07. 2012年5月08日 05:29:59
: vrjuYkLamk
kibou101さんの投稿はすべて間違い。 <ロンドンで怠惰な生活を送りながら日本を思ふ>氏は愚か者。 アメリカのような貧困層が大勢いる超格差社会が理想なのだろうか。>福祉国家政策を推し進めざるを得なくなってしまうのかもしれない。 >行き着く先が国家の財政・倫理の両面からの崩壊であることは疑いの余地はない。 まるで高福祉が悪であるかのように決め付けているが、大きな間違い。 ■「福祉国家型最小国家」に関するやりとり http://togetter.com/li/157490 「シンプルな政府と大きな社会保障」が正解だ。 “鍵”は、ベーシックインカムや負の所得税(大人手当て)。 もっとも合理的なのは、利用者から見て極めて使い勝手が悪い官僚・公務員の裁量にもとづく無原則な社会保障を全廃し、 「負の所得税」のような非裁量的なルールで所得を再分配することだ。 負の所得税とは、課税最低限以下の低所得者に「マイナスの税金」つまり所得補償を行なう制度である。 たとえば年収300万円以下は非課税だとすると、いまの税制ではそれ以下の所得の人は税金を払わず、働けない人だけが生活保護を受ける。 これでは少しでも働くと生活保護が打ち切られるので、働くインセンティブがない。 それに対して負の所得税では、課税最低限の所得との差額の一定率を支給する。 その税率を0.5とすると、たとえば年収150万円の人には、(300円―150万円)×0.5=75万円を支給するのである。 これによって、少しでも働けば所得が増えるので、労働意欲が生まれ、生活保護を受けられないホームレスを防ぐことができる。 ■大きな政府、小さな政府、シンプルな政府。 一般的に、政府の大きい小さいは “予算規模”で区別される。 けれど、ブログ界隈で議論される政府の大きい小さいの場合は必ずしも予算規模の話ではなく、 政府を構成する組織・人員の大きさが焦点になっている場合が多い。 「小さな政府」を主張すると、(予算規模の話だととられて) 「福祉の切り捨てだ」「弱者の切り捨てだ」「所得の再配分ができない、格差を増大させる」と言われたりするけれど、 所得の再分配・福祉と(規模の意味で)小さな政府は両立可能だと思う。 ただ、それは小さな政府というより「シンプルな政府」なんだと思うけれど。 たとえば、ベーシックインカムや負の所得税を導入して年金・保険・育児教育補助を根本的に整理しなおして 厚生労働省の役割を1/5以下に縮小したら、それは予算的には「大きい政府」だけど、 機能的には「小さな政府」であり、よって「シンプルな政府」だ。 予算も機能も福祉もない“夜警国家”へ立ち返るのはやりすぎだと思うけれど、 18世紀から積み上げた経済学的知見や計算機科学を活用すれば、 規模を大きくせずに機能のみを伸ばした政府を実現するのも不可能ではないと思う。 複雑な政府では、みんなの目が届かないところでルールが悪用されたり、理不尽な運用がなされたりすることが多い。 一方、シンプルな政府はシンプルであるがゆえに悪が露見しやすい。 シンプルな政府は公正な政府により近い。 シンプルであるがゆえに行き届かない部分は、“時限的な”例外を設けて対処すればよい。 ◇ 政府機能は所詮必要悪だ。税金なんか払わずに済むのならばそうしたい。 しかし、それでは公共的な財やサービスの供給がなされず、長期的にみれば多くの可能性をコロしてしまう。 だから、社会的ゆるやかな合意のもと、みんなの信頼の上に政府という機構を構築している。 しかしそこで、複雑で規模が大きいがゆえ政府のX非効率、機能不備、汚職が増大すれば、 政府への信頼が揺らぎ、公共の仕組みとしての政府が支持されず、結局は破綻してしまう。 だから、いつの時代もヒトは本能的な嗅覚として政府の汚職と無能を嫌悪し、公正な政府を求めている。 http://www.be-styles.jp/archives/3213 ■イメージ図 http://www.be-styles.jp/wp-content/image697.png ■大きな政府・小さな政府の議論は、福祉の大きさと、行政の大きさに話を分けて行うことが重要だ。 そうしないと、国民のニーズを正確に汲み取ることができない。 ▼均等な「ばらまき」か、行政による「事業」か この点に関しては、できるだけ偏らない配分で、使い道が自由な「お金」を再配分してくれる方が、 公平感があるし、行政コストが掛からないのではないか。 国や自治体がハコモノを作ったり、福祉関係の事業に補助金を出したり、 教育費などに使途を限定した支出を行ったりするのは、時に便利であるかも知れないが、 お金の使途が不自由であり、生活スタイルへの介入でもあるし、 何よりも、多くの行政関係者の関与を必要とする分コスト高だ。 