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Nothing Ventured, Nothing Gained.04/29/2012
http://esquire.air-nifty.com/blog/2012/04/post-0aaf.html
小沢判決の解説・評価(補足)
民主党の議員がHP上で、小沢一郎氏に対する東京地裁判決を公表している。
公表した方が良いと前回の記事で述べたが、きちんと公表する姿勢は評価されるべきである。
http://shina.jp/a/wp-content/uploads/2012/04/ozawa.pdf
公表されているので、早速、目を通してみたので、前回の記事「小沢判決の解説・評価と往生際の悪いマスメディア」の補足的なものを記載しておこうと思う。
1.共謀の部分について
95ページもある内容だが、共謀の認定にかかわる重要な部分は80ページあたりからなので、実際に読んでみると良いかもしれない。
まず、この判決の80ページで、判決は、
被告人は、陸山会において、本件土地を建設費を含めて4億円程度で取得することを了承し、本件売買契約が平成16年10月5日に締結され、その決済日が同月29日であることを認識していたと認められる。
その上で、本件土地の取得や取得費の支出を平成16年分の収支報告書には計上せず、平成17年分の収支報告書に計上することとし、そのために、本件売買契約の内容を変更する等の本件土地公表の先送りをする方針についても、報告を受けて了承したものと認められる。
と認定している。
この部分が裁判所が最も重視している点である。
つまり、判決は、平成17年の報告書に記載するために、契約自体を変更するなどの動きがあったという事実を重視し、これも小沢氏は知っていたはずであると認定したのである。
ここで重要なのは、小沢氏がこの契約の変更により、取引自体が平成17年に行われたとの認識をしている可能性があることである。
後に判決が無罪と判断する理由として指摘しているが、この認識通りに、土地取引が変更されていれば、虚偽の記入にはそもそも当たらないのである。
したがって、この認識の他に、指定弁護士は、小沢氏が、@契約変更が失敗し、取引が平成16年中に行われたままになっていることを認識していたこと、A平成16年中の取引であるから平成17年中の報告書に記載することは虚偽記入に当たることを認識・認容していたことを立証しなければならないのである。
次に、判決は、
りそな4億円は、陸山会の被告人に対する借入金となること、本件4億円は本件預金担保貸し付けの担保として本件定期預金の原資にすることについて、認識し、了承した上で、本件預金担保貸付の目的が、本件4億円を収支報告書等で対外的には公表しない簿外処理にあることも承知していたものと認められる。
としている。
つまり、小沢氏は、自分の4億の金が担保目的の定期預金にされることへの認識はあったと認定しているのである。
ここも判決が後に指摘するが、判決は、指定弁護士が、この認識の他に、B小沢氏の自分の4億円が一般財産に混入して消費されており、定期預金として残らず、陸山会の借入金になってしまっていることへの認識が小沢氏にあったこと、Aだからこそ、平成16年中の取引であるから平成17年中の報告書に記載することは虚偽記入に当たることを認識・認容していたことを立証しなければならないと考えているのである。
この立証について、指定弁護士は、最高裁決定である平成15年5月1日(スワット事件)を用いて、当然知っていたはずだという主張をしたのであろうが、裁判所は、「相応の根拠があると考えられなくはない。」というこの考え方の否定を前提とした表現を用いて、排斥したのである。
ちなみに、「考えられなくはない」という表現は、法律関係者では良く使う表現である。一応、その主張は検討するに値するが、採用はできないという場合に使うことが多いように思われる。
したがって、裁判所が理解を示したというものではない。理解を示していれば、その主張を採用するはずである。
現に、判決も、
しかしながら、当裁判所は、被告人には、本件土地の取得及び取得費支出時期の認識並びに本件4億円の収入計上の必要性の認識について、これらを認めることができないことから、被告人の故意、共謀を肯定することができないと判断した
と判示しているように、指定弁護士の主張を明確に排斥している。
したがって、私見としては、今回の東京地裁の判決は、控訴が極めてしにくい形で、綿密な事実認定をしているから、これを控訴するのは難しいし、これを控訴しても、私は無理筋の主張以外の何物でもないと思う。
仮に、万が一、東京高裁が状況証拠による推認(私見はこの種の推認は、経験則に反した「憶測」になると思うが)により、東京地裁の指摘する可能性を排除して、逆転有罪を出したとしても、昨今の最高裁の綿密な事実認定を要求する姿勢に変わりはないから、最高裁で差し戻されるのがオチであろう。
