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政治活動を縛りたい一心の控訴 小沢は意に介さず内閣総理大臣を勝ち取るべし!
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2012年05月10日 世相を斬る あいば達也
東京新聞の9日の社説の正論を、一日で覆すような指定弁護士による、控訴の決定だ。おそらく、一番喜んでいるのは、民主党の性格を捻じ曲げた陣営の連中だろう。なんとしても、小沢一郎を座敷牢から出させるわけにはいかない!と云う意思表示である。先ずは、件の東京新聞の社説を読んでおいていただこう。少なくとも、民主党国会議員はこの社説の意味を充分に咀嚼すべきである。
≪ 小沢氏処分解除 内紛を克服する契機に
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012050902000106.html
民主党が小沢一郎元代表の党員資格停止処分を解除した。政治資金規正法違反事件での一審無罪判決を受けた措置だ。「親小沢」対「反小沢」の内紛を克服し、政策実現に力を注ぐ契機としてほしい。
小沢氏が検察審査会の二度の議決により強制起訴されたのは昨年一月。翌二月に党常任幹事会が「判決確定までの間」の党員資格停止処分を決定した。
しかし、一審判決では検審が判断材料の中核とした捜査報告書が虚偽だったことが厳しく指弾されている。 判決確定までは推定無罪だとはいえ、検察の「誤導」による検審の判断により、有権者が選んだ国会議員の政治活動が一年以上にわたって事実上制限されたのを問題なしとは言い切れない。
見過ごせないのは、この間、野田佳彦首相が消費税率引き上げを柱とする社会保障と税の一体改革案を閣議決定し、その成立に政治生命を懸けると断言したことだ。
消費税増税に反対する有力議員の手足を縛り、その間に増税の流れをつくるようなやり方は、とても公正とは言えない。
輿石東党幹事長は判決確定前に処分解除を決める意味を「できるだけ早くこの問題に結論を出すことが大事な政治判断だと思った」と説明した。「親小沢」と「反小沢」勢力が激しく対立する党内の融和を図りたかったのだろう。
ただ、有権者の関心が党内融和ではなく、国民が政権を託した二〇〇九年衆院選で民主党が約束したマニフェストの実現にあることを忘れてもらっては 困る。
党が混乱しようがしまいが、政府や行政の徹底した無駄の削減や官僚主導から政治主導への転換などの約束を実現していれば、これほど民主党や内閣の支持率が下がることはなかった。
小沢氏は処分解除を受け、消費税増税に突っ走る野田首相らへの批判を強め、党内対立が激化する見通しだ。政策論争は大いに歓迎したいが、小沢氏との親疎に起因する不毛な内輪もめはもう終わりにしてほしい。
首相らには、小沢氏の言動を単なる権力闘争とはせず、政権交代の原点を想起させる忠告と受け止める謙虚さが必要だ。
民主党が政権を全うできる衆院議員の任期満了までまだ一年以上ある。残された期間に小沢氏をめぐる内紛を克服し、国民が期待した政策を一つでも多く実現できれば、民主党への評価は多少なりとも好転するに違いない。≫(東京新聞:9日社説)
もう民主党が政権交代時の政党に立ち戻る期間は1年間しか残されていない。否、1年も残されていると考えることも可能だ。更に、来年夏の総選挙に勝利すれば、更に4年間の猶予が与えられる。このことを、我々は肝に銘じるべきである。5年もあれば、霞が関改革、米中露の中間に位置する地勢的不利な状況を有利な地勢に替えることも可能なのである。霞が関改革と中国、ロシアとの外交は、日本の防衛を含む国際的立ち位置に、決定的影響を及ぼすことを理解しておく必要がある。
さて今回の暴挙とも云える、指定弁護士の陸山会事件控訴決定の判断だが、地裁判決に“重大な事実誤認”がある云う曖昧模糊とした表現だったが、実は何ひとつ確証があっての控訴でないことは歴然としている。本当に、事実誤認と言えるだけの瑕疵が判決に存在するなら、既に反小沢陣営やマスメディアからの反論がある筈である。つまり、何も確証はないけど、控訴ありきだったと云うことだ。
では何故、彼らは勿体ぶった行動で、待機児童のような真似をしたのだろうか?と云う問題がある。ネット上では、仙谷の毒まんじゅう炸裂に違いない、が主流のようだが、おそらく違うだろう。そんなチンケな仕組みによる、小沢封じ込めではないと、筆者は読んでいる。野田や仙谷や野中が動かせる問題ではないと認識した方が筋が通る。輿石が、控訴を念頭に、無理矢理“党員資格停止解除”を急いだ理由はその辺にある。
ジェラルド・カーティス(CIA日本政治情報提供者:コロンビア大学教授)が4月26日に、社団法人日本外国特派員協会での小沢一郎裁判に関する記者会見場の予約を早々に入れていた事でも察することが可能だが、この問題は米国発、東京地検特捜部の行動と云うパターンをなしている。思い出せば、立花隆がCIAからの情報を元に書いた文藝春秋の「田中角栄研究」の著書の中で金脈疑惑が起きた状況で、田中角栄は逃げも隠れもせず、この日本外国特派員協会主催のゲスト出演を承諾した。しかし、そこで待ち受けていたのは、仕込み済みの角栄バッシングで、日本の報道機関に金脈疑惑追及の流れが出来あがった。
今にして思えば、あきらかに日本の首相を謂われなき罪に陥れる壮大な罠だったわけだが、当時それを知ることは出来なかったようである。この会見を契機に、怒涛の如き田中角栄の金脈問題が追求されたが、陸山会事件同様、確たる証拠もなく、マスメディアの餌食になって行ったのである。角栄は結局、この壮大な罠に嵌り、3カ月後の12月に総辞職したのである。それから2年後、米国発のロッキード事件で航空機売り込みリベート疑惑が浮上、受託収賄・外為法違反などの罪で逮捕される至っている。
