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検察の吹き溜まり “ 法務総合研究所の実態 ” 佐久間達哉検事も在籍
http://blog.goo.ne.jp/aibatatuya/e/ac6319e798dcc91a11691c09a7d05023
2012年04月02日 世相を斬る あいば達也
≪ 虚偽報告書作成の検事異動=法務総合研究所付に−法務省
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2012040100031
小沢一郎民主党元代表の資金管理団体をめぐる政治資金規正法違反事件で、東京地検特捜部在籍時に石川知裕衆院議員(38)の取り調べを担当した新潟地検 の田代政弘検事(45)について、法務省は1日付で法務総合研究所総務企画部付兼教官とする人事を発表した。≫(時事通信)
上記の記事を読めば、虚偽記載検事・田代政弘検事を検察庁は現場から隔離した、と誰もが思うだろう。法務総合研究所と聞けば、直ぐ浮かぶ名前の検事が一人いる。日本で最も有名な検事と云っても良い、あのキャメルコート・佐久間達哉検事が、人目を忍び仮の姿で息を潜めている離れ屋である。どうも、この法務総合研究所と云う所、相当に胡散臭いと云うか、法務省・検察庁の隠れ屋と云うか、現場に置いておくと身の危険があるとか、世論の都合上“公正公平”に疑義を挟まれるリスクある関係者を一時隔離する“吹き溜まり”組織として利用されているのではないかと、チョイと調べてみた。
法務総合研究所とは、日本の法務省・検察庁の職員(検察官を含む。)の研修、法令の研究等を行う法務省の施設等機関である、と木で鼻を擦るような解説がウィキペディアに載っていた。これでは、この組織実態は皆目見当がつかない。馴染みがある「犯罪白書」なんてのは、此処が出版している。ただ、前身が「司法省研修所」である。つまり、戦前(司法省)から歴史を刻むと判明した以上、胡散臭さは只事ではない。(笑)正直、一般国民がそれ程馴染みのない機関だが、支所が全国津々浦々に点在する相当規模の組織である。研究部 - 刑事政策に関する調査・研究等々と云う辺りは、国民を法律で律する悪巧み研究を、税金でぬくぬく自由に行っている妄想さえ抱く組織だ。ちなみに、佐久間検事は国連研修協力部部長。なんだか意味不明のセクションですね。
実は佐久間検事は、上述セクションから栄転、国連アジア極東犯罪防止研修所(略称「アジ研」又は「UNAFEI(ユ ナフェイ)」)なるところの所長様におさまっている。この通称「アジ研」は国際社会における正義の実現 に貢献している国連と日本政府の協力機関らしいのだが、佐久間所長がアジア各国の刑事司法の“正義”を研修する総責任者になっているのには、ビックリだ。運営費の殆どを日本政府のODAで賄っているらしく、事業仕分けで存在が現れなかったのは、元日本国・司法省と云う来歴によるのだろう。立派な公式HPもあり、由緒は正しい。佐久間様のご尊顔を拝したい方は「国連アジア極東犯罪防止研修所(アジ研)」http://www.unafei.or.jp/にアクセスしてください。
そうそう、話の発端の虚偽記載検事・田代政弘氏の異動先でしたね。総務企画部付兼教官と云う事ですね。総務企画部は、検察の研修・研究の企画立案・調整、組織・予算の事務などですが、教官兼務と云うことなので、検事・副検事・検察事務官・法務局職員・保護観察官・入国審査官・入国警備官などの研修も受け持つことになるようだ。しかし、佐久間様にしても、田代様にしても、“正義”を貫く“司法人”として、アジアの司法関係者や国内の検察関係者を教育する?筆者が思うに、最も相応しくない検事達が吹き溜まっているようにさえ見える法務総合研究所って、最高裁事務総局同様の臭いを感じる。
現時点で、最高裁事務総局のような、秩序維持の為なら、何でも捻じ曲げようと云う類の正体は現れていないが、ほじくれば出てきそうな組織である。組織的には明確に法務省の管轄だ。法務省の各組織の説明 > 施設等機関 > 法務総合研究所フロントページによると、以下のような説明がある。
≪ 法務総合研究所の基本的性格と沿革
http://www.moj.go.jp/housouken/houso_houso02.html
■基本的性格
