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鳩山を非難する論調が目立つ しかし、彼の言葉が日米安保・沖縄問題を提起した
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2012年05月17日 世相を斬る あいば達也
鳩山由紀夫元総理は総理在任中に、「できれば海外に、最低でも県外に移設したい」と普天間基地移設に関わる移転先について言及した。現実には、自分自身の閣僚や外務防衛の官僚組織や安保マフィア族によって、敢えなく頓挫し、表向きは、その責任をとって政権を8カ月で放棄した。日米同盟を食い物にする種族の完全勝利だった。
しかし、この鳩山由紀夫の発言は、米国に服従する事が、すなわち日本の安全保障そのものだと云う時代遅れの観念論であり、日本の首相が初めて公然とアメリカに盾を突いたものである点は、それなりの評価が必要である。野党である自公等々が、“鳩山の所為で、普天間飛行場は固定化されてしまった”と云う非難は筋違いも甚だしい。
自民党自身が、結果的に1995年の沖縄米兵少女暴行事件により、普天間移転を1996年から7年以内を目標とした。2002年自公政権により、2002年に辺野古付近への移設を計画したが、地元の激しい抵抗に遭い、計画は棚上げ状態になっていた。2004年には、沖縄国際大学ヘリ墜落事故が起き、普天間移設は日米安保の喫緊の課題となった。その後、米軍の再編問題も絡み、2006年に2014年までに代替施設を建設、移転させるというロードマップが出来あがったが、一切進んでいなかった。つまり、自民党は計画を勝手に立案しただけで、実行する事は毛ほども出来ていなかった。
ロードマップが出来ていたから、鳩山の発言さえなければ実現したと云うのは単なる方便にしか過ぎない。鳩山の発言には“東アジア共同体構想”が念頭にあっただろうし、米国本体の財政事情からの海外展開基地の大幅見直しも考慮に入った上での発言であったろう。現実に辺野古代替案は存在したのだろうが、自らの閣僚の非協力、官僚及び安保マフィアの激しい抵抗で頓挫したとみるのが妥当だろう。
この問題の真実追求は、今後の歴史的検証、特に米国の情報開示期間を過ぎた時点までは憶測の範囲になってしまう。それよりも、筆者は、ひ弱な理想主義総理の実直な立場は、例えドジを踏んだとしても、高く評価している。今回の沖縄復帰40周年の式典に出席する為、退任後初めて訪れた鳩山は、式典に先立ち、普天間基地を抱える宜野湾市で講演を行った。その中で、「総理大臣在任中に『できれば海外に、最低でも県外に移設したい』という気持ちを何度も申し上げた。しかし、自分の思いが先に立ちすぎて、多くの方々を十分説得できず、かえって 県民にご迷惑をおかけしていることを申し訳なく思い、心からおわび申し上げる」と陳謝した。
このような状況において、野中広務のパフォーマンス罵倒やマスメディアの鳩山バッシング、身内の岡田副総理までがバッシングと火だるま状態の鳩山由紀夫だが、沖縄の普天間移設待望組みも、辺野古移設反対組も総じて鳩山由紀夫に好意的である事実は報道からネグレットされている。このネグレットの事実こそが、日米安保における沖縄基地問題を浮き彫りにしていると言って過言ではない。この点を明確に知る意味で岡留氏のコラムは一読に値する。
≪ 5月某日 沖縄は復帰40年でフィバーともいえる報道やイベントが連日のように行われた。特に復帰40周年の5月15日には、東京からも大手メディアが大挙して押しかけてきた。40年復帰記念式典には野田総理以下の政府要人が自衛隊機チャーター機で参加した。しかし、沖縄は復帰して40年、米軍基地はほとんど微動だにしていない。72年の「本土復帰」以降も、沖縄から海兵隊が(米国本土に兵隊が送られ訓練を経た後、戦地の送られる場合もある)ベトナム、イラクやアフガンにも飛び立った。沖縄の平和・反戦運動の裏側では、米国による殺戮の軍隊の拠点だったという事実も忘れてはなるまい。
