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弁護士 猪野亨のブログ
小沢元代表無罪判決と検察審査会「強制起訴」制度の危険性
2012/04/29(日) 22:02:41
小沢元代表に対しては、大方の予想どおり無罪判決が出ました。
もっとも、それでも、もしかするとわずかな可能性で有罪になるかもしれないという言葉が一部からは聞かれていましたが、それは、これまでの裁判所は、検察を「救済」するような有罪判決を出してきた「実績」があるからです。
今回の判決もその意味では、秘書らによる犯罪事実を認定し、小沢元代表が報告を受けた、というところまで認定しており、「救済」判決といえるかもしれません。
また、元々、秘書らの行為は、別の裁判で有罪となっていることから、現時点で、別の認定をすることもできなかったということでしょう。
もっとも、共謀共同正犯というからには、この「報告」程度ですべて、「有罪」とされてしまっては、たまったものではありません。従って、判決が無罪としたのは、当然といえば当然の結論でした。
「共謀共同正犯」といえども、「共同正犯」なのであって、本来的に自ら実行したのと同視できる、あるいは、自らの地位を利用してさせた、というところまで立証がなければ、故意犯に問えないのは、むしろ当然のことです。
単に報告を受けたというだけでは足りず、虚偽記載について、どの程度、具体的な報告を受けたのか、それについて、どの程度の認識していたのかなどが問われるわけです。
それらについての具体的な立証がなければ共謀を認定しえないのは当然なのです。
しかし、検察官役指定弁護士らは、逆のことを述べています。
毎日新聞(2012年04月27日)によると、
「控訴明言避け 弁護側に続いて会見した指定弁護士の大室俊三弁護士は「結論として主張が受け入れられなかったが、私どもが指摘した個々の点はほとんど否定されていない」と無罪判決に疑問を呈した。山本健一弁護士も「争点は、ほぼ我々の主張が認められているが、結論は逆方向」と不満をあらわにした。」
「ほぼ」といってみたところで、肝心要の「共謀」の部分がどうだったのかが問われているわけで、指定弁護士の発想は、単に無罪だったから悔しいというレベルのものでしかなく、とても弁護士(法曹)としての発想とは思えません。
この事件は、検察(特捜部)が政治的動機に基づいて、小沢元代表を起訴したかったにもかかわらず、それができずに不起訴処分となったものであり(政治的動機に基づく不起訴事件ではありません。)、無罪で当然なのです。
検察審査会制度の危険性は、誰の目にも明らかになったわけです。
そして、検察審の補助役を務めた吉田繁実弁護士がこの検察審査会制度の危険性を自認するような発言をしています。
毎日新聞(2012年04月27日)によると、
「「ほぼ事実関係を認め、重要な争点だった秘書の報告、了承を認めながら、無罪としたのは、全く予想外。ここまで詳細な認識が要求されるのなら、政治家本人が政治資金規正法違反で有罪になることはない」と非難するコメントを出した。」
どこが予想外なのでしょうか。
ご自身、朝日新聞(2011年10月5日付朝刊)のインタビューでは、次のように述べていました。
小沢氏の強制起訴と吉田繁実氏
「(1円するかしないかという)コピー用紙には裏紙を使えたと指示された」
↓
「4億円について小沢氏に相談しないはずがない」
これが素朴な疑問だったそうで、客観的な証拠は十分なのだそうです。
この程度の発想しかできない吉田繁実氏にとっては、了承→報告だけで有罪なのでしょう。
しかし、それだけで共謀共同正犯が成立するとなると、故意の立証など不要と言っているのと何ら変わりません。どうみて、弁護士(法曹)の発想ではありません。単なる「市民感覚」のレベルです。
しかも、この人が判決をこのように批判することもおかしな話で、あの検察審査会の結論は、検察審査会に呼び出された審査委員の判断ではなく、吉田繁実氏自身の判断だったということを露呈しているようなものです。「強制起訴」段階で既に、吉田繁実氏自身が有罪の「心証」だったからこそ、「強制起訴」に導いたのでしょう。
検察審査会制度の危険な側面を露呈しています。
さらに、この吉田繁実氏に輪を掛けて危険思想を振りまく人たちがいます。
北海道新聞2012年4月27日付朝刊掲載記事より。
大出良知氏(東京経済大教授)
「検察捜査のずさんさを明らかにしたという点で、強制起訴されて良かったのではないか。」
四宮啓氏(國學院大学教授)
「起訴されたからこそ、秘書の証言や小沢氏の供述を聞くことができた。結論に至るプロセスが国民に見えることが重要だ。」
大出氏も四宮氏も、裁判員制度(検察審査会)の政府の検討会に関わっていたメンバーですが、
裁判員制度・刑事検討会 メンバー
大出氏は、これまでは冤罪防止だなどと叫んでいた学者の一人でしたが、このように政府の検討会に関与するや否や、学者としての魂をいとも簡単に売り渡してしまった人です。
学者としての良心など、大出氏にとっては二束三文だったのでしょうが、このように権力に取り込まれると、発言自体が政府公報に成り下がるという典型を示してくれたのが大出氏でした。
大出氏は、この検察審査会制度については、朝日新聞2010年10月9日付耕論の中でも、暴論をはいていました。(要旨)
強制起訴 大出良知氏の暴論
「民主主義国家における刑事裁判は、国民の負託をうけた裁判官や国民から選ばれた裁判員が公開の法廷で証拠を吟味し、判断するのが本来のあり方。
起訴は一方当事者の主張に過ぎない。
逮捕、起訴イコール有罪とされてきた。
強制起訴権限は、この悪しき制度をただすものだ。有罪か無罪か決めるのは公開の法廷であることを国民目線で求める装置だ。
「素人判断は誤審を招く」とうい主張は法曹のおごりだ。」
要は、有罪・無罪は裁判所で判断すればいいんだ、という次元ものでしかなく、起訴自体が被告人に不利益を与えるものであることを無視した暴論なのです。
しかも、今回の大出氏の主張は、単に検察の捜査の問題です。これが出てきたから意義があったなどと、よくもぬけぬけと言えたものです。
この論理からいえば、別に小沢元代表の裁判に限らず(要は政治家の事件に限らず)、すべての事件で「強制」起訴すべきことになります。
捜査に問題があったからこそ、検察が起訴できなかったともいえるのであって、それもかかわらず、強制起訴を合理化するとは、屁理屈も甚だしいといわざるを得ません。
四宮氏は、よくわかりません。裁判員制度に対する発言もそうですが、この人は、いつも自分で勝手に思い描いた「理想」を語るだけで、この人の頭の中は、どこの世界へ飛んで行ってしまっているのだろうという感じの人です。
今回のコメントも、法科大学院制度を推進する四宮氏ならではのコメントでしょうか。
「結論に至るプロセスが国民に見えることが重要」
だったら、すべての事件において、「強制」起訴したらいいのです。
小沢氏の政治資金問題でいえば、この役目は、あくまで国会です。それを刑事責任を問う裁判(司法権)で代替させるということがおかしいのです。政治責任の追及の場ではなく、目的がはっきりと異なります。はき違えも甚だしいと言わざるを得ません。
http://inotoru.dtiblog.com/blog-entry-513.html
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