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http://gendai.ismedia.jp/articles/-/32407
●なぜ言葉が軽くなったのか?
おかしなことを言う政治家が増えました。
そしてその「おかしさ」の質が年々変化してきているように感じます。
つまり、完全に向こう側の世界に住んでいる政治家が増えている。
神奈川県の黒岩祐治知事は二〇一一年の知事選の際、「四年間で二〇〇万戸分の太陽光パネル設置」を公約として掲げました。もちろん、それが不可能であることはサルでもわかります。同年三月一一日に発生した東日本大震災および福島第一原子力発電所事故による社会の混乱に乗じた悪質な詐欺です。
ところが、この詐欺師が知事になってしまった。これが今の日本社会です。
同年一〇月、記者団が公約の不履行を追及すると、黒岩は「あのメッセージは役割を終えた。忘れてほしい」と返答します。
小泉純一郎は「この程度の約束(公約)を守れなかったことはたいしたことではない」と言い、民主党は「マニフェスト(公約)は努力目標だ」と誤魔化しましたが、「忘れてほしい」というのは前代未聞です。わが国の政治腐敗が新たな段階に入ったということだと思います。
そういう意味では、民主党は人材に欠くことはありません。
元環境相の小沢鋭仁は民主党代表選出馬を目指す際、目玉公約として「原発からの段階的撤退」「電力の直接輸入」を打ち出しました。
「(輸入先は)韓国、中国などいろんな国の可能性があっていい。国と国の間に海底ケーブルを一本引けば全て解決する」(『時事通信』二〇一一年八月二二日)
「日本だって、北海道と青森は海底ケーブルでつながっている」(『ダイヤモンド・オンライン』二〇一一年八月二六日)
正気の沙汰とは思えません。
ライフラインを仮想敵国に預けるという計画は女子高生でも思いつかないでしょう。
要するに、国家の根幹が深い病に冒されている。
東日本大震災はそれを浮き彫りにしました。
民主党広島県議会議員(当時)の梶川ゆきこは、東日本大震災はアメリカが引き起こした「自然改変装置テロ」であるとツイッター上で発言しています。「空母ロナルド・レーガンが破壊力の強い爆弾(小型核)を使って福島3号機建屋を爆破?」などと書き込んでいますが、その根拠としてオカルト系の陰謀論や『ゴルゴ13』を挙げている。
かつて偽造文書をもとに国会で陰謀論を騒ぎ立て、精神に異常をきたして自殺した民主党議員がいましたが、現在民主党議員の多くがオカルトと陰謀論に汚染されています。
二〇一一年一〇月六日、「陸山会事件」で強制起訴された小沢一郎被告は初公判の法廷で陰謀論をぶちあげます。
〈 本件の捜査段階における検察の対応は、主権者である国民からの何の負託も受けていない一捜査機関が、特定の意図により国家権力を濫用し、議会制民主政治を踏みにじったという意味において、憲政史上の一大汚点として後世に残るものであります。
(中略)
この捜査はまさに、検察という国家権力機関が、政治家・小沢一郎個人を標的に行ったものとしか考えようがありません。私を政治的・社会的に抹殺するのが目的だったと推認できますが、明確な犯罪事実、その根拠がなにもないにもかかわらず、特定の政治家を対象に強制捜査を行ったことは明白な国家権力の濫用であり、民主主義国家・法治国家では到底許されない暴力行為であります。 〉
世の中には一定の割合でおかしな人は存在します。オカルト世界の住人もいます。それはそれで仕方がありません。
問題はこうした人たちが、選挙に通ってしまい、挙げ句の果てには政権を握り、強大な権力を手に入れてしまうことです。そして、こうした狂気を生み出したのはわれわれの社会なのです。
●「B層」とはなにか?
なぜこんなことになってしまったのか?
