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青木理氏「狂った牙 特別編」 「小沢裁判」検察はどこで誤ったのか 週刊ポスト 2012/06/01号
http://ameblo.jp/heiwabokenosanbutsu/entry-11257257453.html
週刊ポスト 2012/06/01号 :平和ボケの産物の大友涼介です。
元民主党代表の小沢一郎が政治資金規正法違反に問われた事件の公判は、さる4月26日に東京地裁が無罪判決を言い渡し、一区切りがついたかにみえた。強制起訴を議決した東京第5検察審査会(検審)の判断自体、東京地検特捜部の検事が捏造供述をちりばめてデッチ上げた捜査報告書に誤導された疑いが強い以上、極めて妥当な判断だったが、検察官役の指定弁護士は5月9日、控訴に踏み切り、公判は東京高裁での第二幕に舞台が移る。
一方、捏造報告書問題を調べている最高検は、作成者である元特捜検事田代政弘らについて人事上の処分にとどめ、刑事事件としての立件は見送ると伝えられている。大阪地検の証拠改竄では特捜部長まで逮捕したことを考えれば、ずいぶん大甘な対応に思えるが、それもむべなるかな、というべきかもしれない。捏造が田代の独断で行われたはずはなく、何が飛び出すか想像もつかぬパンドラの箱を開けられない、という判断に傾くのも当然だろう。
いずれにせよ、「巨悪を抉る正義の機関」などという特捜神話は地に堕ちた。本連載は、戦後間もない時期に産声を上げた特捜検察の源流にまで遡り、「正義の機関」という虚妄が最初から虚妄に過ぎなかったことを明らかにするが、ここで源流を辿る旅を一度休み、特別編として検察最高幹部OBの肉声を紹介したい。
本連載の執筆にあたり、私と本誌取材班は、検事総長や特捜部長経験者を含む幾人もの検察OBの元を訪ね歩いた。ある者は検察の行く末を案じ、ある者は自己反省を口にした。彼らへの取材を積み重ねると、特捜検察がなぜこれほどに病み、その病巣がどこにあったのか、おぼろに浮かび上がってくる。最初に紹介するのは2004年から06年まで検事総長を務めた松尾邦弘へのインタビューである。
■「謙虚さを欠くと暴走する」
東大法学部を卒業し、68年に検事任官した松尾は、少壮期に東京地検検事として連合赤軍事件などの重要公安事件を担当する一方、特捜部検事としてロッキード事件捜査にも最前線で携わった経歴を持つ。その後は法務省の要職や東京地検次席検事などを経て検事総長の座に上り詰めた。「赤レンガ派」と呼ばれる法務官僚派と、特捜部を軸とする「捜査現場派」、その双方の内実を知悉した検察トップだった。
東京港区の一等地に弁護士事務所を構える松尾を訪ねたのは5月2日。終始慎重な口調だった松尾は、しかし、実に興味深い話を聞かせてくれた。
青木:特捜検察での不祥事続発を元検事総長としてどう捉えていますか。
松尾:個人的にも責任を感じています。ああいう不祥事の芽みたいなものは、じっくり過去を振り返ると、ところどころにあったように思いますから・・・。
青木:というと?
