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マスコミはこの五年間に「政治とカネ」なる表現を小沢一郎に対して七千回使用。その悪事の企み見事なり!
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2012年4月13日 晴れのち曇り、時々パリ
いよいよ、あと二週間で『陸山会事件』の判決が出される。
世界にも類を見ない、徹底した既得権益層による「国民圧殺」事件であった。
▶上司に小沢一郎叩き命じられた記者「上司の感覚ずれてる」(ポストセブン/見出し)
>検察リークによる「誤報」を連発した果てに定着したのが、「政治とカネ」という言葉である。過去30年にもわたる全国紙5紙の過去記事を検索したところ、「政治とカネ」が使われたのは約2万件。驚くことに、そのうち実に1万4000件がこの5年に集中し、うち約半数を小沢報道が占めている。その理由を、元読売新聞社会部のジャーナリスト・大谷昭宏氏はこう分析する。
>「現状では小沢氏を罪に問える材料は何もなく、事件取材をしている現場記者たちは、無理筋だと分かっている。だから、これまでの犯罪報道なら『贈収賄』や『闇献金』という具体的な容疑で書くのが原則のところを、『政治とカネ』という漠然とした言葉にせざるを得ない。
>とにかく小沢氏に疑惑をかぶせて批判したいというだけの恣意的な報道です。ある現場の記者は、『デスクなど上司からは小沢の悪い記事を書けと要求されるが、何も容疑がないのになぜ悪く書けというのか。上司の感覚のほうがずれている』と嘆いていた」
>大谷氏の古巣、読売新聞の2011年2月1日付朝刊は、一つの記事で「政治とカネ」という言葉を3回も使った上で、さらに政治学者・御厨貴氏のこんな談話を載せている。
>〈「政治とカネ」への国民の視線は厳しくなり、(小沢氏は)政権交代の最大の功労者にして、最も罪深い人となった。強制起訴は小沢元代表の「終わりの始まり」で、仮に無罪になっても元に戻ることはないだろう〉
>「仮に無罪になっても」、「最も罪深い人」なのだから、推定無罪の原則は小沢氏には適用されないらしい。
【週間ポスト2012年4月20日号 By NEWS ポストセブン/4月13日(金)7時5分配信】
マスコミ内部の事情を伝える記事だけ有って、分りやすい。
かって、日本の報道分野の風土に、『政治とカネ』なる表現は、普遍的な物では無かったと言う。
民主党が台頭し始めてから、急に使われ始めた様だ。
同じ『週刊ポスト』が、既に2年前に「同じ趣旨」の記事を掲載していた。
▶よく考えれば「政治とカネ」という言葉、意味がわからない(ポストセブン/見出し)
>いまや大マスコミが決まり文句のように使う「政治とカネ」というフレーズは、よく考えると何をいっているのかわからない曖昧な言葉だ。
>かつての新聞は「闇献金」とか「政治倫理問題」とか「利益誘導」「贈収賄疑惑」など、もっと具体的な言葉を使ったものだ。
>ちょっと調べてみた。
>朝日、読売、毎日、日経、産経の5大紙の紙面で「政治とカネ」というフレーズが使われたのは、検索可能な過去30年あまりで約1万7000回。
>そのうち1万件以上が、この3年間に集中していた。
>つまり、民主党が参院で多数を占め、政権交代が秒読みに入った頃からである。
>で、そのうち半数以上が、小沢一郎・元代表に言及した記事だった。
>つまりこの曖昧なフレーズは、政権奪取を目前にした小沢氏を批判するために大マスコミが考えだした“新語”だったのである。
>理由は簡単だ。「政治とカネ」問題を、この3年で5000回以上も報じられた小沢氏について、実は「闇献金」とか「利益誘導」など、もっと明確な言葉を使える疑惑は何も明らかにされていない。だけど批判したい。だから「政治とカネ」なのである。
【週間ポスト2010年11月12日号 By NEWSポストセブン/2010.11.04 10:00】
ふむふむ。
『新語』だそうだ。
2010年11月の記事の時点で、小沢一郎二は「5千回」以上も、「政治とカネの問題」と、あげつらわれていた訳である。
その後の一年半で、更に「2千回」の上積みが為された。
これは、五代全国紙への使用件数である以上、テレビで語られた回数は、恐らくこの5倍程にもなるのでは無かろうか。
この2年が、特に増えた筈である事は、<みのもんた>や<古館伊知郎>の例を引かずとも、明らかな事だろう。
コメンテーターが数人、キャスターを囲んでトークする訳である。