72年の「本土復帰」は、基地のない平和な島という県民の悲願とは程遠い「核抜き本土並み」という虚構のイベントだったのだ。返還に関する密約を取り交わし、日本国民や沖縄県 民を騙す背信行為だったのだ。核、生物細菌兵器、枯葉剤などが復帰した沖縄に持ち込まれた疑惑は公然とささやかれてきたのに、いまだに国家機密として公表されていない。その事実を疑う材料には事欠かないにもかかわらず、だ。日本には米国並みの国家機密の公開を義務付ける法律も官僚の抵抗で成立していない。とんでもない民主主義国家の内実なのだ。
5・15で、復帰式典に来賓として招待された鳩山由紀夫元総理に式典前に時間を取ってもらい、沖縄の有識者懇談会ともいうべき、内輪の懇談会を開いた。
喜納昌吉元参議院議員が鳩山氏に声をかけ、その人選と司会・進行は筆者が務めた。沖縄の新聞社幹部、大学教授、文化人、企業人ら20名程度で、鳩山氏が普天間基地の県外・国外移設を掲げたにも関わらず、その後挫折したいきさつ、普天間問題や民主党の現状を本人から直接聞こうという試みである。建前上はオフレコなので詳しくは書かないが(苦笑)、鳩山氏自身が「自分は政治家に向かない」と語るように、実直な人柄だった。なぜ、最初から県内移設で突っ走った北沢俊美氏を防衛大臣に起用したのか。米軍基地抑止論を言い始めたのは岡本行夫氏の影響ではないか。東アジア共同体を掲げたことで、米国から圧力を直に受けたことはないのか、などの真意を聞いた。鳩山氏は今でも普天間基地の県外移設は正しかったが、私の力が及ばなかったということを率直に詫びていた。
鳩山氏に対する大手メディアの論調は一様に批判的だが、少なくとも普天間基地の県外・国外移設を堂々と主張した総理は初めてである。今や、仲井真知事を含めて沖縄県民の8割が県外移設を主張しているが、その先鞭をつけたのは鳩山氏なのだ。鳩山氏はイラン訪問でもバッシングされたが、鳩山氏は民主党外交担当最高顧問という肩書で、米国が敵視するイランとの融和で動いただけのことである。日本はイランとは石油で大きな取引関係があるだけに、米国の道ずれでイランとの関係を断つよりもはるかに国益にかなうのではないのか。米国の意向を汲む政治家、官僚、メディアこそが鳩山叩きの元凶なのだ。
その日の夜は、インターネットTV「ニコニコ生動画」が沖縄にやってきて、ラジオ沖縄のスタジオから全国に放送された。復帰40年で、現地から沖縄問題を語ろうという画期的な試みだ。司会は角谷浩一氏(政治ジャーナリスト)で、ゲストは吉元政矩氏(大田県政時の副知事)、金平茂紀氏(TVキャスター)と筆者の三人。復帰40年を自分の目で見ようと沖縄にやって来ていた金平氏は、筆者が口説いて急遽実現した。当日の県と国が開催したコンベンションセンターの式典の模様を批判的に取り上げつつ、基地問題を語る。「ニコ生」にしては硬派すぎたかも知れないが。式典でもっとも印象的だったのは上原康助元衆議院議員 が来賓の野田総理やルース駐日大使を名指しで、沖縄の基地の現状を手厳しく訴えたこと。美辞麗句の式典が一挙に暗転したが、メディアの式典報道では上原発言はいずれも取り上げていなかった。翌日の新聞報道で驚いたのは式典に参加した野中広務元官房長官が式典で鏡割りに指名されて壇上に立った鳩山氏に対し、「沖縄県民に泥を塗ったような人が壇上に上がっていることは、腹わたが煮えくり返る思いだ」とコメントしていたことだ。自分が壇上に呼ばれなかったせいかもしれないが、沖縄をさんざんかき回した張本人に言われたくはない、と当方も代理でコメントしておこう。 ≫
(岡留安則の幻視鏡日記より)
http://www.uwashin.com/2004/indexdiary.html
現時点で言えることは、沖縄基地問題は米軍再編の影響を受ける他力本願な部分も多いのだが、自立し、自らの国を自ら守る精神の発芽如何では、米国との関係改善も可能な部分はあるだろう。要は日米同盟を食い物にする人種を見分け、彼らの影響を排除し得る権力の掌握を持った上で、戦略を立て、ドラスティックに展開していくのが、最善の方法なのだろう。当然同時並行的に、米・中・露との平和外交が行えるかも課題になる。とても難しい問題には違いない。結局は、盤石な基盤を持つ政権が誕生しない事には、埒はあかないと云うことだ。
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