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<変わらない沖縄、それでも>
5月15日が沖縄返還40周年に当たる。沖縄は日米両軍がもっとも激しく死闘を繰り返した場所である。そこでは無辜の民を多数自害させた。「捕虜になるなら自ら命を絶て」と厳命したのだ。世界に例を見ない、天皇制国家主義のもっとも恐ろしい掟である。それから40年、沖縄は平和の島に回復したろうか。NOだ。何も変わっていない。だが、それでも変わる。
新緑が目にしみる季節である。3・11放射能汚染も、毎年繰り返される自然の変化には勝てない?新緑の季節は今年も巡ってきた。ウグイスのさえずりを耳にしながらの、畑の雑草取りは40年前と変わらない。
それでも悪い変化には気付かされる。たとえば燕が農村から消えている。原因は農薬農業のお陰だが、最近NHKは「建物に原因がある」というウソを公然と報道していた。公共放送までも財閥企業に屈しているのだ。
それは沖縄報道についても言えるだろう。沖縄に変化は起きていない。余談だが、自宅の梅が沢山落ちていた。原因は不明。放射能でないことを祈りたいものだ。
<日米同盟の不条理>
新緑に浸りながら、40年目の5・15返還を考えると、この国の空しさばかりが先行してくる。愚か過ぎる日本人に反吐が出る。無能・無責任・無節操に地団太踏むしかない。だが、それでも。
思えば72年に首都圏紙・東京タイムズの政治部に所属した。佐藤内閣末期である。7・7に田中内閣が発足、3カ月後に日中国交正常化が実現した。90年までの18年間、自民党派閥政治を取材してきた。連日、永田町を徘徊、特に首相官邸・自民党本部・派閥実力者の動向を追い掛けてきたのだが、それはそれで幸運なことだった。しかし沖縄も変わらない。日中関係も複雑怪奇なままだ。
間に日米同盟がどっしりと座って、双方をコントロールしている。ワシントンに操られる日本を象徴している。それに気付かない日本人、そしてジャーナリズムである。
ワシントンに服従する・屈する日本に変化が見られない。ワシントンの不条理に屈する日米同盟に言論界が貢献している。お話にならない。
筆者が政治部長になった時の鈴木内閣では、日米同盟を口走った伊東正義外相が更迭された。ことほど日米同盟は、不見識を露呈する表現だったが、続く中曽根内閣でこれが当たり前に使用されるようになった。霞が関の官僚用語を極右内閣が拝借してしまったのだ。
最近では「日米同盟の深化」という言葉が、恥ずかしげもなく与野党が当たり前にさえずっている。日本精神の衰弱も極まっていまいか。属国どころか「属領だ」と決めつける論者の言い分に頷くほかない。天皇制をひけらかす右翼ほどワシントンにひれ伏して恥じない。
日本に返還された沖縄を、そのままそっくり米軍基地として使用、かつてはソ連封じに、現在は中国封じに軍事的機能強化に日米産軍体制が必死なのだ。おかしいではないか。
<不甲斐ない為政者>
本来、まともな為政者であれば恥ずかしくて、沖縄の式典に顔を出せないだろう。しかし、タヌキ首相は出向いた。
「米軍基地を撤去させます」といえば、多少なりとも意味があろう。演説では、そうした片燐さえ感じさせなかった。ワシントンの属領・属僚でしかなかった。これが独立した民主国の総理大臣というのである。
父親はワシントンの産軍体制が戦後発足させた自衛隊の隊員だった、そのせいなのか。
これに一言も「おかしい」という論評がない。ジャーナリズムの死は、日本精神をも殺してしまっている。そうではないのか。
<不甲斐ない沖縄県民>
為政者がこのレベルである。比例して沖縄県民も心が腐ってしまっている。だいたい土建屋上がりの代表を永田町に送り込んでいる土地柄なのだから。
知事といっても、小ダヌキか狐なのであろう。「沖縄を平和の島にしたい」という挨拶さえしなかった。
ことあれば「金をくれ」である。永田町と霞が関は、血税をせっせと沖縄に運んだ。今年は借用証しかないのに、タヌキは狐に巨費を持ち込んだ。これに狐は感謝する始末で、米軍も基地もいらない、とは叫ぼうとしなかった。これにもマスコミは正常に評論しなかった。
<不甲斐ない日本人>
埴生の宿で一服しながら、書棚にあった「日本官僚制の研究」(辻清明著・東京大学出版会)を引っ張り出して開いてみた。
そこに“5・15事件から太平洋戦争に至る、いわゆる暗黒時代を、その当初から東京駐在のアメリカ大使グルーの著名な日記「滞日10年」に近衛新体制を次のように評している”とあった。
すなわち「全国が天皇への忠誠に結ばれ、全ての政党がないのである。政治犯人収容所はまだないが、警察と憲兵は新体制の原理を犯すものをやっつけるのに多忙を極めている」と。
グルーのいう天皇を、ワシントン・CIAと言い換えると、どうだろうか。いまも通用する言葉ではないか。対米自立派の小沢一郎や鳩山由紀夫は、検察に狙われて当然だろう。しかし、それも長くは続かない。
<対米自立派台頭が時代の潮流>
CIAの暴走は、共和党大統領指名争いに出馬している下院議員のロン・ポールによってさえも「廃止する」と公約していることからも理解出来る。CIAへの法外な予算措置もままならなくなっているワシントン財政だ。CIAの金に頼っていた各国の悪しき組織・団体・人物は、おいおい生存権を失ってゆくだろう。アメリカ市民の多くはCIAを擁護してはいない。世界から嫌われている。イラク・アフガン・グワンタナモだけではない。
既に、屈米派の守護神・検察の不正が暴露、国民の信頼を失っている。
対米自立派は、近いうちに服従派・屈米派にとって変わるだろう。時代の趨勢である。鳩山の普天間公約は死んではいない。生きている。ここにきて覚醒した沖縄県民が多数を占めている。
対米自立派のアジア重視・脱官僚・反10%消費税・反TPP・反脱原発は天の声・民意である。メディアの一角も崩れてきている。中曽根・ナベツネの暴走も間もなく止まるだろう。
川は流れ、季節は変わり、地球は回ってじっとしていない。屈米派の時代は終わりが見えてきている。勇気を出そう。今がその時である。
2012年5月17日6時50分記
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