44. 日高見連邦共和国 2012年4月03日 20:53:18
: ZtjAE5Qu8buIw
: Ihir5pcR5A
>>43 ID=ObnzX9gnP6 さま。>私は優れた「リーダー」の育成が総てでは? リーダー論、という視点から、自分自身の中学時代の“小噺をひとつ”・・・ (かな〜り長くなりますゆえ) 田舎の小さな学校・社会という点はあるにしても、俺は小学生時代から“リーダー格”でした。(小学校では児童会“副会長”でやんした) 明るくて元気で利発な子で(自分で言うか!)、風邪で休むと“クラスの人数が半分くらいになったみたいだ”と言われてました。 長じて中学生になって、1年生の時クラス委員だった女の子が、イジメや学級崩壊寸前の状況に『ノイローゼ一手前』になって、 正義感をいたく奮わされた俺が後を引き継ぎ、『俺がこのクラスを変えてやる』と意気込んだのですが、結果は散々。駄目だこりゃ〜ってな状況でした。 (当時は“第2部金八先生の腐れたリンゴ”または“積み木崩し”世代で、 岩手でも、あちこちで荒れに荒れたピークからは多少落ち着いてきた感じでしたが、 少数の“きかん坊”が幅をきかせている時代でしたね) 当時の我が中学校では、クラス委員を前半と後半で選び直すシステムで、2年生に進級し クラス替えを行い(中学3年間で、クラス替えはこの1回だけ)、 委員長の立候補を募ったのですが、まあ、挙手する奴はおらんよな〜。 さんざんもめましたサ。前任者の俺を推す声もあったサ。『絶対俺やんね〜〜〜』って言い張ってても、 結局、我が中学校に赴任したての女先生がどうにも不憫で、最終的には俺が立ったのです。 とこどがドン!信認の挙手で俺、『不信任』喰らったサ!こりゃ、ビックリ!!! 確かにネ〜、1年の後半のクラス運営は、俺も“不届きな反乱分子”に腹立てて、大分ムチャしたからネ!てへっ。 つーてもさー、『誰もやらない』という世論を受けて『俺がやる』という奴を“信任しない”ってどー言うの? ・・・結局、俺が『クラス委員長』やったんだけどサ。そりゃ、先生には心から感謝されたさ。 俺も、前任時のクラス運営を強く反省して、皆に詫びて(詫びる筋合いなどコレッポッチも無かったのだが)、 協力を要請したから、その後の“クラス”はなんぼかまともだった。(メンツが入れ替わった事が一番大きい) さて、2学年半ばには、とても大きなイベントが待っております。『生徒会選挙』って言う素敵な響きのイベントが。 当時、岩手に限らず全国的状況は『お受験・お勉強第一、それに支障ある役割、ましてや生徒会長なぞ、誰がやるか!』的でしたね。 ご多分に漏れず、我が中学2学年から、立候補者なし。2度に渡る告示期間の延長、立候補者募集すれど誰も立たず。 俺は先生たち受けが大変良く、また現執行部の野球部の先輩からの信頼も厚かったので、 『お前が出ろ〜、お前が立て〜、お前しか居ないんだ〜、お前になら出来るんだ〜』攻撃 を徹底的に喰らいました。最後には『1年生から誰かを立てるか』という話になりかけたので、 そりゃあさすがに恥かし過ぎんべ〜〜〜、って事で、俺はとうとう『立候補』する旨を決心し、先生に伝えました。 ・・・所が!!!翌日学校に行って見たら、生徒会長立候補者がもう一人出てるじゃありませんか? 俺は立候補辞退を強く申し出たのですが、何故か聞き入れてくれない。 別に、複数のルートで立候補説得するのは構わないし、 “たまたま”俺と一緒のタイミングで彼も決心したんだろうから(ほんとか?)、その事象自体はいい。 でも、念願の立候補者が立ったのだから、その片方(つまり俺)が降りても良いじゃないかい!!! でも駄目だってん。俺が“戦う決心”を決めたのは、功名心や義務感ではありません。 担任の先生のほんとに済まなそうな顔を見て、俺はこの“不条理”と戦うべきだと悟ったのです。 