キーワードは「B層」です。
拙著『ゲーテの警告 日本を滅ぼす「B層」の正体』でも説明をしましたが、ここで簡単におさらいしておきます。
B層とは「マスコミ報道に流されやすい『比較的』IQ(知能指数)が低い人たち」です。小泉郵政改革に熱狂し、民主党マニフェスト詐欺に騙され、流行のラーメン屋に行列をつくるような人たちですね。
これは私の造語ではなく、二〇〇五年九月のいわゆる郵政選挙の際、自民党内閣府が広告会社「スリード」に作成させた企画書「郵政民営化・合意形成コミュニケーション戦略(案)」による概念です。
この企画書は、国民をA層、B層、C層、D層に分類し、「構造改革に肯定的でかつIQが低い層」「具体的なことはよくわからないが小泉純一郎のキャラクターを支持する層」「主婦や老人、低学歴の若者」をB層と規定しています(次ページの図参照)。
郵政選挙ではこのB層に向けて「改革なくして成長なし」「聖域なき構造改革」といった小泉のワンフレーズ・ポリティクスが集中的にぶつけられます。「郵政民営化に賛成か反対か」「改革派か抵抗勢力か」と問題を極度に単純化することにより、普段モノを考えていないB層の票を集めたわけです。このように小泉自民党はマーケティングの手法を駆使することで圧勝しました。
この企画書は、国会において「国民を愚弄しているのではないか?」と追及されましたが、私は、わが国の将来がB層の動向にかかっていることを明確に示している点で参考になると思っております。
同時にこれは、ニーチェの《近代》に対する問題意識とも密接にかかわっています。
グラフの縦軸(IQ)は説明するまでもありませんが、横軸(構造改革に対する姿勢)は「日本固有のシステムを国際標準に合わせることに対する是非」「グローバリズムに対する姿勢」と捉えることもできますし、さらに深部を読み取れば「近代的諸価値を肯定するのか、保留するのか」と読み替えることもできる。
つまり、B層とは《近代的諸価値を妄信するバカ》ということになります。
民主主義、平等主義といった近代的諸価値の徹底を目指す勢力を左翼と呼ぶなら、B層とは「少し頭の弱いサヨク」と規定できるのかもしれません。
B層は「改革」「変革」「革新」「革命」という言葉が大好きです。「改革」というキーワードがついていれば、なにを改革するかは別として、そのまま誘導されていく。テレビや新聞の報道、政治家や大学教授の言葉を丸ごと信じ、踊らされ、騙されたと憤慨した後に、再び騙されるような人たち。彼らがB層です。
●五五年体制とユートピア思想
後年、小泉自民党と同じ手法で選挙をやったのが民主党でした。
「政権交代か否か」「民主党の改革か自民党の古い体質か」と単純な対立の構図をつくり出し、マスメディアを利用して政権を奪いました。
もっとも、広告会社を使って世論操作を始めたのは小沢一郎のほうが先です。一九九三年に小沢が細川連立政権をつくったときには、完全にB層の存在が意識されています。その背後では、テレビ朝日がナチス顔負けのプロパガンダを行い、電通EYEをはじめとする広告会社が動いている(椿事件)。
小沢は政治に露骨にポピュリズムを組み込んだ《B層戦犯》です。
あえて陳腐な形に戯画化すれば、五五年体制とは戦後日本社会における本音と建て前を紙芝居みたいな形で国民に提示するシステムでした。もちろん本音を自民党が、建て前を社会党が演じたわけです。社会党の議員といっても頭がおかしいわけではないので(一部を除き)、社会主義を本気で信じていたとは思えません。つまり、彼らは社会党員としての社会的役割を担っていたのであり、同時にそれは五五年体制下における生きる知恵でした。
「建て前と本音を使い分けるのが大人である」という良識が前提として存在したからこそ自民党と社会党の蜜月関係は成り立ったのです。
自民党から推薦がもらえずに社会党から出馬した議員、自民党員と仲のいい社会党員、本音では自民党を支持している社会党議員はたくさんいた。もっと言えば、日本社会は社会党の存在を必要悪として許容してきました。
つまり、政権をとる可能性のない万年野党の社会党は《B層票》を吸収するセーフティーネットとして機能していたのです。そのうえで、自民党内の派閥が本来の政党の役割を果たしてきた。よって自民党内には保守から極左までが同居していました。
