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大善文男裁判長は今度の田代元検事の「ニセ捜査報告書」作成が、田代氏の単独犯ではなく、検察当局の「組織的不正があった」と断言されたが、リクルート事件の取り調べ・検面調書作成の場合を参考に見ておくと村木事件も小沢事件も理解しやすい(小生の阿修羅:“無理を重ねれば誰にも道理が見えてくる!公正なルールが力を持つ社会 ..)も参照されたいが。
検面調書は いかに採取され、作成されたか!
リクルート創業者・会長江副浩正氏の取り調べは、宗像紀夫検事と神垣清水検事の担当で始まる。その後、宗像氏は主任検事になる。 「神垣検事は私に賄賂と認めさせようとする。私は否認。検事が怒鳴り出す。私が黙秘、検事も黙る。延々とにらみ合いが続いていた」。雑談の折、検事は「調書がなかなか作成できないので、僕はヘッドクォーターから、『いつまでぼやぼやしているんだ』と叱られているんだよ。 部長(松田昇)は叱らないがヘッドクォーターは鬼の吉永祐介(最高検察庁公判部長を務め東京地検に検事正として戻ってきた人である)と言われていて、検察庁でも有名な怖い人なんだ。僕の立場も察してくれよ」と。「君なぁ、調書作成に協力しないと、長期拘留になるよ。長期拘留はつらいぞ。ここから縄で繋がれて毎週裁判所に通うんだよ。今回の容疑は、何か利益を得たような『請託贈賄』でなく『単純贈賄』だ、裁判で十分争えるよう、君の言い分も調書に盛り込む。有罪にはなるが執行猶予だ。調書作成に協力してくれれば、君を早期に保釈する。ヘッドクォーターもそのことは了解している」
「アメリカの裁判は闘いの文化だが、日本の裁判は謝罪の文化だよ。認めて謝れば情状が酌量される。弁護士は真実に反する調書に署名をするなと言っているだろうが、その姿勢を貫くとかえってまずい結果になる。僕を弁護士と思い、僕の言うことを信じてくれよ」「自らの非を認め謝罪したため、情状が酌量されて執行猶予になった」といった判決を新聞やテレビで見聞きしていたので、検事の言うことは本当だろうと思ったが、非がないのに非を認めることはできないと、否認を続けていた。検事は「君のそのような態度だと、ヘッドクォーターは位田(社長)逮捕の指示を出すだろうなぁ」と脅してきた。大阪支社の顧問弁護士の笹川俊彦先生が接見に見えた際、「江副さんの弁護士は人権派のようだが、事実に反する調書に署名したらあかんと言うかもしれへんが、結果はたいてい同じで、あとでむなしい思いをするだけや。ここは検察官が作る調書に署名して早期保釈を受けた方がええ。あんまり頑張りなさんな」と言われた。
ロッキード事件では、田中角栄元総理の調書は一通もなかったが、自殺した運転手や丸紅の檜山廣社長、元総理の秘書の榎本敏夫氏らの調書で実刑になったことを私は知っていた。私の場合も、私自身の調書が無くても有罪にされるかもしれない。そうなれば弁護士の先生の言うとおり、むなしい思いをするだけだろうとも思った」
3月4日、結局、位田逮捕への恐怖心から抵抗できなくなり、検事作成の調書に署名した」。これにより、NTTルートで取締役二名への贈賄罪で起訴されることになった。
3月6日に再逮捕された。逮捕状には眞藤恒NTT会長の名前があった。そこで江副氏は再び否認・黙秘に転じた。逮捕前の任意の取り調べの段階で、宗像検事作成の調書にすでに署名していた。「村田さんへの株譲渡は、眞藤さんを念頭に置いたものであった」という趣旨のもので、署名したとき、宗像検事は「これでいい」と満足げであった。それを神垣検事に言うと「眞藤と村田が繋がらない。だからお前が直接、眞藤に電話をした方針に決まったんだ。お前は眞藤に電話をして直接話しているんだ」と、厳しく追及してきた。「眞藤に電話はしていません」「そのような態度だと、弁護士の接見を禁じる。弁護士の逮捕も考える」検事はそう言って脅したが、それでも私は否認を続けた。(接見時に弁護士に聞いたところ「戦後は捜査弁護士の逮捕はありません。安心していいですよ」と言われたと。
