http://www.asyura2.com/12/senkyo130/msg/358.html
Tweet |
http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/51981589.html
<議事録(公文書)の重大価値>
公文書管理法をご存知だろうか。正確には「公文書等の管理に関する法律」。2009年7月1日公布、2011年4月1日に施行されている。3・11直後の菅内閣の原子力災害対策本部の議事録未作成が発覚して波紋を投げかけたことをお忘れか。最近では原子炉再稼働に関する野田内閣の、関係閣僚会議の議事録も作られていないことも判明。史上空前の原発事件に対する、政府の政策決定過程が隠ぺいされる日本を放置することは、民主主義の否定を意味する。議事録作成は、民間を含めたあらゆる組織にも重要・不可欠な行為である。
<公文書管理法>
都合の悪いことは記録に残さない。専制独裁国の日本を改めて知らしめた事件なのだ。許されていいわけがない。菅内閣も野田内閣も、民主主義の根幹を突き崩している。国民共有の知的資源を作成しなかった罪は重い。
世界史上最悪の原発大惨事の政府対応を記録しない。そそくさと原発再稼働を決めた過程を、日本国民は知らない。後世の研究者、未来に生きる日本国民も、その政策決定のプロセスを知ることが出来ない。民主的な国ではない証拠となろう。
公文書管理法は2009年7月1日に公布されているのである。1945年ではない。日本の立ち遅れを裏付けている。同法の存在を菅内閣は承知していた。菅内閣の官房長官だった枝野幸男は、2009年立法化の過程で福田自民党政府案に修正を加えるという重要な役割を果たしていたのだから。議事録未作成は民主主義の根幹を崩壊させることに、野党時代の彼は危機感を抱いて修正している。それでいて3・11直後の、政府方針の中枢である原子力災害対策本部の議事録を作成しなかった重要人物となっていた。意図的に作成しなかったのだ。
日本国民に対する重大な犯罪である。このことが発覚した後に、原発再稼働問題が起きた。これについて首相・野田も経済産業大臣の枝野もよく認識していたのだが、それにもかかわらず、またしても議事録を作成しなかったのである。この一事をもってしても、菅も野田も首相失格なのだ。法律家としての枝野の罪は重大である。
公文書について、瀬畑源著「公文書を使うー公文書管理制度と歴史研究」(青弓社)に詳しい。
<民主主義の根幹>
公文書管理制度の立ち遅れは、民主主義の理解度の低さを露呈して余りある。政府がこのレベルだから、民間の重要会議の記録・議事録もいい加減なもので、たとえ作成されても執行部の都合のよい内容に書き換えられて保存されるのが通例である。
こうした悪しき対応は明らかに間違いである。いかなる事由・場面でも、それは正確に記録、後世に過去の姿を率直に伝え、貢献するものでなければならない。悪しき判断を2度と繰り返さないために。繰り返すが、その点で議事録・公文書は民主主義の根幹なのである。
ゆえに菅・野田内閣の罪は万死に値する。
4月12日に日本記者クラブで行われた瀬畑会見によると、日本の不可解な対応は、明治政府から、である。「明治憲法は各省庁任せ。そこでは、必要のないものは捨てる。保存しない。不思議と人事記録と結論だけは残す。肝心のプロセスは消してしまう」というものだった。
「明治以来の日本の歴史・政治研究は不正確」なのである。記録がない。わずかな人物の回顧録、関係者の証言のみで、歴史文献が作成されてきた。お粗末な日本の正体は、公文書不存在が根底にある。正しい歴史が後世に残ることはないのだ。
敗戦時の軍閥政府の最優先課題は、証拠の隠滅だった。特に海外の悪しき記録を消滅することに必死だった。中国・ハルビンの731部隊の最後にもこれは当てはまる。過去を消すことで、再び同じ過ちを繰り返す日本なのだ。
重大なことは、公文書・議事録に対する政府・官僚のこうしたおぞましい態度は「戦後も変わっていない」。それが民間の組織にも。天皇・官僚の直接統治は、戦後は間接統治に変わっただけで、官僚体質に変化は起きなかった。無責任・無節操な為政者の戦後を物語っている。日本の民度を象徴している。
日本民主主義を充実させるという学問・ジャーナリズムさえも、未だこれらのことを表面化させていない。思考停止は驚くべきことであろう。
<国民共有の知的資源>
全ての情報を与党自民党と官僚のみが独占する社会が、これまでの日本なのだった。「おかしい」という議論、運動が表面化したのは、70年代半ばからである。情報公開を求める市民運動だ。
これに前向きに対応しようとしたのが、なんと日中国交回復を田中内閣の外相として実現した大平正芳の内閣だった。河野洋平率いる新自由クラブの主張でもあった。だが、大平は台湾派との党内抗争による過労で命を奪われて頓挫。
