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この国の司法は暗黒時代のまま 小沢裁判は「魔女狩り」と同じ
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2012/4/17 日刊ゲンダイ :「日々担々」資料ブログ
文明国でも法治国でもない、21世紀のこの国
【4月26日の小沢一郎判決の有罪無罪が関心の的だが、そもそもこの裁判は最初から不法だ】
◆予断を持った検察があらゆる捜査をしても立件できなかった案件を検察審査会なる正体不明の組織が強制起訴し、証拠が全くないのに検事でない指定弁護士が求刑したこんな暗黒裁判がなぜ許されているのか
注目の判決まであと9日。今月26日、民主党の小沢一郎元代表の強制起訴裁判に判決が下される。果たして有罪か無罪か。その結果次第で政局が変わる。野田官邸も気が気じゃないらしいが、判決前にハッキリさせておくべきことがある。
そもそも小沢裁判は有罪も無罪もない暗黒裁判だということだ。政権交代の立役者を狙い撃ちにした不法・不当な弾圧なのである。
裁判などを通じて、明らかになってきた真相は恐ろしい。検察は「何が何でも小沢を立件してやる」と狙っていた。それが「ゼネコンからの闇献金」という妄想を招き、世紀の謀略になっていく。なにしろ、事件の主任検事は部下にこうハッパをかけていたのである。
「これは特捜部と小沢の全面戦争だ。小沢を挙げられなかったら、特捜部の負けだ」
しかし、ちっとも本丸に迫れない。ゼネコン関係者を締め上げ、元秘書を「吐け、吐け」と脅し、小沢本人から何時間も話を聞いても、起訴に持ち込めるような証拠はつかめなかった。
だから「嫌疑不十分」で小沢を不起訴にせざるを得なかったのだが、この不始末を救ったのがメディアだ。
検察の妄想に基づくリーク情報を垂れ流し、世論を誘導。「小沢=悪」というイメージを植え付けた。こうした洗脳に毒されたド素人の検察審査会の強制起訴議決によって、小沢は刑事被告人となり、政治活動を完全に縛られてしまったのである。
◆裁判の結果ウンヌン以前の問題だ
検察審が起訴の根拠とした捜査報告書は担当検事の捏造だったことは、あとになって分かった。検察は捏造を把握していたが、裁判でバレるまで1年近くもシラを切り通した。それなのに、検事の資格もない指定弁護士が小沢に禁錮3年を求刑するバカバカしさ。この裁判は最初から最後までデタラメなのだ。
「小沢事件の本質は、民主主義国家ではあり得ない、独裁国家のような政治捜査が堂々と行われたことです。検察の狙いは、官僚政治の打破を掲げた民主党政権潰しだったのでしょう。そのために、あらゆる手段を使って、小沢氏を政権の表舞台から葬り去ろうとした。秘書を次々と捕まえ、小沢氏を党員資格停止に追い込み、ついに強制起訴、裁判に持ち込んだ。小沢氏は身動きが取れず、この間に民主党政権はガタガタになってしまった。結局、官僚政治に逆戻りですから、彼らは目的を達成したのです」(政治評論家・本澤二郎氏)
こんなことが民主主義国家で許されるのか。中世の魔女狩りさながらではないか。裁判の結果ウンヌン以前の話なのだ。
【大衆も弾圧に加担する魔女狩り裁判の恐ろしさ】
小沢捜査における検察は、戦前の特高やゲシュタポみたいだ。その裁判は暗黒裁判以外の何モノでもない。政界一の実力者に、こんな“やり方”が許されるのか。それでも日本は法治国家といえるのか。永田町も、メディアも判決予想ではなく、小沢裁判の本質を問いかけるべきだが、沈黙している。
これだけ検事の調書捏造や違法な取り調べが発覚したのに「こんな裁判はもうやめろ!」という声がうねりにならない。そこが不思議なのだが、これこそ小沢魔女狩り裁判の本質かもしれない。
魔女狩りとは、13世紀から18世紀にかけて、ヨーロッパ全体に狂気のごとく吹き荒れた大量殺戮(さつりく)のことである。何万もの無実の人々が性別を問わず“魔女”に仕立て上げられ、火あぶりにされたと、歴史書にはある。
もともとは腐敗しきった教会の権力者たちの権威維持が目的だったが、大衆も魔女狩りを支持し熱狂し、自ら無実の人に火を放った。ここに小沢裁判にも通じる魔女狩りの恐ろしさが潜んでいる。
臨床心理士の矢幡洋氏が言う。
「魔女狩りの全盛期となった17世紀前半のヨーロッパは、ペストの流行や相次ぐ戦争で大衆は疲弊し、社会不安は頂点に達していました。人間は過度に不満と不安を募らせると、『諸悪の根源はアイツだ』と、心の中でいけにえや見せしめを求めたがります。そんな大衆心理のハケ口にされたのが、“魔女”なのです。誰かを悪者に仕立て上げれば、現実を直視して悩む必要もない。誰だって弾圧されるより、弾圧する側に立っていたい。魔女狩りには、そんな大衆の心に権力者がつけ込み自分たちの悪政を糊塗した側面もあるのです」
広辞苑では魔女狩りの意味を〈比喩的に、異端分子と見なす人物に対して権力者が不法の制裁を加えること〉と、定義している。
小沢に対して行われたのがまさしくこれだ。権力者が大衆を扇動して、政敵を魔女=異端分子に仕立てて不当な制裁、弾圧を加える。人権無視の不法な行為なのに大衆はスカッとして政権の横暴に気づかない。現代社会では大メディアがプロパガンダしてくれるのだから、権力側は楽チンだ。
なるほど、今でも世論調査を行うと、小沢憎しは相当だ。多くの国民が増税に反対なのに、小沢の反増税路線には、世論の7割が「理解できない」と答えている。だから、権力の側は安心して“魔女狩り”を続けることができる。 こうして権力者は自らの無能と悪政をゴマカすのだ。
◆中世の狂気さながらのこの国の現実
この間、大メディアがやってきたことは、権力側と一体化し、「小沢=ダーティーでカネに汚い政治家」というレッテルを貼り続けることだった。その結果、反小沢勢力はクリーンな政治家に見えてくる。アホみたいな話だ。大衆はいつの間にか、「アイツはクロ」と信じ込み、正常な判断を失っていく。反小沢勢力はシメシメだったのではないか。中世ヨーロッパさながらの集団ヒステリーの中で、この国の政治を立て直すハズの実力者が追い詰められ、ガンジガラメにされてしまった。
「長引く不況による将来不安で、今の日本も大衆の不満は募る一方です。社会不安が広がれば、世論はありもしないヒーローの出現を期待し、鬱憤(うつぷん)晴らしに誰かを“悪モノ”に仕立て上げようとする。『シロかクロか』という単純な二項対立を求め、クリーンな『シロ』はますます白くなり、一度クロのレッテルを貼られたら、二度と払拭できなくなってしまう。今の日本はヒトラー出現前の大衆心理とも非常に重なります」(矢幡洋氏=前出)
大衆が鬱憤晴らしの“リンチ裁判”を求め、政治が便乗すれば、社会全体が狂っていく。本来なら、そこに歯止めをかけるのが法治国家のシステムなのだが、日本ではその司法がデタラメだった。ここが恐ろしいところだ。
敗戦を経験し、民主主義と法治国家を整備したと思ったのは幻想だった。小沢裁判はゾッとするような現実を我々に思い知らせることになったのである。
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