膠着状態が続いたあと「君にそういう態度をとられると、立つ瀬がないんだよ。ヘッドクォーターに叱られ続けている。逮捕した以上、取調検事は裁判で有罪にできる調書を取らなければならないんだ。君もつらいだろうが、僕もつらいんだ。俺の立場も考えてくれないか。裁判で争えるよう、ぼかした調書にする。ここはいったん署名して、後は裁判所で争うようにしてくれないか。お願いだ!」検事は懇願するように私に語りかけてきた。(同書147頁) この頃、検事はひどい腰痛で苦しんでいた。「腰がものすごく痛い。医者に行きたいが、調書が取れないと医者にいけない。協力してくれ。頼む!」「つらそうな検事の言葉に、突然涙が私の頬をつたった。検事に感情移入した涙だった」と。 「求刑は検察が起訴時に決める。被害者のいない事件だ。起訴時の求刑は軽くできる。起訴時の求刑と論告の求刑とは同じだ。調書には君の言い分も書く。早期保釈はヘッドクォーターも了解している。頼む」
3月13日。「今日の夜、宗像主任検事がここに来られる」宗像検事が取調室に来た。
「君に悪いようにしないから、眞藤の取り調べに是非協力してもらいたいんですよ」と。すでに任意で「調書をお取りになり、これで十分だと言われたじゃないですか」 「それが、村田は自分の一存でやったと言い、眞藤は自分は知らなかったと言っている。眞藤と村田が繋がらない。そこでお願いなんですが、あなたに協力してもらいたいんですよ」
4月18日。「裁判所で十分争える調書にしておく。早期保釈を受けて裁判で争うようにしてくれないか。ネゴシエーションだと主任も言っておられる」早期保釈を得るため、私はこれまでにいくつもの調書に署名している。悲しいことに、私はもはや抵抗する気力を失って、一回目の調書が完成すると署名した。 「これでいいだろう。主任の許可をもらってくる」と検事は席を立って出ていったが、15分ほどで戻ってくると、「主任に『これではだめだ。趣旨がまだ弱い』と言われた。すまんけど、もう一度取り直させてくれないか」そう言って、二回目の調書の草案を私の前で書いた。「ここまで来て、君に抵抗されたら困る。頼む、署名してくれ」たたみかけてくる検事に抵抗できず、私はその調書に署名した。
政治家に関する検面調書を取った時(江副氏からは「取られた」)「検察調書の本質」を教えてくれる、宗像主任検事は江副氏に言う:
「特捜がここまで調べて何もなかったでは収まらない。中曽根がダメならせめて藤波(官房長官)ぐらいはあげなければならない。君の言い分も汲む。藤波へのコスモス株譲渡の趣旨を、政治献金七〇、謝礼三〇の割合にした調書を作り、あとは裁判所で争うように してもらえませんか。それで折れてもらえないと捜査を終えられないんですよ」NTTルートでは、神垣検事に「五〇対五〇の調書にして、あとは裁判所で争ってくれないか」と迫られたが、藤波先生については七〇対三〇に後退していた。 「それと…。すまないが、盆暮れに藤波に渡していた政治献金も二〇〇〇万円分だけ、お礼だったと調書にいれさせてくれないか。収賄の時効は五年、贈賄の時効は三年だ。君の方は時効だ。それと、六〇年暮れ以前の政治献金は外すことに決めた」 私は、献金を始めたのは五九年からではなく、もっと前からだと話したが、検事は、公邸訪問以前の政治献金のデーターはないと言い張った。「…あなたも政治的空白を避けたいでしょう。私も思いは同じだ」(後から証明書は出てくる。検事は嘘は 検事調書のための方便だと思っているようだ」印象派) 思いは同じだが、応じると藤波先生が起訴される。応じなければ政治的な空白が続く。私の心の揺れを見てか、宗像検事は声を落として話しかけてきた。「藤波を調べ始めたら、新聞記者に藤波はいつだと毎晩催促されて、僕も困っているんですよ」「協力してくれ ませんか。お願いしますよ。現金ではなく所詮株の譲渡話、株は値上がりもあれば値下がりもある。起訴時の求刑は執行猶予がつくようにします」と、何度も繰り返した。…。私は宗像検事からの申し出を断った。「このままだと、もう一度君を逮捕することになる。位田も逮捕するぞ」と力なく語る宗像検事。二人の間には沈黙が続いていた。