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<五月晴れの5月5日>
昨夜は午後7時30分ごろ、木更津を出発した。見事なくらい見通しが狂った。産業道路の姉が崎から渋滞だ。それが千葉まで続いた。こんな大渋滞は初めてのことである。帰省ラッシュの頂点だったのだ。津田沼・船橋から東京方面は順調だったが、いつもの2倍近い時間がかかった。それでも、5月5日の房総半島は実にすがすがしい1日だった。五月晴れである。畑仕事・庭の手入れと、かなりいい加減な労働で時間を過ごしたが、久しぶりの好天に満足した。悲しいかな昔のように山野をかけずり回るような体力がない。
5月5日というと、子供の日だから鯉のぼりのシーズンである。幼いころのかすかな記憶と言うと、それを布団掛けにするなど別の用途に使った情景である。敗戦後の日本の一般の家庭では、鯉のぼりをする余裕がなかった。
昔は祭日を日の丸の旗を家々の軒下に飾る日(旗日・はたび)と称した。天皇制国家主義の名残りだろうが、几帳面な農家では今もそうしている。従って5月5日は、日の丸と鯉のぼりで一見、賑やかな子供の日だった。しかし、近くを散歩してもそれぞれ1軒のみ。日の丸は大農家、鯉のぼりは学校の先生の家だけだった。時代を象徴している。
房総半島は、今燃え盛るような山々に彩られていて美しい。つかぬ間の放射能の恐怖から解放してくれる。それとも抵抗できない人間に、放射能との共存に意識を変えさせてしまったものか。雑草が生い茂る庭先に筍が這い出していた。それも10本ほどだ。太くて見事だが、ほとんどが1メートルほどの高さだ。食用には無理だ。切り倒すしかなかった。
それにしても竹の成長が速い。傍らの蕗もそうだった。こちらは東京土産に採取した。八十八夜も過ぎていた。ほれぼれするような、可憐な茶の若芽を少し摘んで持ち帰った。昨年は首都圏の茶畑が放射能汚染に見舞われた。今年は大丈夫なのか。報道されないが、放射能は日々放出され、それが風や雨で地球を汚染しているのだから。昔は家族総出で茶摘みをして、それを一家で飲んだ。豊かな自然の恵みが自給自足生活を当たり前にした。
前回来た時、山間の水田上空を燕が一羽飛んでいた。今回は見なかった。幼いころは、農家の軒下に燕が巣を作った。人間と共存していた。農薬農業で燕は生きられなくなったのだ。東京では数羽見かける。生き物が住みにくくなった社会である。それでも人間は傲慢さに気付こうとしない。
<原発ゼロは大歓迎>
その点で、54基の原子力発電所が全て停止、原発ゼロは快挙・大歓迎である。放射能と人間は共存できない。自然も同じである。それにしても核を受け入れる人間は、なんと恐ろしい動物であろうか。
科学者は戦争のために人殺しの核兵器を製造し、それを政治家が実際に使用した。さらに、電力に利用したのだが、それを安全完璧に操作はできない。それでも、核兵器を持てない日本は、いつでも保有出来るように、次から次へと建設した。それが54基。もっと作れと2011年3月11日前まで、政府と電力会社は強力に推進してきた。狂気の日本だ。
3・11を教訓にできない松下PANASONIC財閥傀儡政権だ。それを支援する愚かなマスコミである。他方、ドイツなど欧州諸国では脱原発へと政策転換した。ゲルマン民族は立派である。東洋の民族はそれが出来ない。民族的欠陥は、日本民族だけでもないところに深刻さがある。朝鮮民族も、新たにベトナムも加わろうとしている。愚か者が東洋に多すぎる。
政府・電力会社と官閥・財閥は、原発ゼロを喜べない。再稼働に向けて夏場の電力不足キャンペーンを張っている。原発推進新聞テレビの読売・日テレなどマスコミも協力している。度し難い民族であろうか。
原発がなくても人間は生きられる。ないことで、日本人は安全で健康に生きられる。質素倹約が日本の美徳ではないか。原発ゼロを喜べる日本が、果たして来るのであろうか。財閥の傀儡政権はともかくいただけない。
<公明・共産・社民の無責任>
3・11は、原発が平和憲法に違反していることを教えてくれている。5月3日の憲法記念日が来ると、安心する護憲政党というと、共産党と社民党である。平和を愛する多くの国民の憲法認識に沿うものである。それでいて両党の議席は小さい。理由は、相変わらずイデオロギー政党と昔の名前で出ているためと信じ込まれているからなのであろうか。
存在価値がまるでないのだ。どうして小さくまとまっているのであろうか。小さくてもお山の大将でいたいのか。改革のエネルギーを喪失してしまっているのだろう。これは国民に対する背信行為である。大同団結するしかないだろう。智恵を出して、平和憲法を定着させるための行動を起こせ、といいたい。
公明党も悪質だ。自民党にぶら下がるための方便が、加憲というおかしな理屈を展開して、改憲論を促す役割を果たしている、と受け止められている。友党である自民党は、とうとう極右の戦前派・中曽根康弘の悲願を改憲論の根幹に据えたではないか。
生前の宇都宮徳馬は中曽根とナベツネを「大馬鹿野郎だ」と批判していたと言うのに、である。歴史を逆転させている。そんな自民党の補完政党・公明党とは?
自民党は、もはや民主的な国民政党ではない。極右政党になり下がってしまったというの、それに歩調を合わせる公明党も同じ狢なのか。繰り返すが、庶民・大衆の味方を喧伝する勢力は、大同団結して平和憲法の定着を図る責任と義務があるのである。
5月3日はそのことを想起し、新たな第1歩を踏み出す日でなければならない。CIA・財閥・官閥と戦う小沢一郎や鳩山由紀夫・亀井静香の方が、はるかに立派な政治家ではないか。CIAとグルになって小沢いじめをする政党・政治家は狂っている。その証拠に、彼らは脱原発を公約に掲げることさえ出来ない。史上空前の東電業務上過失事件の捜査さえも出来ない。
国民の支持を失った政党・政治家は存在価値など無い。恥ずかしくないのか。血税を大金懐に入れている資格などないだろう。5月は、大自然のように燃えて生まれ変わる月にしたいものだ。
2012年5月6日9時15分記
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