、代々の大学自治会関係者の全てが直面してきたと言っても過言ではない、答えを見つけにくいテーマである。学生自治会の委員長は、たいてい1年任期で、留年しない前提なら、長くて2年しかできない。そんな短い期間で、この難題を突き破ることは不可能に近い。
公共性の再評価と新全学連の誕生
何氏に対する失礼を省みずに言えば、何氏も在学中にこの難題の答えは得られないだろうし、大学を卒業すれば大学とは違う世界が彼を迎えることになる。いつまでも自治会に関わっているわけにはいかない。
しかし、以前よりもこの壁は突破しやすくなっているのは確かだ。前述したように、ITの進展は、全国の学生自治会関係者に情報の共有を、それも世代を超えた共有をも可能にしているからだ。
科学は、常に先人の業績を踏み台にした後進が、先人を超えることで進歩してきた。有名な数学界の難題であった、フェルマーの最終定理も同様である。360年にも及ぶ先人の蓄積があったからこそ、ワイルズはこの難題を解くことができたのである。
「何ろくの最終定理」は、いつ解かれるのか? たぶん360年もかからない。現在の日本は、近いうちに終戦直後の価値観の崩壊に匹敵する精神の危機に陥る可能性がある。その時、「公共性」の定義は今とは違うことになるだろう。
そんな時、「公共性」はどんな価値観で形成されるのだろうか? それに応じて自治会のあるべき姿は違ってくるはずだ。これが何氏の言う「公共性の再評価」であり、それこそが未来のあるべき大学自治会像を規定する。
思い起こせば全学連も、終戦直後の価値観の崩壊をきっかけにして生まれた。全学連の崩壊も、戦後形成された「公共性」に対する価値観が変化するのについていけなかったからだとも言える。
ならば全学連の崩壊は、これまでとは全く違った「新全学連」結成の端緒になるかも知れない。
新全学連は事務所を持つとは限らない。本拠はクラウド上にあり、執行部すらないかもしれない。しかし、全国の自治会関係者が自分たちの経験やアイデアをネット上で共有し、それを他大学の誰かが、何年後かに活用し、新たなノウハウを付け足してクラウドにアップロードし、またそれを誰かが活用する。
場合によっては海外の大学自治会関係者が日本のノウハウを学んだり、日本人には考えられないノウハウを提供してくれるかもしれない。そうなれば、自治会運営のノウハウは、時空も国境も超えて伝わることになるのではないか。
そう言うと、何氏はこう答えた。
「お隣の韓国で学費値上げ反対の学生デモが起きたのはつい昨年のことです。大学1〜2年で学んだ韓国語を生かし、韓国の学生に話を聞きに行きたい。そう考えているところです。もちろん、その成果はウェブで共有できるといいですね」
安保闘争から50年、共産党では革命できない 60年安保オーラルヒストリー〜集中連載(その2) (2010.06.15)
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