局面を打開するには、いったん調書に署名して、裁判で争うしか道はなかった。私は言った。「分かりました。裁判で争える調書であれば署名します」「ありがとう。藤波への金は政治献金であるとの君の言い分も十分入れた調書にする」と言い次のような要旨の調書を作成し、その調書に署名した。宗像検事は「よし、これでいい。いやあ、ありがとう」と明るい表情で帰って行った。 5月13日のことである。 5月14日夜、宗像検事は、「検事正に『調書にリクルートの利益が表に出てないとまずい』と叱られた。指揮をとる検事正が主要な調書に目を通し、だめな調書は取り直しをさせられるんだよ。『私どもも非常に困っております』との文言を調書に入れろと言われたんだ。おねがいしますよ」とばつが悪そうに言った。
検事にはよく「上司に言われたから」と調書の取り直しを迫られたが、「なるべく他の供述に影響されない取調べをするために、他の人の供述は、調書は渡さず必要な範囲で主任から教えるという」伝統的な捜査方式を特捜は取っていますと宗像検事が法廷で証言したことがある。実際は検事正が他の人の調書とのすり合わせを行なって、有罪にもっていくのだろう、と江副氏は推測した。「被疑者の言い分を聞かずに、検察庁で筋書きを作り調書を取るというのは順序が逆じゃないですか」私はそう反論したが、宗像検事も譲らない。「すでに最終着地の段階だ。ここで君に抵抗されると着地できない。請託の色合いをもう少し調書に入れさせてくれませんか。悪い求刑にしません。そのことは検事正も了承されておられる」「就職協定が廃止されても、リクルートは全く困りません。困るのは大学です」「いまさらそんなことを言われても困ります。あなたの言い分も汲んだ調書にする。頼みますよ」宗像検事はくり返しそう言って、長所の原案を推敲したあと、事務官に後述を始めた。
この調書を私に見せ「署名を頼みますよ」と言った。断り切れずそれに署名すると、 「よし、これなら検事正に了解していただけるだろう」と、満足げに帰っていった。 5月17日、憔悴しきった表情で現れた宗像検事は、開口一番こう言った。 「藤波の調書をもう一度取り直しさせてくれませんか」 これで六度目である。 「検事正に調書を見せたら『まだ弱い。謝礼の趣旨をもっと明確に出さなければだめだ』と、また叱られたのですよ」 初めのころ、私は取調検事が恐かった。だが、取調検事は宗像主任を恐がり、宗像主任検事は検事正を恐がっている。特捜の上下関係は戦時下の軍隊に似た構造のように思えた。「前回『これでいい』と言われたじゃないですか」「すでに最終的な着地態勢に入っているんですよ。竹下は退陣表明している。竹下が退陣したあとも捜査終結宣言が出せないと、捜査の座りが悪い。そのことは理解できるでしょう」宗像検事は顔を赤らめて私を説得してきた。私も庄司検事から竹下総理退任後の閣僚候補ではないかと思われる氏名が記載された一覧表を見せられていた。合同会議も焦っているだろう。宗像検事は私を追い詰めるように「あなたにも藤波にも悪意はないから、藤波は有罪になったとしても実刑にはならない。…株も政治献金も、藤波が君に要求したわけではない。起訴時の求刑を藤波は軽い求刑にする。君の言い分も書き入れて。君の起訴時の求刑も執行猶予にできるようにするから」と言って、書き直した調書を私の前に置いた。私は沈黙していた。「ここは大乗的見地からあなたに協力してもらいたいんです。お願いしますよ」密室で会話を重ねるうちに、宗像検事自身は誠実な人だが、立場上、強引にでも調書を録取しなければならないのだと私は理解していた。 七度目の宗像検事作成の調書に私は署名した。 神垣検事はマトメ調書の草案を原稿用紙に書いて持ってきた。 5月22日。逮捕から98日目に藤波先生と池田克也(公明党)氏の起訴の対抗犯として江副氏は起訴された。 6月4日、宗像検事が小菅に来て、「君を保釈する条件として、これから作成する調書に署名してもらいたい」検事は、すべての容疑を事実と認める調書を改めて作成し「これに署名すれば、君を2日後に保釈する」と言って署名を求めてきた。その調書に署名した。6月6日、二億円の高額保釈金を納め保釈された。拘留期間は113日であった」 。