決定的に変わったのは細川連立政権からです。
小沢は社会党員を政権与党に組み込むことにより五五年体制を崩壊させます。もともと自民党内の極左であり、生粋の民主主義者である小沢は、政治に建て前を組み込んだのです。旧社会党員は権力の味を覚え、かつての恥じらい、後ろめたさをかなぐり捨てた。こうして、ヨーロッパを血の海に沈めた《ユートピア思想》《人権思想》など、あらゆる近代イデオロギーが現実政治に組み込まれていくようになります。現在の政治の混乱は、直接的にはここに起因します。
こうしたB層票の構造変化により、B層の顔色を窺う《B層政治家》が増え、政治は劣化していったのです。
彼らは、耳当たりのいい言葉を並べて無知な大衆を騙します。テレビ番組に出演して財政的根拠のない減税や福祉政策を唱えたり、流行のトピックに食いついて勇ましい意見を言ったりします。その底の浅さこそが、彼らの最大の武器です。なぜなら彼らの支持層であるB層は、複雑で難解な議論よりわかりやすいキーワードに誘蛾灯のように引き寄せられていくからです。そこでは専門家の意見よりも、B層の共感を呼ぶ意見が尊重される。
こうした動きの中、かつては「B層を騙す側」にいたB層政治家が、B層そのものになりつつある。国防の素人が防衛大臣になり、経済の素人が財務大臣になり、マルチ商法関係者が消費者担当大臣になる。
これこそが、ニーチェが予言した大衆社会の最終的な姿です。
●ニーチェが嘆いた大衆社会
政治の世界だけに限りません。
現在、社会のB層化が急激に進んでいます。
こうした社会においては、商品の中心購買層、マスメディアにとって最大のタブーがB層にシフトします。その結果、B層に迎合した低レベルなコンテンツが社会を席巻するようになる。そこで増幅されたB層エネルギーが社会全体を飲み込んでしまった状態、これがB層スパイラルです。
こうしてB層はわが国最大の権力者となりました。
B層は人間の質を表します。
たんなるバカでも貧困層でもありません。
それは、スペインの哲学者オルテガ・イ・ガセット(一八八三〜一九五五年)が定義した《大衆》の最終的な姿だと思います。
〈 「大衆」とは特に労働者を意味するものではない。わたしのいう大衆とは一つの社会層を指すのではなく、今日あらゆる社会層の中に現われており、したがって、われわれの時代を代表するとともに、われわれの時代を支配しているような人間の種類あるいは人間のあり方を指しているのである。 〉(『大衆の反逆』/以下オルテガの引用は同書)
〈 したがって、社会を大衆と優れた少数者に分けるのは、社会階級による分類ではなく、人間の種類による分類なのであり、上層階級と下層階級という階級的序列とは一致しえないのである。 〉
大衆は近代の産物です。前近代的な階級的序列が消滅し、伝統的コミュニティが崩壊したことにより、都市部を中心に発生した層です。
彼らは《理念》や《抽象的概念》が大好きです。その一方で、歴史によって培われてきた《教養》《中間の知》《手のわざ》を軽視するので、《民主主義》《平等主義》《人権思想》などの近代イデオロギーに直接接合されてしまう。
わが国においてもこの動向は変わりません。
B層社会においては《常識》《良識》《日常生活のしきたり》が廃れていきます。知が軽視され、無知であることが称揚される。バカがバカであることに恥じらいをもたず、素人が素人であることを誇りに思い、圧倒的自信をもって社会の前面に出ていく。
こうした状況をニーチェは《終末の人間の時代》と呼び、オスヴァルト・シュペングラー(一八八〇〜一九三六年)は《冬の時代》と呼びました。
ヤーコプ・ブルクハルト(一八一八〜一八九七年)は《生活形態の崩壊》に、ハンナ・アレント(一九〇六〜一九七五年)は《中間組織の解体》に、三島由紀夫(一九二五〜一九七〇年)は《生活体系の破壊》にその兆候を見いだします。
理念の前に来るべき《共同体の慣習》《歴史感覚》が破壊された結果、分断された個人が根無し草のように流されていくようになります。