情報公開法は村山内閣の下で実現(1999年)した。だが、肝心の公文書がない、という事態が表面化する。「情報公開を求めても公文書がない」ということに関係者は仰天させられる。そのはずで、不都合なものは皆廃棄されていたからである。
議事録・公文書は政府・役人のものではない。国民共有の知的資源なのである。こうした観念が与党と官僚になかったことが、改めて認識させられるのである。戦後の重大な事件・政策決定過程もまた、廃棄されてきたのである。おぞましい日本は戦後も続いてきた。
著者の瀬畑は天皇研究をして、情報公開を求めても出てこない記録、大量に廃棄される公文書に気付かされる。それが公文書管理制度不在の日本をなくしたい、という思いに駆られたという。
<福田康夫の決断>
時あたかも公文書の重要性に気付いた政治家が現れた。福田康夫である。父親の赳夫にはA級戦犯容疑者の岸信介(安倍晋三の祖父)がまとわりついていたのだが、息子の方は小泉内閣官房長官に就任すると、リベラル派の宮澤喜一に薫陶を受けるなど小泉のような右翼路線を踏襲しなかった。
それどころか公文書法の制定に向かって走り出していた。この時の様子を筆者は知らなかった。彼が公文書の重要性に気付いたのは父親の秘書をした時である。地元・群馬県の前橋市の歴史を知ろうとして訪米、米公文書館で資料を請求すると、なんと10分間で手にすることが出来た。
日本に国会図書館はあるが、米公文書館のような機関が存在しない日本に愕然としたという。その思いを官房長官として前進させたのだ。有識者会議を立ち上げ、報告書をまとめ上げさせたのだ。
福田は首相になると、2008年2月、上川陽子を公文書管理担当大臣に就任させて法律制定を急がせた。既に消えた年金問題など公文書のずさんな扱いが表面化していた。翌年に閣議決定すると、2009年6月に修正を加えて成立させた。快挙である。
どうやら、これが福田内閣の一大成果といえるのではないか。2011年4月に施行された公文書管理法は、各省庁統一の文書管理規則を制定させ、政策決定過程文書の作成義務を高らかに謳っている。
<野田・菅の重大責任>
野田・菅内閣はこれに違反したのだ。先月、上川が所属する自民党古賀派(宏池会)の集いで名刺交換した彼女に「なぜ違反者を罰則で縛らなかったのか」と問いかけてみた。「その議論はあった」とコメントした。
民主主義の根幹・国民共有の知的資源である議事録を作成しなかった首相に対して、内閣不信任もしくは問責決議で対応する義務を野党は課されている。官僚が主導する日本独特の官僚政治下の公文書管理法という、予想外の環境下に現在も置かれているのだから。
霞が関からの離脱という民意を、永田町は重大・深刻に受け止める義務を有している。
議事録作成は「国民のため」である。緊急時の記録こそ重要なのだ。「その姿勢が菅内閣になかった。大飯原発再稼働に踏み切った4大臣の重要会議、そのプロセスを国民は知る権利がある」と瀬畑も力説する。「国民生活第一」を公約した民主党政権が、それを破っているのである。
<メディアの覚醒>
著者は「公文書管理法は民主主義の根幹を支える立法、国民の知る権利を保障する立法、従って違反者に対して罰則を加える改正が必要である。なぜなら国民の生命・財産を保障する大事な立法だからである」と指摘する。全くである。
国民の生命財産を危うくするような為政者の行為は、問われなければならないだろう。
行ったことが無いが、日本にも国立公文書館は完成している。しかし、人材不足は否めない。利権あさりに熱心な自治体レベルでは、30県にこれが設置されているが、市町村レベルはまだ手がついていない。議事録を残すことが、為政者らの、公的な仕事をする関係者の重要な義務なのだ、という認識がまるで不足している。
そのためには、まずメディアが覚醒しなければならない。「秘密保全法案に興味を示す野田内閣」を、瀬畑は「公文書管理法が理解出来ていない」と斬って捨てる。事実であるのであれば論外だ。官僚におんぶに抱っこされる政権を印象付けている。
「国民・市民のため」という観念が希薄なのである。
これら悪弊を破壊するメディアの覚醒が、いま何よりも重要であろう。著者の叫びでもあった。これが社会変革の根本なのである。確かNHKは議事録未作成を報道したものの、その追及姿勢に問題があった。甘すぎる公共放送なのだ。ことの重大性認識が甘いNHKだったからである。不甲斐ない野党の対応にも、これが伝染した。かくして国民の覚醒は生まれない。こんな悪循環の日本丸で良いわけがないだろう。
2012年5月20日10時05分記
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK130掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。