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43年ぶり“国境線”で 海上集会開催 投稿者 gataro-clone
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http://www.qab.co.jp/news/2012042835212.html
http://kwout.com/cutout/a/b7/w5/az8_bor.jpg
北緯27度線 43年ぶり 海上集会開催(琉球朝日放送)
かつて、国境で沖縄の祖国復帰を求めて繰り広げた海上集会が28日、43年ぶりに開催されました。
海上集会は、復帰前の1963年から69年にかけて、沖縄本島の最北端・辺戸岬と鹿児島県の最南端・与論島の間にかつて存在した国境・北緯27度線で開催されたものです。
国頭村と与論町の復帰40周年事業として43年ぶりに開催された28日の海上集会には、両地域からおよそ130人を乗せた25隻の船が集結。
船べりを近づけて堅い握手を交わしたり「沖縄を返せ」と大合唱するなど、かつて、復帰を切望し、声をあげた先人たちの思いをたどり改めて、復帰を見つめ直しているようでした。
このあと、陸上ではかがり火集会が行われます。
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http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120428/k10014791771000.html
http://megalodon.jp/2012-0429-1110-08/www3.nhk.or.jp/news/html/20120428/k10014791771000.html
43年ぶり “国境線”で海上集会(NHK)
4月28日 18時50分
沖縄が日本に復帰して来月で40年になりますが、祖国復帰を求めて、沖縄と鹿児島の間の海の上にあった国境線で行われていた「海上集会」が、28日43年ぶりに再現されました。
この海上集会は、敗戦後の日本が主権を回復したあとも昭和47年までの20年間、アメリカの統治が続いた沖縄と鹿児島の間にあった国境線で、祖国復帰を求めて一時期開かれていたものです。
日本が主権を回復した日付に合わせて、28日その集会が43年ぶりに再現されました。
沖縄県最北端の国頭村と、鹿児島県最南端の与論町をそれぞれ出港した25隻の船が、“国境線”だった北緯27度線付近の洋上に集いました。
船が横付けされると、乗っている100人余りが互いに固い握手を交わしたあと、「二度とこのような悲惨な歴史を繰り返すことのないよう、恒久平和に向けて努力することを誓う」と宣言文を読み上げました。
そして、当時歌われた祖国復帰を求める歌を全員で合唱し、分断の歴史を振り返るとともに、互いの絆を確かめ合いました。
国頭村の宮城久和村長は「沖縄に今なおアメリカ軍基地がある現状は、われわれが求めていた日本復帰の姿にはほど遠い。復帰とは何だったのか、改めて考える必要がある」と話していました。
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http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-04-29/2012042901_04_1.html
「しんぶん赤旗」 2012年4月29日(日)
祖国復帰40年 基地ない沖縄返せ/4・28海上集会再現
日本を形式的に「独立」させたサンフランシスコ条約と「全土基地化」を明記した旧日米安保条約が1952年4月28日に発効して60年。28日、「沖縄の祖国復帰」を願い、沖縄と本土が連帯し、1963年から毎年、4月28日に北緯27度線で行われてきた海上集会が再現されました。「4・28」はサ条約で沖縄、奄美、小笠原が本土から切り離され、沖縄の人々にとって「屈辱の日」。本土では日本の独立以後は全面撤退するはずだった米軍が安保条約をたてに居座ることになった日でもあります。 (山形将史、山田英明)
沖縄復帰40年記念事業の一環として同村と鹿児島県与論町の共催で再現された海上集会は、63年から沖縄と本土の境界線だった北緯27度線上の海上で開催されていました。
港から約1時間半、波が船体にゴツン、ゴツンと打ちつける中、沖縄側(国頭村)と本土側(与論町)の船が徐々に接近。指笛と汽笛が響く中、参加者が互いに固く手を握り合いました。
海上で調印された「友好平和宣言」は、72年5月15日の祖国復帰から「早くも40年の月日が経過したが、未(いま)だに全国の米軍施設の74%が沖縄県に存在し、今でも事件・事故が後を絶たないのが現状である」と指摘。「戦後67年の歴史をきちんと互いに理解し、これからも後世に歴史を伝えていく責務がある」と呼びかけました。
65年の海上集会に参加した男性(68)=浦添市=は、「今でも毎日のように基地をめぐる事件・事故が起き、解決すべき課題が残っています。集会が決意を新たにする機会になってほしい」と語りました。
小学1年生と4年生の息子を連れて北谷町から本島最北端の辺戸岬に来た女性(39)は、「宜野湾市出身なので、米軍基地の問題はいつも気になっています。復帰以前のことや復帰当時のことを知りたいし、子どもにも知ってほしい」と海上を見つめながら語りました。
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【関連記事】
海上集会43年ぶり再現 国頭と与論、絆の継承誓い合う(琉球新報)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-190595-storytopic-1.html
> 【北緯27度線海上集会で仲村良太】国頭村と鹿児島県与論町は28日、奄美群島が1953年に本土復帰した後に、国境となった北緯27度線で、沖縄の本土復帰を求める「海上集会」を43年ぶりに再現した。
「復帰要求海上集会」を再現 27度線で国頭、与論代表が握手(琉球新報)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-190583-storytopic-1.html
> 【北緯27度線海上集会で仲村良太】沖縄が日本から切り離されることになった1952年のサンフランシスコ平和条約が発効して60年を迎えた28日、復帰40年の節目に分断の記憶を後世に語り継ごうと国頭村と鹿児島県与論町はかつての国境、北緯27度線で、43年ぶりに「祖国復帰要求運動海上集会」を再現した。
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