こう考えると、何の権限にも天下り先の確保にもつながらずに予算を食う「子ども手当」を 官僚及びその周囲の利害関係者(大手マスコミなど)が目の敵にする理由がよく分かるのではないか。 尚、子ども手当に対する所得制限は事務を複雑にするし、不要だ。 お金持ちにも手当が支給されることが問題なら、お金持ちの資産なり所得なりにもっと課税すればいい。 手当の仕組みはシンプルに保って、公平性の調整は課税の見直しで行えばいい。 (経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員=山崎 元) http://diamond.jp/articles/-/11333?page=3 小さな政府でも、大きな政府でもなく、 官僚・公務員・族議員差配の複雑な政府でもない 効率的でシンプルな政府=公正な政府、 「シンプルな政府、普遍主義(非裁量的なルール)にもとづく社会保障」 これを小沢氏らは目指すべきだ。 (自由党時代、「負の所得税」を公約に掲げていたので、すでに目指していたのかもしれない) ■米国の階層別所得、過去30年の伸びは最富裕層1%が断トツ 米国民の所得はやはり最富裕層が30年前と比べべ急増し、 他の階層を断然引き離す伸びを記録していたことが米議会予算局(CBO)が25日発表した調査結果で明らかになった。 2007年までの30年間の所得推移を調べたもので、全階層の平均では62%伸びていた。 しかし、階層別では大きな差があり、所得最高位の1%に入る家庭は275%と非常に高い伸びを示したのに対し、 下から20%の家庭では税引き後所得の伸びはわずか18%にとどまった。 最上位1%を除いた上位20%に入る富裕層では65%の伸びだったが、 上位、下位を除いた60%の中間層の家庭での伸びは40%足らずだった。 伸び率格差が開いた原因は、富裕層の税引き前かつ政府による所得移転をしない段階での所得の伸びが高かったためだ。 最富裕層のこの段階での所得の全体に占める割合は60%と、30年前の50%から大幅に増えた。 ただ、政府の所得移転の影響も変化があった。 下位20%の家庭が昔は所得移転総額の50%を受け取っていたのが、35%に落ちた。 その大きな理由は所得移転で低所得層に限らない老人向け社会保障や失業保険給付の支出が増えたためだ。 結局このCBOの調査は、所得格差の広がりを指摘するこれまでの各種統計に新たに加わるものだ。 http://jp.wsj.com/Economy/node_331656 2007年、つまりブッシュ政権時代までのデータだが、 貧富の格差は拡大している。 ■貧困大国アメリカを巡る「勘違い」 行動経済学の大家として知られるデューク大学心理学部教授ダン・アリエリが、米国における富の不均衡を巡って、 非常におもしろい実験をしていたので紹介しよう(Perspectives On Psychological Science 6: 9-12, 2011)。 3つの国について、資産所有額を上から下まで20%毎に区切った上で、 それぞれの区分における富の所有率を被験者に見せ(サムネイルをクリックすると大きくなります)、 「あなたはどの国に住みたいですか?」と、問うたのである。 国1が「仮想の国」における富の分配であることはいうまでもないだろう。 全国民が等しく富を分け合っている「おとぎの国」にあっては、「究極の平等」が成り立っているので、 それぞれの区分が、等しく20%ずつの富をわかちあっている。 国2では、資産所有額最高の区分に属する20%の国民が、36%と比較的大きい富を所有しているものの、 最低区分の11%と比べると、その違いは3倍強に過ぎない。 「おとぎの国」と比べて、さして富の分配に不均衡がないこの国はどこかというと、スウェーデン。 高負担・高福祉で国家を運営している「代表」ともいうべき国である。 国3は、富の分布が著しく偏り、最上層の20%が国全体の富の84%を所有しているのに対し、 最下層40%の国民が所有にあずかっている富の割合はわずか0.3%にしかすぎない。 実は、国3は米国であるが、米国における貧富の格差がべらぼうに大きいことは、 「ルポ貧困大国アメリカ」(堤未果著、岩波新書)がベストセラーになったこともあるし、読者はとっくにご存知だったろう。
