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民主党が小沢氏の「党員資格停止処分」を解除したことについて、大手マスコミは御不満のようだ。まず公党として「控訴」されるかもしれない国会議員への処分を解除するのは国民への信頼を裏切る、というのだ。何ともおかしな理屈もあるものだ。無罪判決を一審で受けた者に対して、なぜ「処分」解除が国民への信頼を裏切ることになるのか。
それは国民への信頼の裏切りではなく、小沢氏を政治の表舞台から追放しようと策動した検察と大手マスコミの「期待」を裏切ることかも知れないが、小沢氏の復権を願っている多くの国民の期待に沿うものだ。さらに「産経新聞」は「消費増税」に反対している小沢氏とその仲間は野田民主党政権の足枷になるだけではないか、なぜ「党員資格停止」のまま座敷牢へ押し籠めておかないのか、と疑問を呈している。
だが社会の公器たる自覚が「産経新聞社」にあれば、そんなバカな疑問を持たないはずだ。普段は「弱者」を切り捨ててはいけない、だとか、「少数意見」を切り捨ててはいけない、だとか述べている新聞社が、こと「消費増税」に関しては前のめりに「早くやっちまえ」と与野党をけしかけるのはマトモではない。
ことに貧困層に逆進性の強い消費税をデフレ下に増税しろとは新聞社が常日頃、口にしている「弱者」への配慮と、どのように整合するのだろうか。それとも「消費増税」に関しては精神分裂をきたしてでも「推進する」ということなのだろうか。
公党の中で深刻な意見の対立があるのはそれほど珍しいことではない。消費増税に関しては自民党の中でも意見が対立していると聞いている。それならガラガラポンで消費増税を軸に解党・再編してはどうかという評論も聞くが、簡単にそうならないのも政治の世界だ。
しかし党内に意見の対立があるのがそんなに悪いことだろうか。産経新聞は何を恐れているのだろうか。小沢氏が「無罪判決」を受けて党員資格停止処分が解除されると、産経新聞にとって何か都合の悪いことが起きるということなのだろうか。
そうした新聞社の思惑から政局を評するのは報道機関のありようとして良くない。報道機関としてはそれぞれの立場の論客を登場させて、国民に対立している両者の拠って立つ理論の根拠を国民の前で開示するのが役目ではないだろうか。それとも、産経新聞は明確に財務省の広報機関になり下がったと宣言するのなら良いだろう。
現在の路線を維持してもジャーナリストとしての良心を弊衣のように投げ捨てたと国民にも分かり易いだろう。この国の大手マスコミはトコトン「屑」になったと慨嘆する。自分たちがこの3年余も小沢氏に何をしでかして来たのか、深刻な反省もないまま、シレッとして小沢氏排除に奔走するとは見下げ果てた連中だ。
新聞社はネット人口がこの国に幾らか御存知ないのだろうか。平成22年で国民の78.2%実に9462万人がネットを利用している。その中でどのようなニュースが駆け巡っているか、ウォッチしていないとしたら怠慢の誹りを免れないだろう。
田中角栄氏を策動により政治的に抹殺できた時代と、平成24年は全く異なる時代になっている。田中角栄氏の死後にこっそりと「嘱託尋問調書」を最高裁は「証拠採用却下」として歴史に残る「事後法」と「米国の司法取引制度への配慮」という禁じ手を犯してまでも唯一の物証にデッチ上げて田中角栄氏を起訴した。
司法当局は田中角栄氏に「完全犯罪」を成立させたと確信しているかもしれないが、いつか法学者が丁寧に「田中角栄氏の事件」を検証して日本の司法当局が一体何をやったのか、日本の大手マスコミがこぞって何をやったのか、日本の法学教科書のすべてに掲げられ、この国の司法史上に語り継がれる大きな汚点として認識される日も来るだろう。それも近い未来に。
それと同じことを、いやそれ以上のことをこの国の司法当局と大手マスコミはこぞってしでかしたという深刻な反省もなく、小沢氏に関して「何を批判」するというのか。既に、大手マスコミはジャーナリズムとして死んでいる。死んだ似非ジャーナリストがゾンビとなって財務省の広報をがなりたてているだけだ。
嘘だと思うなら、心静かに鏡に自身の姿を映して自省してみると良い。余りの浅はかさに悔悟の念が胸を掻き毟らないとしたら、ゾンビ以下ということだ。
http://km2295.iza.ne.jp/blog/entry/2680992/
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