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(回答先: あらゆる混乱の変遷を経て、社会資本は収奪され、産業資本は国外流出し、隣接する二つの超大国がこの国を分割統治 (独りファ) 投稿者 乃依 日時 2012 年 4 月 27 日 11:53:07)
http://kyosukeyamashina.blog62.fc2.com/blog-entry-1154.html
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『ファシズム』 と 「ハシズム」 解読に際して
2012.04.25 (Wed)
時間があるということは案外困ったもので、考えなくても済む余計なことを考えてしまう。
時間が無くて考えることも出来ないのはもっと困るが、あり過ぎるのもねえ。(笑)
これで、お金でも入ってくれば、何も文句はないのだけれど。(爆)
そこで、超がつく暇人として、柄にもなく生意気に俯瞰してみると、気づきの発露として覚醒した日本人は次第に増えてきたものの、依然、多くの日本人は “はめられて” いて、考える時間を持てないようにセットされている。
理由は単純で、借金奴隷としての 「家畜化」 が進行しているからだが、今になって、さすがに大宅壮一だな、と思う機会は多い。今後、「一億総白痴になる」 とテレビを批判したのだが、彼の中に電通や日本テレビ放送網、あるいは、米国イスラエルロビー勢力といった感覚があったのかどうかは大いに疑問だ。しかし、彼の直感に間違いはなかった。
そして、これも確かなことなのだが、彼の娘はアホだということだ。(爆)
今日は有り余る時間を遣って・・・・、というか、いつものことなのだが、テキトーにあるブログを解読し、そしてそれから連想してしまうこれからの日本に影響を与えるか与えないかの瀬戸際にいる “青年” のことを少し書いてみようかと思っている・・・・
のだが、例によって、これから先、どうなるかは保証できない。(笑)
その “青年” は、まだ顔が真っ当だ。
多くの政治家が権力の座につくと次第に顔が変形してきて、悪人顔、あるいは蝋人形みたいになってしまう原因は解っているつもりだが、彼に関しては、バックに意味不明な勢力がついているという説があるにせよ、今の段階ではその顔の表情に変化を認められない。
政治家が変容したと認識できるのは、顔を見るのが一番良い。
その点、小沢一郎という政治家は、最初から悪人顔であったかどうかは定かではないが(笑)、一向に顔の変化が無いのに驚く。
まっ、最初からワルだからしょうがないのだろうが、私はそのワルがものすごく好きだ。
政治家は清潔だとか、潔癖だとか、原理主義だとか言われているうちは、たんなる、ぼんぼんに過ぎない。
いきなりなのだが、ここで少し寄り道をして余談をひとつ。(笑)
橋下徹の細々とした言動が取りざたされているのようなのだが、今と今までの彼の政治的スタンスを考えるとき、見逃してはならない観点がある。
これは、関東以北に生活圏を維持している人間達には理解し難い思考体系を橋下は持っていて、それを躊躇なく実行している点だ。
社会学者である宮台慎治が言っていることなのだが、大阪は東京と違って、特殊事情があるというのだ。宮台は関西で育っているので、それが生理的に解ると言っている。
あのような公務員に対する検閲まがいの方法も口元チェックも、ある程度はやむを得ないらしい。
東京からでは伺い知れないような組合利権だとか様々な利権があって、公務員が市役所に限らず図書館の職員に至るまで東京と比べれば遙かに横柄だという。多くの利権が民衆の眼前に成立しているらしい。
したがって、東京と同じには扱えない。
「参加の自治」 という民主主義の本義が関西では達成されておらず、東京の人間は、大阪や京都のリアリティが解っていない・・・・と。
つまり、東京の感覚だけで批判するな、という意味だ。
さて、そのブログに投稿されたあるコメントに触発されて、その文章の最後に掲載されている様々な写真を見てみると、確かに、ある傾向が存在する。
これは恐らく、意図的に選択されたもので、もし意図的でないとしても、彼の潜在意識下において、無意識なる意識が働いた結果だろう。
そこには、
男どもからの抑圧(国家権力)に抵抗する女たちと、その被害者である幼気(いたいけ)な子供たちという構図が繰り返し繰り返し表出されている。
