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http://www.okinawatimes.co.jp/article/2012-05-20_33952/
瀬長亀次郎、未発表の原稿発見(沖縄タイムス)
2012年5月20日 09時51分
(9時間48分前に更新)
(写真)見つかった自筆の未発表原稿
米軍支配に抵抗し、復帰運動の闘士として知られる政治家、瀬長亀次郎さん(1907〜2001年)の未発表原稿が見つかった。沖縄戦から1953年の労働法成立まで、歴史の局面を生き生きと描写している。投獄された54年以降は日記を付けたが、それ以前は詳細な記録が残っておらず、遺族や研究家は「空白を埋める貴重な資料だ」と話す。(阿部岳)
原稿はB4判原稿用紙に自筆で75枚。次女の内村千尋さん(67)=那覇市=が、自宅の資料を整理していて見つけた。75年に共産党機関誌「前衛」向けに執筆したとみられるが、未完のままで掲載されていない。
まだ米軍が配給制を敷いていた48年、住民の初めての抵抗、所得税反対運動が起きた。瀬長さんは、集会での演説内容を記している。
「みんなが団結して納税を拒否したらどうなります? 佐敷村にある沖縄刑務所の収容能力は500人です。何万人という受刑者を収容するでかい刑務所ができるまで、懲役は無期延期ということになります」。聴衆は「爆笑の嵐」だったという。
53年1月、米軍工事関連企業のスト現場で、憲兵に拳銃を突き付けられた事件についても詳述。「おどしでなくやる気だなと思った」。多くの労働者が瀬長さんらの前に立ちはだかり、無事だった。
沖縄戦では、豊見城村(当時)我那覇にあった自宅の「床の間の上等の部屋」を日本軍将校に使われたこと、日本軍不敗を信じる父の説得に時間がかかり、米軍が本島に上陸する前日の45年3月31日になって、やっと北部に出発したことを記す。
父の足跡を調査している内村さんは「初めて知ることばかり。日記は人民党事件で投獄された54年からだし、事件の家宅捜索で資料が持っていかれてしまって、53年までは記録が少ない」と説明する。
戦後史研究家の仲本和彦さんは「大きな流れは回想録に簡単に書かれているが、非常に詳しい記述で貴重な資料だ」と話している。
[ことば]
瀬長亀次郎 1947年の沖縄人民党(現共産党県委員会)設立の中心メンバーで、後に委員長。米軍に弾圧され、54年の人民党事件で逮捕、投獄。釈放された56年には那覇市長に当選するが、追放される。衆院議員7期。「カメさん」の愛称で住民に幅広い人気があった。
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「しんぶん赤旗」 2012.05.20 日刊紙 14面
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【関連サイト・記事】
カメジロー沖縄の青春(予告編)
http://youtu.be/4ie42CPZhPg
その時歴史が動いた「忘れられた島の闘い 〜沖縄返還への軌跡〜」
(2007年8月1日放映 2012年5月6日再放映)
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