松尾:大阪の件で名前の挙がっている人の中には、平たく言えば捜査手法が荒っぽいというか、一部から批判を受けたようなことがあった。そういった取り調べの仕方について、もう少し組織的に掘り下げて検察の姿勢を正すべきチャンスっていうのは、考えようによってはいくかあった。幹部として掘り下げる努力が足りなかったという意味で責任があると思っています。今度の捜査報告書問題も、(関わった検事の)名前を挙げると思い当たる人がいる。
青木:それは誰ですか。
松尾:名前は言いませんが、被疑者に多少乱暴なことをするとか、(被疑者が)五しか言わないのを十ぐらいに取りかねない、とかね・・・。
青木:なぜこれほどの歪みが特捜検察に生じたと思いますか。
松尾:一番の基本は、権力組織としての自覚の欠如っていうのかな。驕りというか、そういうものがある。いろんな事件をやって結果を残してきたという自負もあるかもしれないけれど、自負と裏腹の思い上がりっていうのが、なかったとは言えない。たとえば、事件の筋を考えて、調べてみたら違ってきた時に、無理矢理筋の方へ寄せてしまう。考え通りの結果を残せばいいという本末転倒した発想が自然と身についてしまう間違った体質というか、そういうものが幅を利かせるようになってしまった。
青木:つまり、組織的問題があったと。
松尾:私はそう思います。
予想外に率直な心情を吐露した松尾は、インタビューの最中、同じ台詞を何度も繰り返した。特捜検察の持つ権力はあまりにも強大過ぎるのではないか、と問い質した時のことである。
「その恐ろしさを特捜の総体としてもう一度再認識することだと思います。謙虚さを欠くと暴走する。謙虚さというものがないと、権力そのもののマイナス面が出てしまう。それだけの力を持っているから、謙虚さを人一倍持つべき組織なんです・・・」
謙虚であるべきだ。そんな台詞を繰り返しながら松尾は、机の上に置いた自分の手をじっと見つめていた。
■正義感と功名心の区別もつかない
もう一人、検事総長経験者として、但木敬一の話を紹介したい。やはり東大法学部を卒業して69年に検事任官した但木は、松尾の後任として06年から08年まで検事総長を務めている。総長就任まではほぼ一貫して法務省の要職のみを歴任しており、「赤レンガ派」の代表格といえる総長だった。
その但木は今、東京でも有数の法律事務所に籍を置き、いくつもの有力企業で監査役などに就いている。東京丸の内の一等地にそびえ立つ高層ビルにある事務所を訪ねると、眼下に東京駅などを見下ろすオフィスの応接室で長時間の取材に応じてくれた。
青木:最近の検察不祥事、まずは大阪の証拠改竄事件をどう考えますか。
但木:検察の文化に歪みが生じていて、考えられないような行動に彼(大阪地検特捜部の主任検事)を走らせたんじゃないか。その検察の風土、土壌を形成してきた一人として、私自身の責任も免れないと思っています。
青木:検察文化の歪みというと?
但木:大阪の事件(障害者向け郵便の不正事件)を見ると、検事が真実を解明するためではなく、調書をつくるために取り調べるようになっている。これはとんでもないことだと思う。非常に強大な権限を持つからこそ、絶対やってはならないことがいくつもある。それを冒してしまった。恥ずべき文化です」
青木:やはり組織的な問題だと?
但木:単に一人の個性とか、そういう問題ではない部分がある。私はむしろ、正義感の誤りがあったのではないか、と思っています。検察が陥りやすい『自分が正義だ』という思い上がりの問題があると思う。
青木:というと?
但木:検察、あるいは特捜検察というものが抱えている危険性みたいなものがある。世の注目を集めてメディアもたくさん報道し、いろいろな期待感を負ってしまうため、(事件の)筋書きを描く時、証拠から描くのではなく、こういう事件になれば優れた捜査と言われそうだというようなところに持っていってしまう危険性がある。
青木:独善的な正義に功名心も加わり、歪んだ捜査に突き進んでしまうと?
但木:功名心と正義感は紛らわしいし、彼らは自分たちが思う正義こそ世界の正義だと思いはじめ、小さな正義を潰しても大きな正義を獲得できればいいんだ、っていう間違いが出てきてしまう。内部的には、特捜検事に選ばれたことを名誉だと感じ、上司に言われた通りの調書を取らねばならないという、検事の良心よりもそちらの方にウエイトがいってしまうよな危険がある」
青木:捜査報告書の捏造問題は?