冒頭意見陳述で、江副浩正氏は、
「多大なご迷惑をおかけしたことは、お詫びの申し上げようもなく、慙愧に耐えぬ思いであります」とまずお詫びし、続けた。 「取り調べ中に何度も事実に反すること、身に覚えのないことについて供述調書がつくられ、それに署名しなければ、リクルートやコスモスの社長ほか関係者を逮捕すると繰り返し言われ、私はこれ以上逮捕者が増えれば、リクルートグループは立ち行かなくなる との思いと、事実に反することが書かれた供述調書に署名をすると、収賄側とされた方々に迷惑が及ぶという狭間で、思い悩みました。
事実に反する私の供述書がなければ、収賄の罪で、本日、私と並んでこの法廷の被告人石におられる方々も、被告人石に並ばれることはなかったでありましょう。国民の間には、検察当局が大掛かりで長期間に及ぶ捜査を行なった上で、起訴したのだから、それに足 る十分な証拠と根拠があったとの見方が、当然のごとくに有ります。国家の機関である検察当局に対する国民の信頼には、誠に厚いものがあります。また、マスメディアでは、捜査段階で罪状が深いように報道されてきましたが、マスメディアへの国民の信頼度もまた高いものがあります。
長期拘留の取り調べの中で、虚偽の供述調書に署名した私が、今後、裁判所に供述調書と異なる事実を述べ、『いずれが真実であるか』を裁判で理解していただくのは、大変なことと感じています。人々は、この事件に関し、私や被告人や参考人が『虚偽の供述調書 を取られる』などとは、考えられないことと思っておられましょう。取り調べの際、『事実に反する供述調書には毅然たる態度で署名を拒否するはず』と考えておられるでしょう。しかしながら、私は裁判所は厳正にしてかつ中立的な立場を貫かれるところと信じております。これから始まる法廷において、検察当局と弁護人及に被告人との対立の中で、『いずれが真実であるかが明らかにされる』と信じております。
私は、今日から始まる公判を通じて『いつの日か、真実は必ず顕れる』と信じ、今後、裁判所の慎重な審理と公正な判断を求めて参りたいと、切に願っています」
この初公判から、リクルート裁判は一審判決まで13年3ヶ月に及び、開廷は322回、江副氏証言は38回(分離した裁判は除く)であった。
こうして、知る人の誰もが、最も人柄のよい有能な21世紀の総理大臣と言われた藤波孝生官房長官の政治生命は終わってしまった。
そして、こうして、AppleのS.Jobsにも匹敵する数少ない日本の起業家(新分野と高収益企業群・最高の人材湧出システムの創造。)を潰した。
リクルート事件は、今から、24年前の事件である。1988年に朝日新聞の報道から始まり、1989年の江副氏逮捕・拘留に進む。検察特捜部は今と全く同じように、冤罪事件を検面調書で作っていたことがはっきりわかる。ちなみに、特捜側のチームか らその後3名の検事総長(検事正の吉永祐介、樋渡利明、現行の笠間治雄の各氏)が輩出されている)(神垣検事は 検察と裁判所の天下りポストである公正取引所で年収3000万円ほどを保証され、宗像氏は、リクルート裁判主任検事としてTVなどで有名(1993年には東京地検特捜部長に就任。在任中、主にゼネコン汚職事件、金丸信の脱税事件の指揮を執った。1996年最高検察庁検事、1997年前橋地検検事正、1999年最高検総務部長兼刑事部長、2000年最高検刑事部長、2001年高松高検検事長、2003年名古屋高検検事長(〜2004年1月)。2004年1月に検察庁を退官。同年2月、弁護士登録。同年4月から中央大学大学院法務研究科教授。2006年2月、宗像紀夫法律事務所を開設。同年6月株式会社フジマック監査役。同年8月株式会社エフェクター細胞研究所監査役。2012年2月、財団法人日本相撲協会外部理事。検事退官後は、あらかじめ決められた検察のストーリーに合うようにゆがんだ捜査が行われていると特捜部批判を行っており、大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件については起こるべくして起きた事件と評した。Wiki人物)