ロッキード事件はあまりにも複雑すぎ、田中角栄の犯罪を証明する何ものも存在せず、罪状だけが独り歩きする、奇怪な政治権力闘争であった事はたしかなようだ。ただ、明確なことは、米国発の犯罪の有無から起きた事件であり、今回の西松事件での疑惑の発端も、外国為替及び外国貿易法(外為法)違反になっている。この一私企業の外為違反から、壮大な小沢一郎にまつわる事件が始まったことを、我々は念頭に置くべきである。
ロッキード事件で主犯(中曽根康弘、福田赳夫、松野頼三ら?)が捕まらない喜悲劇が起きているのだが、米国を舞台に何かが起き、何かが権力闘争に利用される構図があったことは事実のようである。今回の小沢事件も発端は外為法違反であり、米国の影響が色濃く反映している疑惑を捨てるわけにはいかないのである。キッシンジャーが田中角栄ローキード事件では深く関与したようだが、今回も同氏の介在まで、疑えば切りがない。
このような観察の立場に立つと、もう日本の司法がどうのこうのと、口角泡を飛ばしても意味がないと云う見方も可能である。それこそ、日米を跨ぐ権力闘争なのではないだろうか。このような立場から、今回の指定弁護士の控訴決定を読み解くと、彼らは、仙谷などと云うチンケな政治家からの指示ではなく、海の向こうからの指示、或いは指示に付き纏う金銭の額の確認が重要事項であったとも考えられる。
まさに、驚くべき壮大な権力闘争だ。検察や法務省が、今回の控訴を喜ぶとは思えない。まったく迷惑の限りなのである。佐久間や大鶴、斎藤、木村ら関係検事の証人申請は何が何でも、避けたい問題である。また、最高裁事務総局にしても、実質的指揮下にある、裏金製造マシーンといわれる検察審査会の実態をほじくられる事は、それこそ何が何でも避けたいわけである。にも拘らず、控訴を決定した要因は、到底正義の実現とか、真実の追求など、綺麗事で済まされる意志決定ではなかったと推認できる。
国内で、誰も得をしない控訴を行う事で利益を得るのは、米国政府の“尻舐め犬”となった野田佳彦をサポートすると云う、米国の意志である可能性が高い。米国にしてみれば、田中角栄と同様に、日本の独立を目指した小沢一郎を何が何でも政権の座に就かせてはならないと云う強い意志を感じる。これは小沢がつくづく発言した「これは権力闘争だ」の発言が意味深いものになる。小沢は国内の権力闘争だけを指していない闘争を視野に闘う宣言をしたのだろう。今になって、小沢の権力闘争の意味をしみじみと感じた。
ただ、此処で大切なことは、興奮しない事である。論理的に土俵を峻別しておく必要があると云うことだ。まず絶対に忘れてならないのが、三権分立の建前だ。立法・行政・司法の土俵をわきまえておくべきだ。つまり、控訴により継続される上告審は司法の土俵である。三権の一つ司法で行われる事は、たとえ捜査機関の違法無法な捜査が為されたとしても、司法の世界の話だ。その中で、犯罪が起きていれば、その犯罪を究明すれば良いのである。勿論、国政調査権による秘密会の開催などは、立法府の権利なので、これを司法への介入と解すべきではなく、あくまで行政の一角を担う検察に対する究明を専らとすべきである。
それでは、当面の政治闘争は、どの範疇に入るのだろうか?此処が考えどころである。あきらかに言えることは、司法ではないと云うことだ。議院内閣制をとる我が国の統治制度においては、立法と行政は表裏一体なものになる。現状は、霞が関官僚による官僚内閣制が表面化しているが、行政はあくまで立法と表裏一体なものであるのが基本だ。どうも、現実が異なっているために、混乱を招きやすいが、官僚は単なる国民に使える公僕なのである。
日本における政治権力は米国の認証の下に行われている実態を基準に、我々も考えがちであるが、その点は厳に戒めるべきだろう。独立国であると標榜する限り、米国の認証は意味がない。今や落ち目の米国の世界戦略のために、日本の政権が盲目的に従う義務は一切ない。むしろ、米国からの独立と自らの足で立つ、自己責任の日本政治の確立が急務なのである。
筆者は、小沢一郎は、司法の土俵は有能な弘中弁護士に全面的に任せ、その多くの時間を、民主党の議員として政治活動に邁進すべきと考えるに至った。司法には司法の顔で望めばイイだけで、政治活動を躊躇する必要な完璧に皆無だ。野党が何を叫ぼうが馬耳東風で構わない。マスメディアがどれ程、説明責任を喧伝しようが意に介する義理はない。国家国民のために、政治生命をかけて、近々行われるであろう民主党代表選に勝利する事を宣言すべきである。そして、現実にそれを勝ち取る事である。
世界の潮流は小沢に順風が吹いている。米国及びIMF・世界銀行主導の緊縮財政へのノーなのである。意味なく緊縮の前にやるべきこと、増税の前にやるべきことがある。これが最大の味方だ。勿論、支持する国民も、ことのほか多いことも忘れず、政治生命を掛けて貰いたい。自分の信念を信じ、国民を信じて、最後の勝負に挑んで貰いたい。無罪を勝ち得た被告人でも問題はない。内閣総理大臣を必ず勝ち取ることが、小沢一郎の政治生命を継続させる最大の方法である。そして、その剛腕を、国家国民に捧げることが、小沢一郎に課せられた最大の天命なのである。 内閣総理大臣以上でも以下でも駄目だ、内閣総理大臣だ。鳩山の二の舞になるのは、もう勘弁して貰おう。
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