なお、裁判所の判決における表現であるが、裁判所は、その主張に賛同するときはもっとストレートな表現をする。たとえば、「一理ある。」とか、「考えられるところである。」とかである。
2.弥永教授の意見書に対する裁判所の評価
会社法や企業会計法の大家である弥永先生の意見書に対する裁判所の評価も面白い。
さすがに、弥永先生レベルだと一学者の意見で取るに足らないとはいえず、裁判所も丁寧な検証が必要になるようである。
判決は、判決要旨45ページにおいて、
なお、弥永意見書には、本件土地について、平成17年1月1日以降に所有権が移転したと私法上評価されるのであれば、平成17年分の収支報告書に計上する必要があり、平成16年分の収支報告書に計上する必要はない旨や、司法書士に対する委任状の記載を根拠に、平成16年10月29日に本件土地の所有権を移転する旨の合意を認定することが不自然と思われる旨の記載があるが、弥永教授は、本件土地の取引に関する証拠書類や関係者の供述を踏まえて検討したものではない旨公判で供述している上、そもそも、本件土地の所有権の移転時期について法的判断を述べたものではなく、本件売買契約が売買予約契約に変更されたとの法的判断を前提とした会計上の処理方法について意見を示した趣旨である旨も公判で供述しているから、弥永意見書の前記記載は、前記結論を左右するものとはいえない。
と指摘している。
つまり、ここは弁護人の反証不足であり、本件所有権の移転時期が平成17年1月1日以降に変更されたというところの反証がないから、弥永意見を前提にしても、虚偽記入に当たるとの結論を左右しないと判断しているのである。
結局のところ、裁判所は、石川が所有権の移転時期を平成17年1月1日以降に変更することに失敗し、移転時期は平成16年中であったという認定ができる以上、弥永意見が結論を左右しないとしたのであり、この裁判所の理解は当然の帰結だろう。
3.検察に対する部分
今回の判断でやはり注目すべきは、検察に対する苦言である。
判決は、要旨6ページにおいて、
このように、検察官が、公判において証人となる可能性の高い重要な人物に対し、任意性に疑いのある方法で取り調べて供述調書を作成し、その取調状況について事実に反する内容の捜査報告書を作成した上で、これらを検察審査会に送付するなどということは、あってはならないことである。
と指摘している。
判決は、違法な証拠を検察審査会に送りつけたということを認めた上で、「あってはならないこと」と断じている。
先の同裁判所の2月17日付決定も「違法・不当」などとかなり踏み込んだ指摘をしているが、今回も裁判所がこうした強い指摘をしていることは、検察庁は重く見なければならないだろう。
なお、昨日のブログ記事でも指摘したが、裁判所は、証拠内容の瑕疵と手続の瑕疵を峻別し、手続的瑕疵がない以上、公訴提起の有効性に影響を与えないというオーソドックスな判断をしているのである。
これは、検察審査会員の職責の重さを改めて認識させるものであり、検察審査会のあり方は今後大幅に見直さなければならないだろう。
個人的には、裁判員裁判のように、審査会員の中に法曹の数を増やし、法曹の過半数がその判断に同意しなければならないとか、予審制度を参考にして審査会専門の判事などに会議を指揮させるとか、大幅な修正が必要だと感じている。
私も判決を読んで驚いたが、判決は要旨7ページにおいて、次のような指摘までしているのである。
検察官が、任意性に疑いのある方法で取調べを行って供述調書を作成し、また、事実に反する内容の捜査報告書を作成し、これらを送付して、検察審査会の判断を誤らせるようなことは、決して許されないことである。
本件の証拠調べによれば、本件の捜査において、特捜部で、事件の見立てを立て、取調べ担当検察官は、その見立てに沿う供述を獲得することに力を注いでいた状況をうかがうことができ、このような捜査状況がその背景になっているとも考えられるところである。
ここで注目すべきは、裁判所の表現である。
「考えられるところである。」というのであるから、これこそ、裁判所は、賛同しているのであって、「考えられなくはない。」という先の表現とは全く異なるのである。
さらに、判決は、次のように指摘する。
しかし、本件の審理経過等に照らせば、本件においては、事実に反する内容の捜査報告書が作成された理由、経緯等の詳細や原因の究明等については、検察庁等において、十分、調査等の上で、対応がなされることが相当であるというべきである。
ここまで、明確に裁判所が検察庁に注文を付けているのは本当に異例である。
個人的には、この判決が「十分」と念を押すような表現を入れていることが引っかかる。というのも、この部分からは、虚偽報告書等については、当裁判所ではこれ追求以上しないが、検察庁がその威信にかけて、担当検事ら関与した人物の起訴をも前提として、捜査を徹底的に行えという裁判所の黙示の意思が表れているようにすら感じるためである。
法務省、検察庁、及びその他の捜査機関は、この警鐘を真摯に受け止めなければ、裁判所の国に対する信頼は失われるだろう。
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