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2012-05-20 :(山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記』)
小沢調査会と江藤淳。実は、江藤淳は「小沢調査会」のメンバーでもあった。竹下内閣時代の朝食会「政治改革に関する有識者会議」で、当時、官房副長官だった小沢一郎と江藤淳は、しばしば同席し、「政治改革」について議論していた。この会合の他に、「小沢調査会」でも学識経験者として同席し、憲法問題や安全保障問題について議論している。江藤淳は、小沢一郎という政治家の資質も才能も知り尽くた上で、政治家・小沢一郎を絶賛し、擁護し、期待していたのである。
竹下内閣時代の朝食会「政治改革に関する有識者会議」は、当時、政界を巻き込んで大事件に発展しつつあったリクルート汚職(事件)のようなスキャンダルがが起きるのは、単に政治家や経営者個人の問題ではなく、いつでも起こりうる構造的な問題だという観点から、現在(当時)の中選挙区制の選挙制度の再検討をはじめとして、政治資金規正法、公職選挙法などの抜本的改革を行うことによって、政治改革の基礎を整えたいという、竹下首相の発案で開かれたものであった。竹下内閣は、結局、リクルート事件の余波で潰れて、この朝食会も打ち切られることになるわけだが、この朝食会における小沢一郎の様子を、江藤淳はこう書いている。
私は、竹下内閣の最末期に政治改革に関する有識者会議のメンバーだった。首相官邸の朝食会で前後8回、政治改革を論じたのだが、当初改革の必要性をいい出したのはほかならぬ竹下さん自身だった。/時の官房長官は小渕恵三さんで、副長官は小沢一郎。竹下さんは一度を除いて精勤し、小渕、小沢両氏は常に出席していた。竹下さんの提起した政治改革は、政治資金制の改革と、とくに選挙制度の改革。(中略)だが、当時この改革の必要性を一番深刻に考えていたのは、小沢さんだったのではなかろうか。竹下さんはリクルートで潰れてしまったけれど、竹下さんの提起した政治改革をやらなければだめだ。早い話が、カネがかかって次の選挙は打てない、と。
(江藤淳「竹下VS小沢「平成自民党戦国史」の読み方」SAPIO1992/11/26)
竹下首相の発案で始まった会議だったが、はたして竹下首相に改革を断行する意志があったかどうかは疑わしい。政治改革論議を隠れ蓑にして、竹下政権が追い込まれつつあったリクルート政局を乗り切ろうとしただけかもしれない。少なくとも江藤淳は、そう考えていた。しかし、江藤淳は、小沢一郎はそうではないと言いたいのである。これを読むまでもなく、江藤淳は、「小沢一郎には政策がない」などとは、少しも考えていないと言うことが出来る。むしろ、小沢一郎という政治家は、稀に見る「政策優先型」の政治家、しかも実行力をも、つまり「政策実現能力」をも兼ね備えた政治家だと考えていた。江藤淳も出席した二つの勉強会の成果が、小沢一郎の手によって、賛否は分かれるかもしれないが、やがて「小選挙区制」への選挙制度改革と、憲法改正や安全保障問題としての湾岸戦争問題の処理というかたちで結実することになる。
江藤淳は、「それでも『小沢』に期待する」でも、この「朝食会」ににおける小沢一郎の様子について、さらに詳しく書いている。
私の関から見て竹下さんの左隣に座ったのが小渕恵三官房長官。右隣に座っていたのが石原信雄官房副長官で、その隣に座り、私のちょうどテーブルを隔てた向こう側にいたのが小沢一郎官房副長官でした。彼は、この会議にすべて出席し、終始一言も喋らなかった。腕を組んで瞑目して、しばしば天井を仰ぐ。居眠りをしているのかとと思うとパッと目を見開いて聴いている。もちろん何かメモが回ってきた時に頷いて返すというようなことはあったけれども、無言のままニコリともせず、我々のの議論をじっと聴いていた。(中略)しかしこの懇談会の精髄を吸い取り、選挙の神様を自認している竹下氏の問題意識を、現実に政策化するためにどうすべきかと、じっと天井を見つめながら小沢氏は考えていたのではないか。
(江藤淳は、「それでも『小沢』に期待する」「諸君!」)
その後の歴史が実証するように、あるいは江藤淳が予想したように、小沢一郎が、この朝食会での議論を、目をつむりつつも、じっくりと聴き、いつか具体的に政治改革として実行しなければならないと考えていたことは明らかである。「小沢一郎は権力を手に入れたいだけで、政策など考えていない・・・」というようなマスコミや反小沢派の政治家たちから流れてくる「小沢情報」は完全に間違っていると言わなければならない。むしろ「政策論」や「政治哲学」がないのは、テレビや新聞の「政治記者」たちを中心とするマスコミ、ジャーナリズムの方であり、反小沢派の政治家たちの方であると言って間違いない。
「政治とカネ」という目線で見れば、この世は万事、「カネ」の世界に見えてくるし、「色と欲」の目線で見れば、この世は万事、「色と欲」の世界にしか見えてこない。小沢一郎を「政治とカネ」や「色と欲」の視点からしか「バッシング報道」するしかないマスコミやジャーナリズムに棲息する面々こそ、「政治とカネ」「色と欲」の世界にドップリとつかり、まみれている連中なのである。
当時から現在の「小沢一郎バッシング報道」まで、マスコミやジャーナリズムに棲息する「政治記者」や「新聞記者上がりの政治評論家」たちの実態は、何も変わっていないのである。しかしながら、少なくとも、この頃、政治評論の分野で、中心的な存在として活躍していた文藝評論家・江藤淳の眼には、小沢一郎という政治家は、「政策優先型」の政治家として、しかも「政策実現能力」をも兼ね備えた政治家として見えていたことは確かであろう。
それが、「それでも『小沢』に期待する」という、かなり過激な言葉になったのであろうと思われる。その後、江藤淳と小沢一郎の身の上には、簡単に言い尽くせないような人間ドラマとしての有為転変があったが、しかし、小沢一郎は、江藤淳の「期待」を裏切ったことはないと言っていい。江藤淳は、1999年、鎌倉の自宅の浴槽で、手首を切って「自死」したわけだが、もし生きていて、現在の小沢一郎を見たら、何と言って批評するであろうか。
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元記事リンク:http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/
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