10. 2012年4月19日 21:07:59
: 69oEfbT39Q
01氏の意見に賛成。政治家を本物にしていくのは有権者。有権者を本物にしていくのは政治家。どちらか一方だけの存在ではありません。 やはりよい情報発信・受信≠フ関係の中に自分たちの望む社会像の価値観≠共有し、育てていくより無いのだと思います。時間も手間もかかります。本物の代表≠ヘ促成栽培では育ちません。01さんは、そうしたオーソドックスな態度の人と思います。好感を持ちました。やはり、地道にひとつひとつ問題のよい解決を積み重ねていくことが、何より強靱な陣営を切磋琢磨し編み上げていく正道なのだと思います。いつもいつも大仕事の出発点です。大変だけれど、一人ではありませんし、全体の為でもあります。 民主主義の基本は、対話の自主参加です。良い考えを良い話し合いの場所でいつもいつも活発に行えていることが条件です。不正につんぼ桟敷≠ノ置かれる人があってはなりません。引っ込み思案もいけません。自分の参加の責任は自分のことばで形にしなくてはなりません。それができて、国民が民主主義政治の担い手になり、エリート達の独占的支配をふせぐことができます。 自分たちが一人前に通用する政治観≠共有することで、政治専門家としての自分たちの代表が社会の中に理想を追究してく政策を実現できるのです。 情報化社会と言いますが、人の言葉は単なる情報と同一には、見たくありません。 日本は、あまりに、功利主義価値観に染まりすぎました。人が人を尊重するのが、総員が参加できる共同体の基本的なルールでなければなりません。 政治家も人。有権者も人。ともに、迷うし、ともに、理想を追究しているのです。人だから、当然のこと。過去の時代の中で、とても障害になったことのひとつに、ともに話し合い、考える、そういう共有される広場が存在してこなかったことがあります。それは不幸な隔たり壁≠ナす。民主主義はとてもとても不完全だったのです。私は敗戦後のGHQの占領政策のなかに、こうした日本人による自由な対話の場に対して否定的な考えがあったことの名残りのように思います。政治が完全に国民の手を離れたことが、シロアリ大繁殖政治の温床です。 若い人達も次々と大人になり、進んで大人としての扱いを保証してくれる対話の場を求めます。しかし、そのようなものは今どこにもありません。政治を内側から本物にしていくことが、最良の政治への最短距離の道筋であると思います。 じかに、良質な情報に触れられるあしゅらは、こうした社会的機能を果たしている掲示板と思います。おそらくは、政治、経済、外交等の渦中に近い人達のものとおぼしき正確な資料付きのコメントなども数多くあり、こうしたものは内情を知る人の情報として、格別な価値があります。はっきりと奇妙な屁理屈のコメントも多くありますが、分かる人には、あまり問題なく、良い所のみをピックアップできるものでしょう。 私は日本の健全な法治国家を今、有権者(市民or国民)と国会議員が二人三脚の紐で結ばれた相互の足の歩みの前進により、強烈な奪還が開始されたと感じています。このような自主的なムーブメントが自発的な啓発の中から高まりをみせているということは、この動きの内面の価値を素晴らしいとか立派とか共感共鳴共有する人達がひとつの勢力を自然のうちに形作ったということなのだと解釈します。現代の日本人の一般的な人達のなかにこんなに話が分かる人達が多いのかと驚きます。 内側には驚くほど豊かな民主主義の生きた知識や正しい本質理解現実理解のある人達が多くいるのかと言うことです。そこで、様々な人生経験からの自己の役回りの理解。コンセンサスのリードと、新しいコメントに啓発されての、実利(実)を得ることに、無意識のうちに、極めて高い理解に根ざしたやりとりが行われるのです。集いを構成している人達が、工作員の妨害のブロックを受け持ってくれる人達も含めて頼りになる$l達と言うことでしょう。 私はこういうつどいが良い芽を出して、根を張り、茎も強くなり始めたら、こうした集いからは、離れてはいけないように思います。希有なことです。短い言葉でも、自分のことばでいつもいつも参加して、それが数多くなるということは、この正論の集いが芯≠ニなり大きなムーブメントに発達発展していくためには、とても大事なことと思うのです。既に一千万人を熱くさせる本当の言葉を発信できる実力をこのあしゅら掲示板は備えていると思う。如何に真実が大切かという観点に立つと、あしゅら掲示板は、今後も進むであろう既成の日本国崩壊の中で、輝きを増しながら成長し、新しい国造りのために非常に重要な役割を担うと私は考えます。 極めて硬質な真相追究が維持し続けられるならば、この希有な人間の精神の根源的な働きが、常に営まれているということであり、このことは小さいながらも、理想的な政治形態を達成しているということです。 私は、既成の世界の問題を越えた正論の集いの新しい拠点を既に確保しているのだと思うのです。過去の古い価値観、価値体系、その権威と秩序等の総合的な問題解決の挑戦という行為を通して共有された新しい基準の(普遍真理への更新のようなもので新しいも古いもないと思いますが)ものの見方、考え方が過去の世界とは離れて(超えて)、有効に働いている新しい(新しいとか古いとかではなくて、これまでの世界を超えた正しさ?)世界の価値基準≠ナあると言うことです。 つまり、この新しい正論の拠点は、大げさにではなく理論的に過去の世界の総ての問題を扱える拠点なのだと言うことです。新しい基準の獲得と共有は、新しい社会国家建設のあらゆる図面を描くために不動のものと決定していてくれることが必要です。様々な新抵抗システムも編んでいけるだろうし、古い世界の有害さを克服する新しい基準のプログラムも発案考案されていくでしょう。 本物の革命は良心的良識的な人々の深い胸の内にずっと以前から静かに開始されていて、土の上に芽を出して、伸びはじめたときには、それは誰にも大騒ぎはされないが、劇的な革命としての変化なのだと思います。 酷寒の極限的な混沌とした価値崩壊の時代に、よくこの新種が日本に芽吹いてくれたと思うのです。大きく立派に育てといつも願っています。
|