こうした社会が全体主義(民主主義)に移行するプロセスについては、多くの文明論においてすでに精緻に検証されています。だから、すべての責任を政党に押しつけたり、政治家個人の表層的な問題を指摘しても意味がありません。
「国民議会の成立がなぜ恐怖政治に行き着いたのか?」
「ヴァイマル共和政がなぜナチズムを生み出したのか?」
こうした問題と同様、戦後日本社会が生み出した民主党の本質について文明論の視座から検証する必要があります。第二章で述べるように、民主主義はきわめて危険なイデオロギーです。
要するに、民主党そのものよりも日本社会に根強く残る《民主的なもの》こそが問題なのです。
●日本人の人生観
わが国のB層社会は、どこに突き進んでいくのでしょうか?
結論から言えば、明るい展望はありません。ソフトランディングを目指すのなら《民主化》の流れを食い止める必要がありますが、近代イデオロギーは擬似宗教なので、あらかじめブレーキが失われています。社会のB層化はますます進行していくはずです。
B層は絶対に反省することがありません。無制限に拡大した権利意識と被害者意識がB層の行動を規定します。郵政選挙で騙され憤慨し、再び民主党のマニフェスト詐欺に騙され失望し、将来にわたり「騙された!」と喚き続ける存在がB層です。
より正確に言えば、B層は民主党に騙されたのではありません。
騙されたかったのです。
耳当たりのいい理念、《進歩的》なイデオロギーを掲げた集団に盲目的にしがみつきたかったのです。
山本七平(一九二一〜一九九一年)は『日本人の人生観』で次のように述べます。
〈 戦争直後にも「騙された」は流行語だったんですが、私はフィリピンから復員して内地の土を踏み、この言葉を聞いた瞬間、実に変な気持がしたわけです。というのは「騙された」という以上「騙した」人間がいるわけです。とすると、日本を徹底的な敗戦に導いて破滅さすため、全日本人を「騙す」という大陰謀に成功した超人的人間がいたはずなんです。 〉
もちろん、そんな人間は存在しません。
〈 ですから別に騙されたわけじゃないですね。騙されたとすれば、騙された本人が自分を騙していたわけで、結局騙された人が騙されたかっただけなんだと言うことになります。 〉
B層は何度でも同じ詐欺に引っかかります。DV男やヒモから離れられない女と同じで、別れても別のDV男やヒモを見つけてきます。B層とはそういうものです。
よって、B層を説得、あるいは論破しても無駄です。われわれが行わなければならないのは、B層、B層政治家、B層知識人の生態と行動パターンを分析し、狂気の時代において正気を保つ努力を怠らず、来るべきカタストロフィに備えることだと思います。
●アザラシ「あらちゃん」に住民票
B層の急拡大により、あらゆる価値が混乱するようになりました。
一流のものと三流のもの、玄人と素人、プロとアマチュア、男と女、本音と建て前、専門家の意見と床屋政談、すべての境界があやふやになっています。
素人が玄人の仕事に口を出すようになり、誰もが当然その権利をもっていると信じ込んでいる。
服飾評論家が外交問題についてコメントし、半可通が鮨屋で符丁を使い、自称グルメが携帯電話で料理を撮影し事細かに論評を述べる。大物落語家が死ねば、弟子でもないのに「師匠、師匠」と騒ぎ立てる。その落語家の世間に対する怒りと諦めが混在したような表情を思い出さざるを得ません。
日本社会は現在狂気に飲み込まれています。
多くの兆候がそれを示しています。
埼玉県志木市は荒川に現れたアザラシ「あらちゃん」に住民票を交付しました。和歌山電鐵の貴志駅では三毛猫の「たま」が駅長に就任している。佐渡市で放鳥されたトキは新潟大学の学生証を取得しています。
マスメディアはこれを「微笑ましいニュース」として扱っていますが、近いうちに笑えなくなる状況が来るはずです。動物を擬人化するのは、歴史的に見て全体主義の兆候です。
かつてキリスト教国では動物が裁判にかけられました。フランスでは南京虫が銃殺刑に処せられます。江戸幕府第五代将軍徳川綱吉(一六四六〜一七〇九年)は「生類憐みの令」を制定し、犬猫だけではなく、鳥や昆虫、しまいには貝の権利まで唱えました。ヨーロッパで最初に動物愛護法を制定したのはナチスです。
こうした狂気はなぜ発生したのか?