この本が、2009年10月でなく、例えば2008年に出版され、小沢秘書団も、ネット市民も読み込んでいたら、もっと歴史を教訓に出来ていたものと思われて残念である。しかし、遅くなっても、江副さんがこの初公判でのご自身の意見書の精神を忘れず、 13年間の長き裁判を逃げずに全うし、この「江副浩正の真実」と「取り調べの『全面可視化』をめざして」を現されたことに敬意を評すものです。お元気であれば、この機会に、「全面可視化を実現する運動」にもっと力を注いでいただきたいところです。 江副氏以降も、冤罪とその被害者は後を絶ちません。しかし、村木さんと小沢さんの冤罪裁判では、それ以前とは違い、ネットで情報と意見が交換できるようになりました。小沢さんの場合は、都心で13回も自発的な支援のデモや集会が持たれたとのことです。 捜査・裁判の過程が少しでも見えるようになっただけ、小さな進歩がこの社会にもあります。いかに江副さんが無念だっただろうと想像しますが、他にも、多くの犠牲者がいます。何とかこの日本社会が文明国になるように 江副さんにおかれても、なお一層ご努力いただけるよう切望します。
リクルートでの検事調書の作られ方を読んで、なお「検面調書の特信性・任意性」が語れるだろうか?
今、裁判所によって検面調書の殆どが不採択になった裁判で、日本国再生の可能性を持つ稀有な政治家である小沢一郎氏の判決が4月26日に予定されている。
そこでも、多くの検面調書が不採用になったが元秘書3人の供述調書計42通のほか公判調書を指定弁護士が証拠請求していたが、42通のうち29通が全部または部分的に却下された。石川議員の調書は13通中8通が全部、3通が一部却下された。石川議員の後任の事務担当者、池田光智被告が04年の土地購入を05年分収支報告書に計上することを元代表に報告したとする調書は一部採用された」と。
裁判所はこの池田光智氏の検面調書を 小沢氏の帳簿記載上の関与の証拠とし、小沢氏の有罪判決を出すのであろうか?
大善裁判長の検面調書の採否の判断に恣意性があると思えたが それが不安である。 というのも、検面調書採用に際し、同じ問題検察官が作成した調書でも、「今日の調書は任意性がある」「xx日の供述は 特信性がある」などと判断する様子である。すなわち、拘留され、自由を奪われている被疑者にとって、例えば「今日、田代検事は、優しく接してくれたので、『すべて真実を話しました』」とし、裁判官は、「今日の調書は特信性・任意性に溢れている」と判断するようだ。
しかし、実際は、被疑者は、例えば『昨晩夜中まで、壁に向かって立たされ(江副氏は毎晩3−4時間立たされたと証言している)、翌朝は、昨晩から続く検事への恐怖心の後遺症が強く残っていたため、その日の「検面調書」は検事の言う通り、従順に全てを認めたのかもしれない」と考えられるのではないか? すなわち、もし取り調べ検事の「検面調書」を一通でも不採用にする場合は、その当該検事の調書の全てを不採用にしなければならない。
そうしなければフェアーではない。
また、他の案件でも、ウソの調書を取ったり、脅したり、すべての不当、不法な事を被疑者、参考人、証人にしたものは、検事職から免職しなければならない。
「司法を守る者」が 不当不法行為を働けば それは犯罪であり、即刻罷免し、裁判にかけなければならない。
よく、学校の教員が、「児童を殴った」とか、「教え子にハレンチ行為をした」などでも、教育者にあるまじきことをという事で、マスコミも叩き、懲戒免職処分を受けてる。
検察官は 違法行為をしても 誰にも咎められることはないのか?
「昨日は、不当に、検面調書を取ったが」、明日は「何食わぬ顔をして別件の被疑者にあたる」のか?
小沢裁判で、冤罪をかけるのに唯一の証拠に成り得るとされている池田光智氏の検面調書の内容とそれを取った検事の名を明らかにしてもらいたいものだ。
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