http://www.asyura2.com/12/senkyo129/msg/720.html
Tweet |
またしても産経が森元首相の現在の政治状況に関する談話を得意顔で掲載している。特に小沢氏を貶める逸話を披歴して「小沢氏の発言明かす」と銘打つのは大手マスコミが3年も続けて来た小沢氏に対する謀略の一環だと思わざるを得ない。
「陸山会事件」は法律の専門家なら「無罪」だが、裁判員などの市民なら「有罪」になるものだ、という発言は戴けない。森氏こそ市民をバカにしていないだろうか。ネット論壇を知らない愚か者の戯言で、摩訶不思議な第五検審会議決を「市民感覚」と評した大手マスコミに追従するものでしかない。
しかも「小沢氏には新しいものや古いものや沢山あるからな」と、さも疑惑まみれだと思わせる陰湿な発言まで被せるとは、森氏の人格の低さと法的思考と無縁な怨念の人だと思わざるを得ない。嘘を言うのもいい加減にしないといけない。小沢氏に「いろんな疑惑がある」というのは大手マスコミが拡散した3年余の小沢氏に関するプロパガンダをなぞるものだ。
しかし本当に「怪しい点」があるなら、東京地検特捜部は小躍りして着手しただろう。実際に「陸山会事件」にならざるを得なかった小沢氏と元秘書三人に対する「最初の事件」が何だったか、御記憶だろうか。西松建設からの不当献金による公共事業に「天の声」を小沢氏が発したとする「贈収賄事件」だった。
しかし不法献金はなく、全く合法的な献金で自民党の国会議員の多くも貰っていることが判明している。慌てた特捜部は軒並み他のゼネコンにも捜査を行って小沢氏絡みの「贈収賄」を探しまくったが、結局立件すべき事案は一件もなかった。
それが第五検審会に提出しなかった70件もの事情聴取「メモ」だといわれるものだ。つまり森氏のような思い込みから実際に特捜が総経費30億円もかけて100人もの人員を投入して徹底的に小沢氏の身辺を洗いまくって出て来たのが捏造疑惑の「律山会事件」の論点となった収支報告書の「期ズレ」だけだったということだ。
大手マスコミが全国紙と傘下のテレビ局のMCやコメンテータや御用評論家まで総動員して、徹底して「小沢氏=悪人」とのイメージ刷り込みの「政治とカネ」なる実態不明なスローガンを連呼することによって、国民に見事に小沢氏の悪人イメージを刷り込んだのだ。
森氏の根拠を示さない発言は大手マスコミの小沢氏への人格破壊報道に乗っただけに過ぎない。とても一国の首相を勤めたとは思えない「見識も人格もない」低俗な週刊誌程度の人物でしかないことを自ら暴露しただけだ。
小沢氏がかつて消費税を導入しようとした時期と現在との経済環境を検証することもなく「かつて福祉税7%」を打ち上げたではないか、という指摘は政治家にあるまじき経済音痴と言わざるを得ない。その手の批判をする評論家は多いが、景気とマネーサプライの関係を考えれば簡単に分かることだ。
インフレは物に対して過剰な貨幣流通量がある状態を指す。だから消費税により貨幣を市場から吸い上げればインフレがそれだけ収束することになる。消費増税により物価が上がればインフレだから、デフレ下に取るべき政策ではないかという評論家がいるがまるで噴飯ものだ。貨幣流通量が増えない物価上昇は最悪の事態を招く。
つまり個人の可処分所得が増えない状態で物の値段だけが上がることを意味するからだ。ことに日本の消費税はすべての消費財に課税されているから景気に与える打撃は大きいと言わざるを得ない。つまり税率を挙げても増収とならない可能性の方が遥かに大きいと考えられる。
民主党と自民党の「消費増税」を掲げる大連立にも言及しているが、そうした対立軸で政界が再編されるのは分かり易くて良く賛成だ。そうすれば財務官僚御用達政党対国民政党との政権争いとなり国民の目にも分かり易いだろう。
いかにも「消費増税」に賛成しない者は反・国家的だという論調には賛成できない。反・国家的なのは財務官僚とその走狗になり果てた政治家たちだ。身の丈に合った服を着ないで、いつまでも肥満体を抱えてダイエットを一向に始めない不健康な財務体質を維持する財務省を解体しなければならない。
その手始めが「歳入庁」の創設だ。そして世界で骨董的価値しかない「歳入・歳出」の単式簿記を改めて全国の公的機関に統一した複式簿記と企業会計原則に準じた「財政法」を制定することだ。そうすれば国のみならず、この国のすべての公的機関の連結決算が一目瞭然となり、税と支出のあり様が国民に誰でも俯瞰できるようになる。
情報公開とは実態不明な切れ切れの数字をバラバラに示すことではない。一目瞭然に示すことが誠意ある態度だ。税は主権者国民になり代わって公的機関が徴収し、その使途は主権者国民になり代わって公的機関が行っているモノに過ぎない。その実態が国民の目に明らかでないまま、増税を官僚の走狗・大手マスコミを使って大宣伝するのは順序が違っていないだろうか。
国民にとって「税」も「社会保険料」も同じ公的負担だ。それを切り離して議論する意味が分からない。「税と社会保障の一体改革」と称するのは改革は何も特別なことではなく「一体改革」は当たり前のことだ。それを切り離して議論している現行政府の方が異常なのだ。
騙されてはならない。現行の年金議論は高額所得者による高額年金受給権の利権確保を目指す改革に過ぎない。その最も恩恵に浴すのは一握りの高額所得者と高給官僚たちだ。そもそも社会保障の役割とは社会弱者に対するライフラインの設置にあったはずだ。その社会保障たる年金に高額受給者たちへの「財産権」だ「受給権」だという概念が入り込むのがおかしいと思わざるを得ない。
それなら国民年金受給者が60歳から65歳へ受給開始年齢が引き上げられた際、国民年金加入者によるそうした議論があっただろうか。年金加入制度による国民差別を厚労省と財務省は直ちにやめるべきではないだろうか。人の人格の卑しさは他人を攻撃する際に最も顕著に表れる。森氏の場合も例外ではなかった。それを実感させてくれる産経新聞の「森氏の談話」ではあった。
http://km2295.iza.ne.jp/blog/entry/2676927/
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK129掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。