さて、アリエリの実験結果であるが、米国民のうち、「国3(つまり米国)に住みたい」と答えた人は10%にしか過ぎず、 9割の人が「国1あるいは国2に住みたい」と答えた。 さらに、国2と国3に比較を限定したとき、国3を選んだ被験者はわずかに8%。 92%の回答者が、そうとは知らずに「米国よりもスウェーデンに住みたい」という選択をしたのである。 次ぎに、被験者に米国における富の分配率を「推測」させたところ、その回答(平均)は、資産額が多い区分から順に 「58%−20%-13%-6%-3%」というものであった (「84%−11%−4%−0.2%−0.1%」という非常に苛酷な不均衡があるとは夢にも思わずに、 現実はもっと甘い状況にあると「勘違い」しているのである)。 最後に、「理想」とする富の分配を答えさせたところ、 その答えは、「32%−22%−21%−14%−11%」となり、スウェーデンの分配率に極めて近い数字となった。 それだけでなく、この数字は、共和党・民主党の支持政党や所得額等の違いで大きく変わらず、 「こと富の分配に関する限り、スウェーデン型の社会が理想」ということで、 米国民のほとんどが(そうとは知らずに)意見を一致させているのである。 これまで何度も論じてきたように、 米国の保守派は、「富の再分配」という言葉に対して非常に強い拒絶反応を示す体質を持っている。 彼らのほとんどは、「(旧ソ連型の社会主義はもとより)西欧・北欧の社会民主主義も米国にはそぐわない」 と思い込み、「高負担・高福祉の『大きな政府』などもっての他」と言ってはばからない。 就任後一貫して高額所得者に対する課税強化を主張してきたオバマに対しても、 「米国は政府を今以上に小さくしなければいけないのだから、増税なぞまかりならん」と頑なに拒否してきた。 ところが、「大きな政府」が大嫌いな保守の人々に、「理想の富の分配率」を数字で答えさせると、 「(大きな政府で国家を運営している)スウェーデンの数字が理想」という答えが返ってくるのだから、 驚くとともに呆れざるを得ないのである。(中略) 以上、今回は、富の不均衡に関する米国民の勘違いについて論じたが、 最後に、日本における富の不均衡について、ショッキングなデータ (サムネイルをクリックすると大きくなります)を示そう。 図は、日米英3カ国の「ジニ係数」(ジニ係数は所得の不均衡の指標。 「0」はすべての国民が等しい所得を分かつ「究極の平等」、 「1」はただ1人の国民がすべての所得を占有する「究極の不公平」。 数字が大きいほど、不均衡の度合いが強い。図は等価当初所得での比較)の推移を示したものだが、 90年代以降、米国をはるかに上回る勢いでジニ係数を増大させてきた (つまり、所得の不均衡を増大させてきた)日本が、2008年に、 ついに、米国を追い抜いたことがおわかりいただけるだろうか? 換言すると、日本は、とっくに米国に匹敵する「貧困大国」になってしまっているのであり、 「日本の貧富の格差は米国ほどひどくない」と勘違いしている場合ではないのである。 http://blog.livedoor.jp/goredsox/archives/1632389.html アメリカ人は、民主党支持者・共和党支持者の別なくスウェーデン型再分配が理想。 「32%−22%−21%−14%−11%」(スウェーデン型再分配近い再分配がアメリカ人の理想のはず) なのに、ティーパーティなど保守派は、 それと知らずに「84%−11%−4%−0.2%−0.1%」(アメリカの現実)という非常に苛酷な不均衡を さらに推し進めようとしている。 共和党支持者の主張を実現したら、 「1%の富裕層が、富の99%を私有する」国になってしまう。 ■資産所有額を上から下まで20%毎に区切った上で、それぞれの区分における富の所有率 図1「仮想の国」:「20%−20%−20%−20%−20%」 図2「スウェーデン」:「36%−21%−18%−15%−11%」 図3「アメリカ」:「84%−11%−4%−0.2%−0.1%」 米国人の現状の推測:「58%−20%−13%−6%−3%」 米国人の理想:「32%−22%−21%−14%−11%」 アメリカ人の現実と現状認識と理想は、極端に乖離している。 ティーパーティ支持者は、完全に勘違いしているということだ。 日本人の現実と現状認識と理想も調査してもらいたいくらいだ。 http://livedoor.2.blogimg.jp/goredsox/imgs/b/3/b34b9fc0.jpg <ロンドンで怠惰な生活を送りながら日本を思ふ>氏のような愚か者が理想とする国は、「84%−11%−4%−0.2%−0.1%」であり、つまり 富裕層が富の84%を支配し、下位40%の低所得者層はわずか0・3%しか富を持てない国にしたいのだろう。
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