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朝日新聞特報部の久木良太記者が「小沢氏事件 証拠こそ裁判のすべて」と明快に正論を述べている
http://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken/e/22eba784c4e086d187fd2dd779d639f6
2012年05月19日 03時22分44秒 板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」
◆朝日新聞が5月18日付け朝刊「オピニオン面」(12面)の「記者有論」欄で、特別報道部の久木良太記者が事件・裁判取材者の立場から「小沢氏事件 証拠こそ裁判のすべて」とタイトルで、「暗黒人民裁判」に対する見解を述べている。あくまでも、「刑事事件の裁判」のあり方を厳密に捉えた実に明快な文章であり、感心する。
「刑事事件」というのは、刑法が規定している指導形相としての犯罪構成要件に照らして、客観的な証拠を付き合わせて、犯罪事実を証明することが求められている。そこに、被告人に対する個人的感情をさし挟んではならない。
久木良太記者は、ここのところをしっかりと踏まえたうえで、見解を述べていて、正しい。以下、肝心な部分を引用しておこう。
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「『民意』による起訴であっても、刑事裁判は証拠がすべてであり、無罪という結果は尊重すべきだ。道義的・政治的な責任は国会の場やメディアが追及すれば足り、刑事責任と混同してはならない。控訴に踏み切った指定弁護士が今後、小沢氏本人に結びつく新たな動機を立証できなければ、控訴審でも有罪判決を得るのは難しいと思う」
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つまり、小沢一郎元代表を嫌う政治家、大半のマスメディア、あるいは、物事を好き嫌いで判断する一般国民は、久木良太記者が述べているように、刑事事件と道義的、政治的な責任を混同している。言い方は下品だが、「ミソクソ一緒に」してはならないということだ。
そうでなければ、フランス革命の時に民衆が、適正な手続きによる公正な裁判にもかけずに、王党派をギロチンにかけていった悪夢をこの日本で再現することになる。検察審査会制度は、そんな危険性を孕んでいる。
◆しかし、それでも、法務省、最高検が、元東京地検特捜部の田代政弘検事(法務総合研究所教官)を嫌疑不十分で不起訴処分にした場合、「民意」を反映させる検察審査会の出番だ。虚偽の捜査報告書を作成し、東京第5検察審査会の審査員をまんまと騙した田代政弘検事を虚偽有印公文書作成・同行使容疑で告発した市民団体は、迷うことなく即時に、東京検察審査会に不起訴処分を不服として審査を申立て、東京検察審査会は、「強制起訴」議決すべきである。というのは、検事が虚偽の捜査報告書を作成したという事実は、「検察の冤罪体質」を証明するものに他ならないからである。無実を叫びながら、死刑台に送られて、絞首刑を執行された「冤罪被害者」は、ごまんといると言われている。そのことに思いを致すなら、田代政弘検事を公開法廷に引きずり出して、「検察の冤罪体質」を徹底解明し、弾劾することは絶対に必要である。
田代政弘検事の上司だった佐久間達哉検事(元東京地検特捜部長、現・法務総合研究所)ら数人の検事も、やはり市民団体に告発されており、不起訴処分が決まったならば、こちらも即時、不起訴処分を不服として審査を申立て、東京検察審査会は、「強制起訴」議決すべきである。この刑事裁判では、「検察官一体の原則」に基づく「検察の組織犯罪」を暴くべきである。こうした国家の犯罪を弾劾するには、検察審査会は、極めて有効である。
◆小沢一郎元代表の「暗黒人民裁判」とは直接関係があるわけではないけれど、ガジェット通信が5月14日午後2時20分、「椎名桔平主演で、復讐と理性の意味を問う貫井徳郎の代表作をドラマ化」と題して、以下のように配信している。
「テレビ朝日系では、貫井徳郎の代表作『灰色の虹』を椎名桔平主演でスペシャルドラマ化し、5月19日(午後9:00)に同名タイトルで放送する。冤罪と復讐をテーマにした重厚なミステリーで、椎名は『やっと骨太な人間ドラマがめぐってきた』と、並々ならぬ意欲で撮影に臨んだ。7年前のある殺人事件に関わった弁護士、刑事、検事が相次いで殺害される。捜査に当たった刑事・山名(椎名)は、7年前の事件の犯人で、刑期を終えたばかりの青年・江木(塚本高史)の行方を追う。やがて、7年前の事件が冤罪で、それによって全てを失った江木の悲しみが浮き彫りになる。そして実は、山名自身も5年前に婚約者を惨殺されており、犯人への憎悪を抱いていた。山名は自らの過去と復讐心にさいなまれながらも捜査を進め、やがて思いもよらない現実と対峙する。『山名は復讐劇を展開する江木に自分の姿を重ね合わせますが、刑事としてこれ以上罪を重ねさせるわけにもいかないので、非常に複雑でした』と、百戦錬磨の椎名も今回の難役には苦労を強いられたが、『うまくやれたと思うし、山名があそこまで江木に同調したからこそ、一連の事件は終わりを迎えることができた』とやり切った。そして物語は、印象的な結末を迎える。『そこから、人というのはどんなに大きな傷を負っても必ず再生できるということを見出してほしい』と熱く語る」
原作がいかに小説であるとはいえ、冤罪事件にかかわった弁護士、刑事、検事が相次いで殺害されるというテーマ設定は、いまの時代、極めて現実味がある。それだけに裁判官は、事件の真実解明に重い責任が課せられている。膨大な事件を抱えて、多忙を極めるあまり、機械的に事件処理を繰り返していると、自ら冤罪に加担することにもなりかねないからである。
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