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http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1736
財政を圧迫する要因として社会保障支出が挙げられることが多いが、地方交付税も大きな要因だ。地方交付税とは、国が地方の基本的な財政支出を賄うために支出する補助金であるが、その額は臨時財政対策債と合わせ、2007年度の17.8兆円から11年度の23.5兆円まで増加している(総務省資料「地方交付税等総額(当初)の推移(2000〜11年)」)。
臨時財政対策債とは、交付税の足りない分を地方が借金をして埋めても良いという制度の下で発行された地方債である(11年度では6.2兆円)。07年度以降11年度まではほぼ不況続きで税収が減少していた期間である。にもかかわらず、この期間に地方への補助金が増え続けていた。日本の一般会計支出がほぼ100兆円、財政赤字が44兆円という状況で、交付税が大きな歳出項目であることは間違いない。
交付税とは、本来、国税のうち、所得税の32%、酒税の32%、法人税の32%(当分の間35.8%)、消費税の29.5%、たばこ税の25%と決まっているものである。もちろん、税収は変動する。しかし、好況の時に得た交付税の金額を既得権として、不況になっても同じ金額を維持せよと言ったのでは、国の赤字が増えるのは当然だ。
国もたまらないから、地方も借金で賄えというのが臨時財政対策債だが、これでは国の借金が増えなくても地方の借金が増えるだけだ。国全体の税収が減れば交付税も減り、減った交付税で地方がなんとかするべきものではないか。
これに対して、地方交付税は、議会や庁舎の費用、教員や警官などの地方公務員の賃金など、基本的な支出に充てているので、税収が減ったからと言ってどうにもならないという反論があるかもしれない。しかし、基本的な支出を国からの補助金で賄っていること自体がおかしいのではないか。
独立国が、外国からの援助でインフラを造り、経済発展を手助けしてもらうのは良い。災害時に助けてもらうのもかまわない。しかし、議会や防犯の費用まで負担してもらっていては、独立国とはいえないだろう。これで地方自治というのはおかしなことだ。なんでこんなことになってしまったのか。
昔の地方は独立していた
そもそも、戦前期、地方は独立していた。江戸幕府は、村や町の自治には関与しなかった。人々は集まって話し合い、祭りや水路の補修や孤児の世話の仕方などを決めていた。武士が関与するのは、年貢を納めさせること、村々の対立があること、人々が対立して決められないことがある時だけだった。
明治になっても、この原則は変わらなかった。もちろん、富国強兵を目指す明治政府は、徴兵と軍備増強の税のためには村や町の政治に関与したが、それ以上のことはしなかった。明治の自由民権運動のスローガンは、「民力休養、地租軽減」だった。税金を減らし、民を休ませよというのが、自由民権運動の目的だった。
知事は官選で中央から地方に送り込まれたが、地方議会の承認がなければ地方の税を自由に使うことはできなかった。
ところが、工業化によって、豊かになる地域と貧しいままの地域が生まれてくる。近代国家として、保健衛生や教育や福祉のための支出も必要になってくる。豊かな地域に課税して、そうでない地域に補助金として配布する必要が出てくる。このこと自体は必要なことだろう。多くの国で、同様の制度がある。
ドイツの場合、住民1人当たりの地方税収は、財政で調整する前では上位4州と下位4州の税収平均で1.245倍の格差があるが、調整後には格差が解消する。要するに、住民1人当たりの地方税収がどの州でも同じになるように財政で調整している訳だ。カナダやフランスでも格差が縮まる。アメリカはまったく縮まらない。なるほど、アメリカは個人だけでなく、州も独立独歩で生き抜いている訳だ。
それに対して、日本では財政調整前には、地方税収上位5県と下位5県の平均には1.835倍の格差があるが、財政調整後には0.714倍になる。すなわち、税収格差は逆転して、上位5県の平均税収が下位5県より少なくなる(財務省財務総合政策研究所「地方財政システムの国際比較について」02年6月21日)。
これほど極端な財政調整をしている国は他にない。
負担のない収入が自治を衰退させる
大阪の橋下徹市長が独裁者であるという議論があるが、橋下市長は前知事として大阪府の歳出をカットし、今度は大阪市の歳出をカットしようとしている。そもそも議会とは、独裁者である王様が勝手に税金を取って贅沢をしたり、戦争をしたりできないようにするために生まれたものだ。ところが、日本では、議会が地方自治体の職員とともに歳出を増やそうとしている。それを抑えようという橋下市長が独裁者なのか。何かおかしくはないか。
結局のところ、地方交付税という地方住民にとって負担のない税収があり、それを使うことが地方議会と自治体の役割になってしまったことに根本的な問題がある。しかも、交付税にしろ他の補助金にしろ、地方には裁量の余地がほとんどない。これでは、ともかく寄こせの大合唱になるしかない。
今更、交付税をなくすことはできないだろう。しかし、交付税を本来の税の一定率にして、国の財政に負担をかけないようにすることはできる。その中で、地方の裁量権を拡大すれば良いのではないだろうか。
こう言えば、いい加減な市長や議会が給与のお手盛りをしたり、どうしようもない第3セクターで無駄遣いをするかもしれない。そうなっても良いのかという反論があるかもしれない。
しかし、現状がすでにお手盛りなのだ。地方議員1人当たりの年間報酬平均(年金コストを含む)は日本が762万円とずばぬけて高く、韓国240万円、アメリカ65万円、フランス、スウェーデン、スイスなどはほぼ無報酬である(渡部記安『中央議会(国会)・地方議会議員年金制度』朝陽会、2010年)。
そもそも、住民が市長を監視するのが自治である。一生懸命監視しなければ、国からの交付税を自分たちの代表が無駄遣いするかもしれないし、住民のためにうまく使ってくれるかもしれない。そのような真剣勝負の状況が生まれて初めて地方自治が発展する。
さらに、国からもらった補助金ではなくて、住民から税を取って、その税の使い道を真剣に考えるのが自治ではないかという人もいるかもしれない。その通りだが、まず、その前段階から始めるしかないではないか。
◆WEDGE2012年3月号より
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