但木:若い人たちはものすごい功名心に走って、事件をどうしても起訴したいと思う。ところが、幹部が冷静に見るとダメだなっていうのがある。その時、若い人は腹の虫が治まらず、フラストレーションを解消したい。そしたら新しいツール(検審の強制起訴制度)ができた。もう彼らは正義感と功名心の区別はもつかない。だから・・・。そう疑えなくはないと思います。
これもまた、相当率直な告白だろう。つまり、独善的正義と功名心に憑かれた現場検事たちが、それを貫徹するため検審の起訴議決を誘発する暴挙へと突っ走った・・・そういった構図であり、恐らくはこれが報告書捏造問題の核心だろうと私も思う。そして但木も松尾と同じような台詞を口にした。
「本当に強大な権力を持っているんだっていうことを自覚しなくちゃいけない。恐れなくちゃいけない。間違えたら人を切ってしまうということを、検事はいつも頭の中においておかなくちゃいけないんです・・・。
■尊敬していた先輩は旅芸人
では、特捜の現場に身を投じてきたOBたちはどのように考えているのだろうか。3人目として紹介するのは、東京地検の元特捜部長石川達紘へのインタビューである。
中央大学法学部を卒業して65年に検事任官した石川は、東京地検特捜部に長く籍を置き、89年から91年まで特捜部長を務めた。部長時代には、ロッキード事件以来で久々となる中央政界をターゲットとした事件=撚糸工連事件を手がけ、その後も東京地検次席検事としてゼネコン汚職の捜査を指揮するなど、数々の疑獄事件で辣腕を振るっている。その石川の話である。
青木:相次ぐ不祥事をどう見ますか。
石川:僕らの時代とは状況が全然変わっているので、一体どうなっているのかっていうのが率直な気持ちです。僕自身の感じでは、一番上の指導者がしっかりしていないというか、きちんと事件を見ていない。
青木:つまり、上層部のガバナンス(統治)力に問題があったと。
石川:そう。ガバナンスをしっかりしていなかったと僕は思う。
青木:とはいえ、証拠改竄は・・・。
石川:有り得ない話だよ。
青木:報告書の捏造だって、起訴議決に誘導したわけでしょう。
石川:誘導したかどうか僕には断言できないけれど、(検察が)起訴できなかった根本は、(政治資金収支報告書に虚偽記載したとされる)4億円の原資を解明できなかったことにある。だから結局、政治資金規正法違反しか残らない。そんな形式犯で起訴できるかというと、できない。だいたい政治資金規正法違反の主体は会計責任者なんです。(小沢は)犯罪の主体となり得ない。そこに現場の方がじれったさを感じたんじゃないかと。
石川の言う「現場のじれったさ」という指摘は、但木らの見方と相通ずるものである。続けて石川の話。
青木:そもそも現場検事の捜査能力が低下し、それが無理な事件作りの要因になっているのではないか、と指摘する人もいます。
石川:そういう面はあるかもしれません。要するに世間知らずというか、泥にまみれていないというか、僕が非常に尊敬していた先輩なんて、旅芸人かなにかをやっていたという苦労人で、取り調べ能力はすごかった。人の心にグサッと入り込めるような精神力と説得力を持つ人がだんだん少なくなってきた。時代の趨勢で、ある程度はやむを得ないんでしょうが・・・。
青木:ところで特捜検察とは、どういう意味を持つ組織だと考えますか。
石川:それなりの意味を果たしてきたと思うね。ロッキード事件にしても、ゼネコン事件にしても、経済とか政治とか、改革へのトリガー(引き金)的な役割は果たしてきた。その意義は決して小さなものではない。
青木:政治や社会を変えてきたと?
石川:インパクトを与えた。別に意図したわけじゃないし、結果としてそういう役割を果たしてきた。ここが重要で、意図してやっては絶対にいけない。それに僕はいつも思ってきたんです。検察に消極ミスはあってはいいけど、積極ミスは絶対に許されないと。手を出さないことへの批判は甘んじて受けるが、積極的にやって間違えるのは絶対に許されない。検察が逮捕したり起訴したりすれば、その人はほとんど立ち直れない。それだけ大きな権力を持っている。僕らも事件をやっていてだんだん恐くなってくるんですよ。
青木:恐くなる?
石川:失敗が恐い。すごく慎重になる。
青木:では、小沢氏をめぐる事件は?
