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4月26日(木)
山口二郎北大教授の民主党政権の「挫折」についての検証
『現代の理論』第30号(終刊号)に掲載された山口二郎北大教授の論攷は、「民主党政権の挫折が明らかにしたもの−日本政治の壁に抗する一条の光を求めて」というものです。民主党政権はまだ倒れていませんが、山口さんにとって、それはすでに「挫折」したものと捉えられています。
まだ生きているのに、弔辞を読み始めたようなものです。さしずめ、「民主党よ、お前はもう死んでいる」と言いたい気持ちなのでしょう。
この論攷には興味深い指摘がたくさんあります。例えば、次のようなものです。
まず、「思想のない政治という実験」という表題の下に、次のように書かれています。
「民主党政権は、思想を持たない政党が権力を持った時に政治がどうなるかという実験を行ったと評価することができる。」
「まさに民主党は小選挙区制が作った政党であった。それは、政治家が小選挙区制を生き残るための方便であった。」
「『生活第一』が、いわば自民党政治への反射にとどまり、思想のレベルにまで深まっていなかったことに民主党政権の失敗の最大の原因があった。」
「民主党は政権交代を自己目的とし、目指すべき日本社会のビジョンを共有しないまま政権に就いた。政権交代の成果を焦って形式主義的な制度変更を急ぎ、政策転換の中味が伴わなかったというのが私の総括である。」
次に、「日本政治における左派の限界」という章では、次のような指摘があります。
「左派の限界には、主体の脆弱さとという問題と、日本の政治構造におけるある種の変更という問題の二つがある。」
「私には、社民党の自己満足が鳩山政権の寿命を縮めたとしか思えない。」
「政策と政局の両方で戦える政治家集団を作り出すことが、左派の課題である。」
「日本の権力構造の中に左派を周辺に追いやる偏向が存在するrというのは、陰謀論や被害妄想ではないと思う。」
「無意識のうちに結果的に大きな不公平を作り出し、報道の正確性という職業倫理さえ曖昧にするという点に、権力構造の歪みが現れている。」
さらに、「日本政治における対立軸の行方」という章でも、次のような文章があります。
「現在の日本政治にとっての最大の問題は、政党政治の破壊が流行となっていることである。」
「民主党による政権交代が、政治に対する不信をいっそう強め、民主政治崩壊の引き金を引いただけとなるならば、政権交代の旗を振ってきた我々も、その罪万死に値するということになる。」
「これから次の総選挙に向けて、基本政策の大規模な修正が不可避となる。その際の実務をになうために保守とリベラルの連携が必要となる。あえて単純化すれば、税・社会保障改革は推進し、生活保障の政策を一層拡充しつつ、TPPについては慎重に対処するというのが国内政策の基本姿勢である。」
一読して、日本政治の現状に対するペシミズムと危機感が溢れているような印象を受けました。とくに、「政権交代の旗を振ってきた我々も、その罪万死に値する」という文章は痛切です。
山口さんは、かつて「政治改革」の旗を振り、「その間違いを素直に認めるべき」だとして「一時は選挙制度改革を推進する言説を発表したことに対して責任をとらなければならない」と反省されました。今また、「政権交代の旗を振って」、その挫折を認め、「その罪万死に値する」と反省されています。
何とも痛ましい姿であり、自民党政治の転換を願ってきた私としても残念きわまりない気持ちです。
山口さんの主張の多くには、私も異論はありません。ただ、「政治家が小選挙区制を生き残るための方便」が民主党だったと書かれていますが、そのような「方便」を強いるような政治改革には、山口さん自身も関わっていたのだということは指摘せざるを得ません。
小選挙区制が導入されたために民主党のような「方便」政党ができ、そのような政党による政権交代であったがために今日のような無惨な「挫折」がもたらされたのではないでしょうか。そうだとすれば、山口さんは、20年ほども前に犯した過ちのツケを、今、払わされているということになります。
何という皮肉な巡り合わせでしょうか。「政党政治の破壊」や「民主政治崩壊」の淵源は、政権交代そのものではなく、民主党のような「思想を持たない政党」、「いわば自民党政治への反射にとどまり、思想のレベルにまで深まっていなかった」政党、「政権交代を自己目的とし、目指すべき日本社会のビジョンを共有しない」政党に、その事業を委ねざるを得なかったという点にこそ、あったのですから。
そして、今の日本政治が直面している最大の隘路は、それに代わる可能性のある政党が自民党しか存在していていないという点にあります。それもまた、小選挙区比例代表並立制による「二大政党化」がもたらした結果なのですから、小選挙区制の罪深さに暗澹とするばかりです。
最後に、山口さんは「原発事故は、日本の市民を覚醒させる大きな契機となるかも知れない。政治的な意思表示が普通の人のすることではないと思われていた社会から、公共問題についていいたいことを自由に発言し、運動するという社会に変化する兆しはある」と書いて、「日本政治の壁に抗する一条の光」を見出しています。私も、その「光」に望みを託したいと思いますが、小選挙区制の「壁」は、その「光」さえも遮ってしまうかも知れません。
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