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米国と霞が関を束ねて葬る方策なんてあるのか 先ずは“隗よりはじめよ”
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2012年05月04日 世相を斬る あいば達也
5月1日の拙コラム「“霞が関解体”を進めるためには、当面、市場原理主義導入も致し方ない」では、多くの反論コメントをいただいた。筆者も一時は、小泉・竹中の野放図な改革路線が市場原理主義的であり、一層の格差社会を生みだす元凶と思ってきた。おそらく、好き勝手に市場原理主義を導入すれば、1%の富裕層と99%の貧困と云う現象が強く惹起されるだろう。その欠点を踏まえて、市場原理主義は取り扱わなければならない代物だが、競争を全面的に排除する思考経路にも重大な欠陥があることを認識するべきである。 たまたま昨日の長谷川幸洋氏のツイッターを読んでいたら、似通ったことをつぶやいていたので、以下に掲載しておく。
≪ 長谷川幸洋のツイッターまとめ http://twitter.com/#!/hasegawa24
*私を新自由主義者とか。こういうレッテル貼りは本当にくだらない。新自由主義とか、しっかりした定義があるのか。レッテル貼りでしか議論出来ない人は信用しないね。私は学生時代はマルクス勉強してた。といって、自分がマルクス主義者だなんて思ったことは一度もない。
*なんとか主義とかんとか主義とか。人をそういうどっかの陣営にレッテル貼りしてしか議論できない人は、ものごとをレッテルでしか議論できない、っていうか考えられない単純な人よ。生身の現実はレッテルなんか、とっくに超えてる。それすら理解できない。
*日本の論壇は、残念ながら、いまだに新自由主義だのマルクス主義だの、なんだのかんだの、わけわからないなんだの主義で議論しようとしてる人が多すぎる。バカだね。話にならない。
*勝手にやってればいい。マスコミの世界でも、そんななんとか主義がどうたらこうたらとか「お前はなんとか主義だろ」とか。身の回りでもいまだにある。そんな馬鹿馬鹿しい議論につきあってる暇もエネルギーもない。はっきり言って、自分の勉強不足と知性の劣化を暴露してるだけ。
*だいたい、そういう人に限って、まず日本語の本しか読んでない。それはそうだ。世界の議論でなんとか主義だのかんだの主義だなんて議論はマイナーもいいところ。そんな話で政策論議ができるわけない。50年遅れ。
*若い人には、とにかく日本語の文献だけで勉強するな!と言いたい。そんな狭い世界で勉強してたら、世界で通用しない。もっとも、なんとか主義の議論が好きな人は、初めから世界で通用したいと思ってるわけじゃないだろうから、次元が違うだろうけど。そういう人に教わってる若い人は、本当に気の毒だ。
*訳本ではダメです。理由は原文を読めば分かります。原文を読まない理由はなんですか。読む根気がないというなら、勉強するつもりがないという話です。
*私の知る限り、ちゃんと中身で議論する人が「私はなんとか主義です」だなんて言うのを聞いたことがない。当たり前です。中身で議論していて、レッテルで議論してるんじゃないから。逆に「あれは、かんとか主義」とか言う人は例外なく、中身で議論できない人。
*中身で議論できない人が「あれは、かんとか主義」と人をレッテル貼りして、なんかモノを語ったような気持ちになってるだけ。中身で議論する人が「私は、なんとか主義」だなんて、恥ずかしくてばかばかしくて、するわけがない。なんで自分にレッテル貼るの?そんな必然性はどこにもないでしょ。
*ようするに「なんとか、かんとか主義」がどうたらこうたらっていうのは、自分に中身がない人が勉強不足を隠すために、人にレッテル貼って、ものごとをお手軽に理解しようっていうだけの話。ばかばかしくてお話にならないね。
*私は議論してる相手が「それは新自由主義」なんて言葉を使った瞬間から、これはバカだと思って、まともに相手にしない。時間のムダ。「それは市場主義」だの「競争主義」だのって言っても同じ。原理で議論せず、主義で議論しようとするのは、原理で物事を考えられない証拠。そういうのはバカです。≫(長谷川幸洋ツイッターより抜粋)