石川:積極ミスだと思います。
同じく東京地検特捜部長を93年から95年まで務めた宗像紀夫へのインタビューは、一部を本連載の第一回でも紹介したが、盛り込めなかった発言をいくつか抜粋したい。
ちなみに第一回に紹介した発言で宗像はこんな趣旨のことを語っている。
「特捜に恐いものはない。警察も、メディアも、政治家も、恐いものなんて何もない」と。その宗像は、やはり「謙虚さ」という台詞を口にしていた。
「謙虚さを持って一人ひとりがやらなきゃいけないのに、証拠物に手を付けたり、捜査報告書に虚偽を書いたり、まともじゃないと思う」
青木:だけど、強大な権力を持つ検察が暴走したら非常に危ない。
石川:危なっかしい。警察の捜査っていうのは検察がチェックできる。ところが検察が(捜査を)やったら、チェックする機関があるかっていうと、なかなかない。ノーチェックになっちゃう。
青木:誰にも止められないと。
石川:だからこそ、権力の濫用に気をつけなくちゃいけない。手掛ける事件は世の中を揺り動かし、政界を揺り動かし、内閣を潰しちゃったりすることもあるわけですから。
4人の大物検察OBの話は、それぞれに率直な心情の吐露であり、それだけに頷ける部分も多いものだった。もちろん、4人に対しても真正面からこう難ずることはできるだろう。
「あなたたちが現職幹部だった時に繰り広げた捜査には果たして歪みが生じていなかったのか」と。
だが、検察が前代未聞の批判に晒されている中でインタビューに応じ、それなりに率直な心情を吐露してくれた4人に、私はそうした非難を投げつけるつもりはない。いくらインタビューを申し込んでも逃げ回り、果てはまるで他人事かのように「今の人たちが頑張る話でしょう」と言い放った検事総長経験者すらいたのだから、むしろ4人の検察OBに敬意すら覚える。
そして最後にもう一人、特捜の捜査現場に長く身を投じてきた男へのインタビューを付け加えておく。これまでの4人とは異なり、検察組織を奈落の底に突き落とす契機をつくってしまった男・・・大阪地検特捜部の証拠改竄事件で逮捕・起訴され、一審判決では執行猶予付きながら有罪を言い渡された元大阪地検特捜部長の大坪弘道である。
■ある時期から傲慢になった
私が大坪に会ったのは5月8日、場所は大阪市内のホテルだった。約束の時刻ちょうどにスーツ姿で現れた大坪は、自らの存在を周囲の客に悟られぬよう気遣いつつ、意外なほど闊達な口調で取材に応じてくれた。
青木:大阪の証拠改竄事件に加え、東京では報告書捏造が発覚しました。どう受け止めてますか。
大坪:東京の話はコメントする立場にありません。ただ、双方とも根っこは同じ、検察の組織防衛だと思います。
青木:どういうことですか。
大坪:大阪の証拠改竄は大きな衝撃だったし、マスコミも大騒ぎしたから、このままでは組織が持たないという危機意識から、犯人隠避という無理筋で(私や副部長の佐賀元明を)切り捨てて組織防衛を図った。東京の報告書捏造は検察中枢で起きた上、報告を受けた者まで含めると、関わった人間が多過ぎる。だから立件せずに収束させることで組織防衛を図るんでしょう。
青木:大坪さんは特捜検察を「検察の牙」だと評しましたね。
大坪:これまで特捜が検察の牙として大きな役割を果たしてきた。強さ故に時としてそれが”狂った牙”となって暴走する可能性もあるから気をつけなければいけない。しかし、今この瞬間だって世の中では邪悪な不正義が行われていますよ。その事犯をなんとかしてくれという声が国民の希求として発生してくることって必ずある。特捜が弱体化して何もできなくなった時、誰がその責務を果たすのか。ただ手をこまねいて見ているしかない、鬱陶しい社会がこれから出現する。
青木:大阪の事件がその大きな要因となってしまったわけですよね。
大坪:私も予想すらしていなかったから衝撃的でしたが、結果的にあれから崩れ始めた。その点の責任の一端は私にあると思います。
青木:過ちはなぜ起きたのでしょう。
大坪:僕らは若い諸君には常に『謙虚になれ』って言ってきました。しかし、特捜のやることは常に善で正義だという雰囲気はあった。特捜部がどんどん花形になって、ある時期から傲慢になってしまったんでしょうね。僕も含めてね・・・。
強大な権力を行使する以上、徹底して謙虚であるべきだ。検察組織の頂点を極めた男たちも、特捜の最前線に身を投じてきた男たちも、そして検察を奈落の底に突き落としてしまった男も、一様に同じような台詞を口にした。それはそれで腑に落ちるところがあると思いつつ、そんな精神論で済まされてはたまらない、とも思う。
ことは国家の訴追機能を独占的に司る最強の権力機関=検察の根本的な有様に関わる問題である。上層部の統治力不足も確かにあったろうし、現場検事が独善的正義感に憑かれて暴走したのも重大問題には違いない。だが、そうした暴走を許してしまうシステム的な欠陥が特捜検察そのものに埋め込まれてはいなかったか。
それを明らかにするため、次号からは再び、特捜検察の源流を遡っていきたい。果たして特捜検察は今後も存置させるべきなのか。いや、検察組織のみならず、日本の刑事司法システムはどう改善されるべきなのか。特捜検察の源流を検証してみることで、そうした問いへの答えが必ず見えてくるはずである。(文中敬称略)
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