一人が二回「政治とカネ」と言えば、その5分間程の間に二桁回数で「政治とカネ」という表現が、『小沢一郎』に向かって、使われている事になる。
ニュース番組や、ワイドショー等が、キー局5局で毎日4番組やそこらは有る筈だから。。。
恐ろしい限りだ。
>小沢氏について、実は「闇献金」とか「利益誘導」など、もっと明確な言葉を使える疑惑は何も明らかにされていない。だけど批判したい。だから「政治とカネ」なのである。
本当に恐ろしい限りだ。
マスコミ側の率先での姿勢であるのか、或は検察当局の恣意的操作の結果なのか。
『鶏と卵』なのだろう。
両者の利害は、一致しているのだから。
日本中で語られている。
「国民の生活が第一」 vs 「既得権益層の利権が第一」
政財官と報道とが「アメリカの後ろ盾」をもって、これまでの「統治機構」を変えんとする「小沢一郎」に、襲いかかるの図、であった。
そこまで、小沢一郎なる政治家が、彼等にとって怖いのだ。
つまり、それだけ「小沢」の目指すものが、国民の為に有益な事だ、という証である。
私は、小沢信者ではない。
むしろ、「信者」間の軋轢や対立関係、ゴチャゴチャが垣間見えて来るに及んで、一歩引いた見方をする様になって来ている。
彼の、「原発政策」の曖昧さは、気にくわない。
彼の「外国人参政権」への姿勢も、気にくわない。
しかし、それでも。
誰が何といおうと、小沢は我々国民にとって必要にして、掛け替えの無い政治家である。
疑いなく。
そうでなければ、彼がここまで「不条理」な叩かれ方は、しない筈では無いか。
そして、その「国家権力」の総力を挙げた『小沢攻撃』の最終楽章も、大詰めを迎えようとしている。
あと、二週間。
法的に「証拠が無い」と言う以前に、『犯罪』事態が存在していない事は、多くの反証で、明らかにされている。
しかし、だからと言って「無罪」が勝ち取れるか。
100%安心していられない所に、この国の病巣の深さを見て取れるのだ。
もし、日本が「法治国家」であるならば、無罪判決は当然である。
あらゆる法的要素が、それ以外の判決を許さない。
しかし、悲しい事に日本は「法治国家」では無かった。
地検特捜部の、冤罪のでっち上げのやり方が、それを示している。
検察審査会の「強制起訴」が、それを裏付けている。
そして、「登石判事」による『推認有罪』判決え、それを証明した。
では、どういう流れになるのか…。
私如き素人が、正確な見通し等立てられる筈も無い。
しかし、想像する事くらいは、出来ようと言う物だ。
可能性としては、三つ有るだろう。
第一の可能性。
「無罪判決」
これは、日本の司法制度の壊滅を意味する。
検察の不法行為を、裁判所が認める。
つまり、検察の在り方の根底から、否定されてしまうのだ。
特捜部の存続はあり得ない事だろう。
多くの検察官僚の首が飛ぶ。
責任は、『検事総長』にまで及ぶ事だろう。
検察審査会も、抜本的な見直しがなされる。
審査員の選定方法から始まって、彼等による「強制起訴」を誘導した責任者の追求も、行われる。
法務省全体が、揺れに揺れる事だろう。
マスコミ各社も、のんびり構えている訳にはいくまい。
そこまで、東京地裁が踏み込めるのか。
いや、「大善判事」個人が、その様な重圧に、耐えられるのか。
次に、第二の可能性。
「有罪判決」
こレまた、大騒ぎになるは必定。
しかし、考えてみると、どれだけ「一部正論」を述べる人々の批判を兄用とも、逃げ切れば、検察制度は傷つかずに済む訳だ。
責任問題も、一部の批判をかわす程度の、小規模な粛正で済んでしまうであろう。
何しろ、ここまで冤罪を突き進めて来たのだ。
それを防ぐ力が無かった「我々に」は、有罪判決に対して批判してみた所で、『蟷螂の斧』でしかない。
「政財官の利益が第一」派にとっては、『無理筋』事件を強引に動かして来た以上、既に<毒>は充分に喰らっている。
しからば「皿まで」喰っても、大した違いは無い。
この「二者択一」は、司法官僚の良心と、法曹人のプライドとに委ねられる、はなはだ見通しの立ちにくい事柄である。
深手を負って、肉を抉らる事をに耐えて、ぎりぎりの所で「日本の司法制度」の信頼を確保するか。
完全に「司法の精神」を打ち捨てて、将来にまで続くであろうの激しい批判はこの際耐え抜いて、総て丸のまま守ろうとするのか。
「彼等」としても、悩んでいる筈だ。
最も、判決文は既に書き上がっているに違いないが。
さてもう一つ、第三の可能性。
「公判棄却」
これは、小沢事件が「事実無根」である事を半ば認めながら、あくまで「法的に裁判が成立する要件を満たしていない」という建前で、責任をかなり曖昧に出来るのでは無いか。