男どもはいつも女性たちに横暴で、いじめ、苦しめ、その子供たちは常に時代の被害者であり続けるということをメタファーしている。
極めて硬質な文章が表出しているその現実世界は、一番下の一枚の写真が語りかけるように、我々はこのような状況下に存在し、それはやがては自分たちの身に降り掛かってくるのだということをイメージしている。
それは、圧倒的な国家暴力に対峙する女性たちであり、常に敗北の結末をむかえるのだが、それでも彼女たちは、その無謬の抵抗をやめようとはしない。
実は、ここにこそ問題解決の鍵が潜んでいるのだと、あたかも作者は言いたげなのだ。
そして、どういう訳か、その写真は日本のものが一枚もない。一枚も・・・・。
当然ながら、男の暴力は国家そのものを表し、抵抗し逮捕される女性たちは、人間の良心を指し示している。その狭間で子供たちは、時代の思惑と手に負えないほどの大きなエネルギーに翻弄され、やがてはそれに呑み込まれて行く。
ここに、悪の連鎖が想像され、その再生産を止められない。
管理社会が何を目指し、どの様な共同体の姿を目論んでいるのかを考えるとき、恐怖は底知れぬ実在となって自身の身から湧きでてくる。
断片であり、思考の源泉である 「ver.0.1」 は、“である調” で書かれ、本編は “ですます調” に直されて記載されている。
ともに同じ文章なのだが、この巧妙な言い回しは、作者の狙いが成功しているようだ。
人間存在、コミュニティや共同体の本質を掌(つかさど)る女性と子供の映像を事あるごとに取り挙げるということは、彼の本質の一部がここに表出されていると考えて良く、それはまさに、ある意味、彼は “男の児” だと断言して差し支えないだろう。
冷たく言い放った硬質の文章から想像するその世界は、凍り付くほど殺伐として哀しく、それでいてその情景を冷静に見つめている作者の優しく温かい精神を感じる。
そして、最後までその文章を読むと、その下に一枚の写真が掲載されている。
逃げることなく、思考を停止させることなく、こういう悲惨な現実を直視せよと、その写真と作者は言外に訴えているようだ。
ここで、昨今話題の現大阪市長である橋下徹とその周辺思想等について、少し感想を書いておこう。
現状日本の政治経済状況およびその支配体制と国民感情について、『独りファシズム』 の作者であるYukino氏は以下のように述べている。
社会資本寡占という国家の内在論理が露呈し、生命は日々ごと粗暴に扱われ、既得権益者と一般国民の二項対立の軋みはさらに激しさを増している。(中略) あらためて認識すべきは国政が民主的選挙により政治者へ委ねられているという fallacy(錯誤)だろう。議員立法の通過率は僅か10%程度にすぎず、可決される法案の90%が官僚の起草した内閣立法であり、この国の意思決定は官吏が掌握しているのであり、つまり議会制民主主義とはfake(虚構)にすぎない。敷衍するならば行政統治の上部構造としての官僚機構、多国籍資本の下部構造としての官僚機構に生命は弄ばれているのであり、個々は無機質に交換可能な、あるいは消耗指数的な準拠物とみなされている。
http://alisonn003.blog56.fc2.com/blog-entry-194.html
つまり、まだ国会議員の資格も経験もない橋下徹ごとき人間の言動を、ことさら大袈裟に取りあげ、些細なことを無造作に拡大解釈して、それをファシズムの根源のごとくハシズムと揶揄する人間たちは、まったく国家の俯瞰、我が国の状況が理解できていない証拠であって、そういった幼稚な発想自体が国家国民のマチュア(mature)を阻害していることに気づかねばならない。
何度も言うようだが、政治は結果責任であり、それに携わる人間が良心を持とうと、悪意を持っていようと、そんなものは関係がない。要は、国民サイドから言えば、如何に自身の生活向上にその政治家が貢献したか、という、ただその一点のみで判断すれば良い。
国家の行く末や世界見地からの歴史的判断など、未来の歴史学者たちに委ねるのが順当であり、認識は、我が国は官僚社会主義国家の様相を呈し、すでに立派なファシズム国家であるという揺るぎない現実から出発しなければならない。
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