法務総合研究所は,研究部門と研修部門を擁する法務省の代表的な研究・研修機関であり,札幌,仙台,牛久,名古屋,大阪,広島,高松,福岡の8か所にその支所が設置されています。法務総合研究所は,法務省の機構上「施設等機関」(法務省組織令(平成12年政令第248号)第61条,第62条)の一つとして位置づけられており,同組織令第64条で,文教研修施設に指定されています。
■沿革
昭和22年5月3日現行憲法が施行され,裁判所が司法省から分離独立しましたが,このときにそれまで判事,検事及び司法官試補の研究・研修機関で司法省に設置されていた「司法研修所」(昭14.7.6司法研究所として設置され,その後,昭21.5.15司法研修所と改称)が最高裁判所に設置の「司法研修所」と司法省に設置の「司法省研修所」に分割されました。後者が「法務総合研究所」の前身です。
司法省研修所は,検察官,検察事務官,司法事務 官等司法大臣所部の職員に対する研修及び司法に関する研究を行うものとされ,その後,司法省が法務庁,法務府と名称を変更したことに伴い,「法務庁研修所」(昭23.2.15),「法務府研修所」(昭24.6.1)と改称されました。そして,同27年8月に現在の法務省に改組された際,それまで幹部検察 官を対象として別に設置されていた「検察研究所」(昭25.4.1)を統合して「法務研修所」が設立されました。
法務研修所は,法務大臣所部の 職員に対する研修及び法務に関する専門的研究を行うことを目的としましたが,更に同30年代に入り,少年犯罪の激増・凶悪化など犯罪現象の量的・質的変化 に対応し得る総合的科学的な刑事政策研究の必要性が痛感され,刑事政策の専門的な研究部門を加えて組織・機構を整備拡充することとなり,同34年4月「法務総合研究所」として発足するに至っています。
その後,同36年6月に国際連合との協定により,国際連合と日本国政府との共同運営の形態で「アジア極東犯罪防止研修所」が我が国に設置され,日本政府機関としてこれに協力するために国際連合研修協力部が新たに設立されました。
平成7年4月には,法務総合研究所部内の意見をくみ取るとともに,官房,関係部局と連携し,法務総合研究所における研修・研究ニーズを的確にとらえ,21世紀の法務省にふさわしい研修・研究の在り方を総合的な視点から企画立案し実施準備を進める部署として総務企画部が新設されました。
さらに,平成13年4 月には,アジア諸国を始めとする発展途上国の要請にこたえて,民商事法分野における法整備支援を実施する部署として国際協力部が新設されて今日に至っています。 ≫
沿革のところをジックリ読むと、≪昭和22年5月3日現行憲法が施行され,裁判所が司法省から分離独立しましたが,このときにそれまで判事,検事及び司法官試補の研究・研修機関で司法省に設置されていた「司法研修所」(昭14.7.6司法研究所として設置され,その後,昭21.5.15司法研修所と改称)が最高裁判所に設置の「司法研修所」と司法省に設置の「司法省研修所」に分割されました。後者が「法務総合研究所」の前身です。≫と説明されるように、裁判所と法務省・検察は昭和22年まで「司法省」として同根に存在してきたことが判る。学生時代教わったかもしれないが、完璧に記憶から抜け落ちている。(笑)歴史的に派生が同根であれば、その部署のDNAは常に遺伝するのは当然のことだ。
日本の裁判所が、刑事裁判において、検察起訴の99.9%の有罪率と云う現象の元凶の一因に加えなければならない、DNAの一致を覗いてしまった。本来であれば、それでは、戦前の「司法省」とは如何に乱暴狼藉の省庁であったのか探るべきだが、もう目がチカチカして無理なのでやめておく。興味のある方は、此処から先を探索してみると、一層の検察・裁判所の癒着と云うより、育ちに同根と共通DNAを発見するに違いない。
面倒な方の為に簡単に説明すると、戦前の「司法省」と云う処は裁判所に対しても司法行政権を持っていたと云うところが決定的に違う。ただ、此処が、現在の裁判所の独立性に重大な影響を及ぼしている来歴だとみる事が出来る。つまり、歴史的に、戦前は司法官僚が上で、その下に裁判官が存在したと云うイメージで考察すると判りやすい。現在でいうなら、法務省官僚(殆どが検察官)が上で、裁判官は従属的だったことになる。学問上は、それほど単純ではないのだろうが、人事権などは司法官僚が握っていただろうから、今の最高裁事務総局が、それに取って代わったと推認しても良さそうだ。いや〜、日本の司法の闇は深いね。
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