一見、ばらばらに見えますが、これらの事例は、ある大きな流れの中で生じています。
ジャン=ジャック・ルソー(一七一二〜一七七八年)は、『人間不平等起源論』で動物は《自然権》(生まれつき備わっている普遍的権利)をもつと言います。
〈 人間は一般に認められているように、本来お互い平等である。それはちょうど、どの種類の動物たちでも、さまざまな物理的な原因によって、そのあるもののなかにわれわれが認めるような変種を引き起こす前には、平等であったのと同じである。 〉
〈 しかし、彼らにそなわっている感性によれば、いくらかはわれわれの自然とかかわりがあるのだから、彼らもまた自然法に加わるべきであり、そして人間は彼らに対してなんらかの種類の義務を負っている、と判断されるだろう。 〉
第二章で詳しく説明しますが、こうした発想の根本にあるのはキリスト教です。
動物が《自然権》をもつなら、肉食は許されないし、裁判を受ける権利もあるし、住民票を取得する権利もあるし、新潟大学の学生になる権利もあるというわけです。
菜食主義団体や動物愛護団体がテロ組織化するのは、こうした事情によります。彼らは狂気の集団ではなくて、キリスト教および近代イデオロギーが生み出した《理性的》な集団なのです。
●世の中にはくだらないものが溢れています。
そしてその「くだらなさ」には思想史的根拠があります。
青年期のニーチェも世の中の「くだらなさ」に苦しみました。
ニーチェは同時代のドイツ文化に吐き気を覚えていました。
そして「くだらなさ」のルーツを繙いていったのです。
「彼が或る騒々しい賤民的な時代のなかへと投げ入れられて、そういう時代とは一つの鉢からいっしょに食べたくないと思うなら、彼は、飢えと渇きのあまり、あるいは、彼が最後にはそれでもやはり『手を伸ばして取ろうとする』場合には、---吐きけのあまり、とかく破滅しかねない。これが、私の青春の、つまり、飽くことを知らず、憧憬をいだき、孤独を余儀なくされた青春の危険であったのだ」(『生成の無垢』)
私たちは今の時代という鉢の中にあるエサをいつまで食べ続ければいいのでしょうか?
B層コンテンツを吐き気を我慢しながら消費すればいいのでしょうか?
B層政治家の暴走をいつまで放置しておけばいいのでしょうか?
どこにわれわれの敵がいて、どこにわれわれの味方がいるのでしょうか?
ニーチェの大著『ツァラトゥストラ』の冒頭にその答えがあります。
※ニーチェの警鐘 日本を蝕む「B層」の害毒 著者:適菜 収
(講談社刊) 21〜39ページより抜粋
※適菜収(てきな・おさむ)
1975年、山梨県に生まれる。作家。哲学者。早稲田大学で西洋文学を学び、ニーチェを専攻。卒業後、出版社勤務を経て、現職。
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