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行きつけの「琉球ホルモン」に行った。ホッピーを頼み、牛ホルモン・はらみ・ナンコツ・ゴーヤ・もつ煮を注文した。開店直後のせいか客は他に一人しかいない。カウンターに七輪が運ばれ注文したものが届く。カウンターには今日の朝刊が置かれている。肉を焼きながら熟読する。そこにあったのは「朝日新聞」。数年前からうちでとるのを止めた新聞だ。昨日の今日だけに「小沢無罪」に関する記事がたくさん載っている。読んで驚いた。驚いたというよりも、ああここまでこうなんだという気持ち。やっぱりこの程度なんだなという失笑。この人達にとっては「無罪判決」なんて何の意味も持たないようだ。そんな判決が出たとしても許さないぞ、おまえはどこまでも怪しい奴なんだからという気持ちでこり固まっている。自分がそういう論陣を張ってきて、小沢氏が代表選に出馬した時、開いた口がふさがらないと漫罵したいきさつもある。ここで無罪なんて認めたくないという気持ちは判らないでもない。しかし無罪という判決が出たこと。これを認めなければ、社会生活を営む大人としての資質が問われることが判っていないのだろうか?
戦争責任をうやむやにしてきた日本社会は、実際とてつもない責任のあるべき多数の人間を温存してきた。腹を切って責任をとった人々がいる一方、真摯な総括抜きに涼しい顔をして無責任を決めこんだ旧権力者たちがいた。その立ち居振る舞いは戦後無責任体制として、今の原発事故にまでつながっている。戦争に負けた、原発事故を起こしたという事実をまっすぐ受け止めなければならないにもかかわらず、その責任を取ろうとしない。「小沢無罪」という事実を前にして、あたかも有罪を既定事実のように国民に情宣し続けた責任はどうなるのか。判決後のやっぱりあいつは悪いんだよなあと言い続ける権利を持っているとどうして錯覚できるのか。潔さを知らない物書きはみっともない。酔いの回った頭の中で、恥を知れという言葉が沸き出してきて仕方なかった。
福井孝典ホームページ・常住不断http://plaza.rakuten.co.jp/fukuitakanori/diary/?ctgy=1
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