大人に、先生に、こんな顔をさせては成らない!絶対に!ってね。 相手は野球部の次期主将でサード兼投手で4番(おまけに実家は村で一番大きい土建会社、そこの長男さまでさ)、 俺は野球部の俊足攻守の10番目の選手、得意技は“ロストボール探し”と“声出し”(とーちゃんはしがない地方公務員) 巷での無責任な予想は『俺の惨敗』。そりゃそーだろー! 青臭い正義感と正論を振りまく暑苦しいヤローよりは、 3年生の“色男グループ”の全面支援を受けるエースで4番の方が見栄えイーもんね! かつ、俺と来たら、“クラス票”すらまとめきれなそー、と来てる。 結果は大方の予想を裏切る惜敗でした。『200票対206票』の6票差、でやんした。 俺は最後まで本気で勝てる気でしたから、マジ・デラ悔しかったです。 秋の岩手の冷たい小雨が降る中、雑木林に駆け込んで泣きましたさ。 その時俺は痛感しました。人間って、本当に悔しくて辛い時は“泣けないんだな”って・・・ 無理して涙を捻る出す事で、何とか精神の平衡を保つ事ができました。 俺は、この学校を本気で変えたかった。一部の不届きな者に引っ掻き回され、怯え、言いたことも言えないような空気を変えたかった。 そして何より、『白けてイジケた雰囲気』を変えたかった。でも、その俺の声と心は、皆には届かなかったのです。(と、その時は思った) 当時の俺は“惜敗”である事がとても悔しかった。でも、巷間お噂どおりの“大敗”だったら、多分俺は心から『死にたい』と思ったでしょう。 後に聞いた話しでは、『意外にクラス票がまとまっていた』『対立候補の居る隣りのクラスの票もかなり俺に流れた』『下級生の男子票と、上級生の女子票では俺が勝っていた』 そして、上級生の現執行部の人達と、俺のクラスの良識派がかなりメセナ活動をしてくれた事が、“意外にも接戦”になった要因のようでした。 当時としては大変に珍しい『生徒会長選挙』をやれて、学校はさぞ満足だった事でしょう。 (内申書の内申点目当てで生徒会長候補が乱立する、ずっと前の時代ですじゃ) 余談ですが、担任の先生からくどいくらいの言葉での感謝以上に、『なっじゃこりゃ〜的な内申点』を頂き、 進学した先の先生から後で、『あんな内申点見たことない、お前中学で何したんじゃ?』と聞かれました。 結果論を言えば、半ばちゃんぽらんな彼が『生徒会長』で、なんとなーく納まって、荒れてた学校が少しは良くなったように見えました。 俺と言えば、結局自ら進んで、卒業までずっと『クラス委員長』を続け、事あるごとに生徒会執行部に『噛み付いた』とさ。 辛くて悔しい中学時代の自らの経験で、俺は“民主主義の世論”の真実を垣間見させてもらいました。 『積極的悪意を持つ者1割が、その賛同者・同調者1〜2割、圧倒的多数派・無関心派が6割、良心派1〜2割』 これは、ほとんどの場合に適合できる“黄金比率”だと今でも 思っています。 こんな世の中のリーダーとは、如何に立つべきか? 真のリーダーを立たすべき社会としての有り様は如何なるものか??? ・・・少なくとも、“現代社会の縮図”といえる、俺の中学時代のモデルに、その回答は有りません。 いいえ、真のリーダーが生まれ出でない理由こそが、長々と記した俺の中学時代の“小噺”に象徴的に現れています。 ◎結論 【この時代の真のリーダーとは】社会の現状とテイタラクをよく認識した上で、確信的に悪役を引き受ける強さを持つ者。 また、決して自暴自棄にならず、辛抱強く忍耐強く、愚鈍なまでに原理原則を繰り返し語る者。(自らの愚鈍を笑える者) 【真のリーダーを生む社会とは】“人事”など一切無く、あらゆる事象を自らの主観として捉え共感し、 いつ何時でも“イザとなれば俺が立つ”という気概を一人一人が持ち得る社会。 |