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「今日の1面コラムについてお尋ねしたいのですけど?」
小沢氏の無罪判決を取り上げた4月27日付の地元紙を見て、ある西日本の新聞社に電話すると、受けた女性が丁寧に電話を論説室に回してくれた。
「コラムで『小沢氏は無罪判決だが、説明責任を到底果たしたとは言えない』」とありますが、具体的にどういった点について説明責任を求めているのですか?教えて下さい」と尋ねた。「別な論説委員が書いたので私には分からないが、新聞の常套句として使ったのではないでしょうか。確かに安易な表現と思う」と論説委員。
「この念仏のような『説明責任を求める』という言葉はそろそろ卒業してはどうか。知りたい点があるのなら、小沢氏に直接取材したら良い。新聞社でしょ?。むしろ説明責任は、ねつ造した調査報告書を検察審査会に送った検察側にあります。読者は東京地検の説明を聞きたい」とお伝えした。
九州地区の別の新聞社にも電話した。1面コラムで「無罪判決は小沢氏が抱えた問題の解決を意味しない。土地購入資金4億円の出所をめぐる説明責任に、問題は舞い戻る」と書いてたからだ。電話すると、またしても論説室に丁寧に電話がまわり、書き手の論説委員が対応。
「土地購入資金4億円の出所が分からないと書いてますが、4億円は東京・湯島の旧宅の売却益や著書の印税などですよ。裁判で小沢さんが説明してましたよ」と質すと、「そうでしたか、そこまでは情報がなく知りませんでした。(通信社や全国紙などの)新聞情報が頼りでして…」。「論説委員の方、ましてや小沢裁判でコラムを書いた方が知らなかったではおかしいです。多くの県民が読んでるのに、誤った情報を流すことになりますよ。特に政治ネタはデリケートですので、慎重に」と指摘すると、「ご指摘ありがとうございます。今後もまたご意見がありましたら、お願いします」と終わった。
西日本の地方紙2紙の論説委員と電話で話してみて、小沢裁判にさほど強い関心を持っていないのにも関わらず、紙面としての扱いの大きさのギャップを感じた。これは全国紙の大新聞の論調に同調していれば無難という安易さととともに、真実を読者に伝えるジャーナリズムの希薄さがみてとれる。おそらく想像だが、紙面づくりがルーティン化し、書き手自身が思考停止状態に陥ってきているのではなかろうか。しかしまだ、地方紙は新聞としての良心が残ってところもある。阿修羅の方々もお近くの新聞社の記事におかしな点を気づいたら、丁寧に説明してあげてみてはどうだろうか。悲しいことに、まともな新聞をつくり上げるには、読者の力が本当に必要な時代になった。
最後に小沢裁判の翌日の紙面で地方紙・全国紙の大半が作家・高村薫氏のコメントを大きく掲載している。高村氏がどんな主義主張を持つかは自由だが、それを掲載する新聞社はちゃんと中身を吟味していただきたい。例えばコメントの中に「元代表はどんな政治を目指しているのか、何も語っていない」とあるが、小沢氏は2009年8月の総選挙で掲げたマニフェスト政策の実現をさまざまな場で語っている。この箇所を新聞としてはスルーしてはいけない。高村氏はコメントで「小沢一郎は過去の人であり、一般国民は裁判に関心がない」「古い体質の政治家に振り回される民主党に有権者はあきれている」など突っ込みどころが多いのだが、これを有り難そうに有識者のコメントとして掲載する新聞社の思考停止ぶりは罪深いのではなかろうか。
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