http://www.asyura2.com/12/senkyo130/msg/407.html
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江藤淳と小沢一郎が「共有するもの」―安全保障と憲法改正論 (ブログ『毒蛇山荘日記』)
http://www.asyura2.com/12/senkyo130/msg/393.html
の記事であるが、あけすけに言うと、山崎行太郎氏の言が鼻についた。
で、なぜ鼻についたのか考えてみたが、下記引用のような山崎氏の傾向に就いて鼻についたのだと思う。山崎行太郎氏は故江藤淳氏の影響が濃い方である。
『加藤典洋の論は、やはりどこかで江藤淳的な姿勢を引きずっている。つまり、行政レベルの目的限定的なエゴの調整機関(=国家・公)の問題と、自己同一性という個人を支える良心の問題(=私情・私)とを二重化し、またはどこかで結べるものと考えている節がある。筋を通そうとする姿勢は評価できるが、己の筋を通した結果、それが飽くまで“己の筋”である限りで、滅ぶなら、滅んでもいいという諦念(=外部への開け)をどこかで持ち合わせない限り、それは「公」を偽装した自己絶対化とほとんど変わらなくなる。』
日常茶飯事(2007-10-13)http://d.hatena.ne.jp/daily-komagome/20071013/p1
「自己同一性という個人を支える良心の問題(=私情・私)」を「行政レベルの目的限定的なエゴの調整機関(=国家・公)の問題」と「どこかで結べるものと」考えるのは、私はどうかと思う。
これは私の個人的な感覚なのだが、こうした感覚なので、阿修羅でのおまえらは小沢教で小沢信者かよいう批判には(荒らしID達の鸚鵡のような口真似は勿論批判ではないので除外)納得してしまうことが多い。
私の感覚に近い人が小沢支持者の多数だと思う。
昨今の政治状況で或る程度の情報を得て考えたら、ガチガチの既得特権者でもないかぎり小沢支持になるのはふつーと思う。
なので、たまに阿修羅でも、私は目覚めた目覚めない人には内面の良心の問題がある風な言を見ると、心情私情は分かる気がするが、苦笑してしまう。
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