裁判が成立しないと、判事が判断するならば、当然起訴した責任は問われる。
しかし、起訴したのはあくまで「素人」の善意の第三者である事になっている以上、責任問題を切り抜ける事もたやすいかもしれない。
結局、検察審査員という(不正行為による手続きの事は今後の事として)素人に、強制起訴させるに至った、検察自体の不手際は、証拠の存在の有無も含めて、糾弾されるで有ろう。
特捜部も、特捜部長の責任までとわれるであろうし、更に上もそれなりの「形式的責任」は負わざるをえまいが、司法制度の根底は揺るがずに済むのでは無かろうか。
第一、マスコミがそこまで追求する筈も無し。
しかし、それなら「公判維持」が無理と判断した時点で、何故裁判停止をやらなかったのか、という様な批判を受けるだろう。
無駄な時間と費用とを浪費した、判事の責任を問う声は上がるであろうが、それでも大した傷にはなりそうも無い。
あくまで、刑事訴訟法等知らぬ、素人考えである。
しかし、こう考えて来ると、結論は二つに搾られる。
第二と、第三の可能性のどちらか。
つまり、完全に「ケツを捲る」って、無傷で逃げ切りを狙うか、多少「しおらしい所も見せて」最小の傷でしらを切るか。
よだんを許さない。
そんな中でも、政局は激しく動いている。
▶小沢一郎・元代表 勉強会スタート、亀井氏接近、GW前後に活動か(週間朝日/見出し)
>消費増税反対派である小沢一郎・元民主党代表(69)の新党旗揚げ準備が、着々と進んでいる。小沢氏は自身が会長を務める「新しい政策研究会(新政研)」の4月5日の会合で、こう予言した。
>「予算は通っても、財源措置を決める特例公債法などが衆院に留め置かれたまま。今後、野田政権は厳しい局面を迎える」
>新政研は3月、独自のホームページを立ち上げたが、民主党の文字はどこにもない。さらに消費増税について〈議論を打ち切られたうえでの前原政調会長への一任は致しません〉と抗議声明を掲載するなど、さながら「小沢新党」のHPのよう。新政研に所属する議員はこう言う。
>「勉強会はもともと準備していたもので既定路線。でも、GW前後に何か動きがあるかもしれない。消費増税法案の採決に野田首相がこだわれば、党はいずれ割れざるを得ないからね」
>現在、新政研のメンバーは138人。
>これだけでも野田政権にとって脅威だが、さらに離党を宣言した亀井静香・元国民新党代表(75)との連携もあり得るという。
>「亀井氏は今後、石原都知事との新党結成だけではなく、消費増税反対を貫く小沢氏との連携を模索し、採決を阻止しようと"政局"を仕掛けるでしょう」(亀井氏周辺)
>予言どおりなら、小沢氏が動くのはGW前後か。要注目だ。
【週刊朝日2012年4月20日号 /4月13日(金)7時13分配信】
石原慎太郎は、「新党旗揚げ」を白紙に戻す事を表明した。
勿論、このような大事に、政治家達が本音で語る訳も無く、これから同転がるか当事者達しか分らない事だとは言う物の。
恐らく橋下徹も、来ないのであろう。
そうなると。
下地と自見との「簒奪新党」が連立に留まり、両亀井の二名だけでは、これからどれだけの賛同者を集められるか、石原には心もとなかろう。
国民新に付いて来る筈だった「助成金」も無い以上、勝ち目の無い事には虚身は無い。
石原慎太郎としては、総理の目の無い事で、苦労する気などサラサラ無いのだ。
だからと言って、小沢一郎が「GW明け」に動くかといえば、それも何だか想像しにくい。
先日の、日経WEBチャンネルでの彼の口ぶりを聞けば、彼が民主党であり、あくまで「彼の民主党」で、制度改革をやりたいのが、透けて見えた。
勿論、石原慎太郎より、小沢一郎の方がもっと老獪である。
腹の内など、見せる筈も無い。
しかし、これまでの彼の言動を見て来ると、やはり「党を割る」のは、最後の最後、の手段でしかなさそうだ。
消費税増税案が、本会議に上程されるかどうか。
本会議に掛かったとして、自民党が果たして反対するのか。
不確定要素は、山ほど有る。
噂はウワサとして、聞き流しておくに限るという物だ。
ただ、4月26日は噂などでは無く、現実である。
楽観して、後で臍を噛むのはまっぴらだ。
個人的には「有罪」と信じておく。
万が一。
本当に万が一、無罪か棄却になったなら、その時喜べば良いのだ。
敵は強大である。
敵は死にものぐるいである。
敵は、あらゆる手段を使える立場にある。
油断はするべからず。
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