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特捜部とか、その代行を務めようとする人々は、人を疑うのが専門のようだが、自分の生き方から他人を推し量るのであろうか?
自分とは違った生き方があるのを知っているのだろうか?
同じ日本人でも、金の計算に明け暮れているわけではない事も知るべきではないか?
特捜や検察官役弁護士やマスコミの記者たちの考えるのとは、全く違う生き方をする人たちが、小沢さん以外にもいる事を知ってもらいたいものだ!
「相互関係を尊重する哲学」
「こちらが信用することによって、信用される人間が生まれる。私は今日まで、ずっとこう思ってやってきた」。と本田宗一郎は言う。
「長年、自分の得意で好きな仕事に打ち込むため、わが家の金勘定や財産管理などの一切を他人に任せ放しだった。
第一線で会社を代表していた時代から今日まで、社印も実印も見たことがないというのは、本当の話である。
そういうことが得意で、きちんとやってくれる人を信用し、任せておいたほうが、私は私の生涯の時間を有効に使えるからである。
相互関係を尊重する哲学に支えられていれば、どうやらそれが可能になってくるのだ」と。『本田宗一郎“一日一話”』(PHP研究所より)
本田宗一郎は、自分は技術・製品開発に専念し、経理財務はもちろん、資金繰りや販売から会社の運営・管理など経営全般を、全て藤沢武夫に任せた。そして、本田は社長を退任するまで、ついぞ社長印を見たことは一度もなかったという。
検察と特捜検察官の代役である「三名の指定弁護士」は、その悪名高き論告求刑で、小沢被告が「政治資金収支報告書の作成、提出は秘書に任せていたと証言し、土地購入についても同じで、秘書に任せ、報告を受けていないと主張していた」事を疑い、有り得ないとした。
「(秘書から報告を受けていないとするのは)あまりに不自然な供述である」と決めつけた。
ついで、「『僕は任せた以上は、自分の判断でやれという風な主義の方ですので、たぶんそういう僕の気質とか考え方を知っていますので、事務的な部類の話はする必要はないという意識でいたと思います』」との小沢氏証言を読み上げた。
「検察官もその代役」も、本田宗一郎のように巨大な世界企業を創業した者が、出会ってすぐに意気投合した他人に実印もすべて預けっぱなしにしたなどいうことは信じられないだろう。 社会で生きるということは、人を信用し、人から信用されることである。
こういう本田氏や小沢氏のような生き方を理解できないので、「ありえない」「信じられない」すなわち「不自然である」、「共謀を隠蔽している」、「虚偽である」等々と続け、よって、有罪であり、「三年の禁固刑である」との詭弁で論告求刑の論理を組み立てる。
この「検察官代役」にとっては、日頃から、それぞれの事務所でのように、経理・会計事務の担当者を信用せずに、自分で夜な夜なソロバンを入れ直したり、「領収証の科目を変更してみたり」しながら「節税に励む」弁護士などの企業主が、「あるべき本来の、自然であり、誰にでも理解できる」唯―の姿のようである。
検察官代役は 弁護士失格、人間として欠格
「妄想の残滓」を嘘で塗り重ねてみても、真実は見える訳がなく、その行為者の嘘がはっきりするだけだ。
この「検察官代役」は、本来、「本業は弁護士」の人たちが、「検察官では、手心を加えて、起訴をしなかった」と疑われるので、「臨時に、検察官役」を務めるのが、「検察審査会法の指定」の趣旨の筈だ。
弁護士は、その使命が基本的人権の擁護と社会正義の実現にあることを自覚し、その使命の達成に努める(第一章基本倫理(使命の自覚)(弁護士職務基本規程 日弁連)
村本道夫、大室俊三、山本健一各弁護士は、弁護士資格を返上し、検察官に職業替えすべき。
「検察官役」の本分は「弁護士」であり、「臨時の検察官役」である事を忘れるべきではない。
検察官は、罪を証明し、法に照らして求刑をする。 弁護士は、罪を犯した者であっても、法に照らしその人権を守る。
ましてや、無実のものの無罪を証明し、その人権を守るのは、弁護士としてはもちろん、善良な市民としても当然の基本的義務である。
しかし、今回のように、検察官代役側が 無罪判決をえた者に対し、詭弁を弄して控訴をするようでは、弁護士失格は当然であるが、人間としても欠格者であろう。
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