少々言葉が辛辣だが(笑)、正論だ。筆者が「“霞が関解体”を進めるためには、当面、市場原理主義導入も致し方ない」の見出しは長谷川氏からバカ呼ばわりされそうだが、小泉・竹中ラインとか、ブッシュ政権とか、リーダーの選択した政策や行動を、我々はいつの間にか、アイツらは市場原理主義者だからと毛嫌いした傾向はあるだろう。
この辺のことを反省しながら、あらためて日本の現状を見つめ直すのも大切なことだと思う。永田町も休みだ。議員連中は、選挙区回りで多忙を極めているに違いない。政局が動かない連休中だから、気づくこともあると云うことだ。社会政治の問題を総体的見地から見過ぎると、なんとか主義とかついつい言いたくなる。あまりにも個別の問題を根掘り葉掘りやると、オタクとかストーカーのようなコラムになるので、この按配が難しい。
野田のまったく意味不明の米国公式訪問など、論じる中身がゼロなのは驚きだ。同盟の深化と云う言葉使わせて貰えなかったようだが、表面的にオバマに対し恭順の意を表しに行っただけの出来事だったようだ。水面下での話は判らないが、表向き新味ゼロの訪米だった。野田を呼びつけておきながら、オバマ政権幹部は中国の米国大使館に保護を求めた「盲目の人権活動家」陳光誠氏の処理問題で頭が一杯、早々に終わらせたい態度が見え見えだった。
それでも、米国に隷属の姿勢を示さなければならない日本と云う国を思えば思うほど、なんか変だな〜と思うわけである。ついつい、米国支配からの脱却!と元気に叫びたいところだが、尖閣の島一つ防衛できるかどうか怪しい政府に、独立宣言せよ!と尻を叩くのは簡単だが、それでは空威張りの石原都知事になってしまう。正直、野田君は気づいていないだろうが、傍から見ると日本の首相より「盲目の人権活動家」の方が重要な人物だと扱われている気分にさえなってしまう。
専守防衛の枠組みは、いまやなし崩し的な方向に至り、集団的自衛権の方向が主流になりつつあるようだ。武器輸出三原則も、米軍と共同の飛行場建設も、すべてがその方向に向かっている。気がつくと、自衛隊がアフガン駐留みたいな時代が来るのかもしれない。そんなこんなを、解きほぐしていくと、日本にとって、すべてが米国との関わりでしか問題解決出来ない国家になっている、改革の総本山は日米関係だ、と云うことになる。しかし、現実には、何処から手をつけて良いのかさえ判らない程、総体的支配関係になっている。
国民が米国と云う国を考え、21世紀、彼らとどのようにつき合うべきか、考えるのは非常に難儀だ。やはり、国民が一定程度考えられる範囲は、国内問題と云うことになる。それが霞が関改革なのではないかと、筆者は考えている。“隗より始めよ”と云う教えに従うのが妥当と考える。故に、直近の国民生活にチャチャを入れ、余計なお節介をしているようなフリをして、実は、実にクダラヌ、己たちの利権構造の拡大しか望まない、霞が関官僚組織の改革が“隗”となり得るわけである。その意味で、小沢の考えも、橋下の考えも正しいのだ。その先に「対米自立」があるのか、対米従属があるのか、それは次の段階の話である。
今までの自民党政権を見てきても判るだろうし、現在の民主党政権をみても判る通り、米国と云う国家は凶暴にして狡猾な国家である。準備も背景もなく、主義主張を振りまわせば、どうにかなると云う代物ではない。鳩山の二の舞になるのがオチである。ここは、歴史的認識も踏まえ、隗よりはじめて、次なるステップを踏むのが対米問題の対処法なのだと思う。おそらく、米国は変わらざるを得ない。その時、米国にただ利用されない国家の外交戦略を持つ政治家が生まれてこないと、一段と厄介な支配構造が構築されそうだ。
注記:@コメントの中に昨日のコラムの見出しにおける「急遽の策」は「窮余の策」ではないかとの指摘を受けたが、あれは敢えて「急遽の策」と表現しています。Aコラム「財務省VS朝日新聞 俄かに対立勃発とは言い難いが異常な事件、注目!」において、PSで≪ 「民主党政権 失敗の本質1」と云う以上、本来であれば時間的に「2」が出ても良さそうな時間が経過しているので、伝聞情報による”飛ばし記事”に近かった感じもする。≫と書いたが、民主党政権 失敗の本質2が同日紙の異なる紙面に掲載されていた模様なので、筆者の勘違いのようです。そこの部分はデジタル版では表示されないので、何が書いてあったか、判りません。
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