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小沢裁判は抜本的改革派と「亡霊にしがみつく守旧派」との戦いだ
http://www.the-journal.jp/contents/futami/2012/03/post_42.html
2012年3月22日 23:07 二見伸明の「誇り高き自由人として」
3月19日、小沢「強制起訴」裁判は、小沢一郎の「検察が違法不当な捜査を行い、検察審査会を起訴議決へ強力に誘導したことが公判で鮮明になった。私はいかなる点でも罪に問われる理由はない」との最終意見陳述と弁護側の「東京地検特捜部は、小沢元代表がゼネコンから違法な金を受け取ったのではないかとの根拠のない『妄想』を抱いて大規模な捜査を行ったが、収賄の嫌疑を裏付ける証拠を得られず『敗北』した。本件はその残滓(注:残りかす)である。妄想から始まった事件は実在しない」と、指定弁護士の論告求刑を木端みじんに打ち砕いた強烈な最終弁論で結審した。指定弁護士(検事役)の大室俊三弁護士は最終弁論について「的確な意見と評価できる部分もある」と言わざるを得なかったのである。判決は4月26日である。
'09年3月3日の大久保公設秘書逮捕で始まった「小沢裁判」は初めから異常・異様だった。30数億円の国費を投じ、マスコミの露骨で執拗な支援を受けた国策捜査は「大山鳴動してネズミ一匹も出ず」に終わり、業を煮やした登石裁判長が自ら「ネズミ」を捏造したのである(陸山会判決)。今回も、通常の裁判なら当然無罪だが、裁判長が推認判決で「柳の下の2匹目のどじょう」を目論む恐れがないわけではない。
小沢裁判は単純な「小沢抹殺」だけを狙ったものではない。「国家権力」は、小沢が20数年間主張し続け、大きな影響力をもっている「国の仕組み、政治の在り方」などの抜本的改革理論そのものを抹殺しようとしているのである。官僚や一部政治家にとって、小沢の存在そのものが不都合なのだ。
「中央集権・官僚支配」は明治維新以来、今日まで日本国の根幹であり、国民を支配してきた「国体」そのものである。官僚は経済界のみならずあらゆる分野に天下り、国民や国会、政治家の目に見えないところで、中央官庁の意思の代弁者として暗躍しているマフィアである。かつて、知人の中国人経済学者が私に語ったことがある。「日本は資本主義ではない。天下り役人が官庁の考えや将来の方針を団体・企業に伝え、団体・企業の要望を官庁に伝える会社主義だ。政治家も役人からレクチャーしてもらい、その意を命令のように業界・団体に伝え、選挙の票集めをしている」と。そこには政治家が国民のために政治をしている姿は見えない。民主主義の精神はみじんもない。
小沢の「中央集権・官僚支配の打破、地方分権、国民主導・政治主導」は、一例を挙げれば、現行の一般会計予算、特別会計予算、独立法人、特殊法人にメスを入れ、巣食っているシロアリを退治することだ。既成の利権集団や官僚が牙をむき出して襲いかかって来るのは当然だろう。官僚は、「省益」や自己保身ではなく、公僕としての原点に立ち返り、国家国民のために持てる能力を十分に発揮すべき立場であるべきだ。そこに生きがいを感じている優秀な官僚も多い。官僚を使いこなせない政党や政治家は自然消滅することになるだろう。
いま、最大の関心事である消費税増税は「官僚支配・官僚主導」の集大成である。25年前、消費税導入をめぐって政府・自民党と野党が激しく対立したときのことである。政府・与党の司令塔は官房副長官・小沢一郎、私は税制特別委員会の野党理事だった。当時、衆議院職員で委員部副部長だった平野貞夫(元参議院議員、政治評論家)から「小沢と徹夜で、本音の議論をしてはどうか」との話があり、権藤恒夫衆議院議員(故人)と私の二人で小沢と文字通り、徹夜で議論をしたことがある。その時、小沢が断言した言葉が忘れられない。
彼は「消費税は財政赤字の穴埋めに使ってはいけない。財政が厳しいからといって、安易に消費税を引き上げたら、国がおかしくなる」「シャープ勧告による税制を見直し、所得税、法人税、租税特別措置を抜本的に改革しないで消費税増税をしてはいけない」「増税をする前に予算の無駄遣いをなくすなど抜本的な行財政改革をする必要がある」「不況下では消費税増税をしてはいけない。逆進性の強い税制だから中堅層以下の家計は大打撃を受ける。まず、経済を成長路線に乗せてから消費税を考えるべきだ。さもないと、不況対策として『消費税をゼロにせよ』という意見も出てくるだろう」「消費税は社会保障充実の財源にするほうがいい」等々、消費税増税についての根源的な課題・問題点を語ったのである。今年2月24日の朝日新聞、3月21日の読売新聞の小沢のインタビューはその延長線上にある。民主党の某議員は私に「全体会議で社会保障のビジョン、行政改革について質問しても、政府も党執行部も満足に答えられない。ただ、ひたすら、増税をお願いします、といっているだけだ」と憤懣やるかたない思いをまくし立てていた。
官僚は「予算の組み替え」など行財政改革には本音は反対だ。「まず、消費税増税ありき」のほうが安心していられるのだ。消費税導入時、野田総理は国会議員ではなかった。小沢の「毎日、毎晩、死ぬ思いだった」(読売インタビュー)苦労などまったく分からない。消費税増税の根源的な問題などは知ろうともしないだろう。「増税した後、各種の改革をする」という野田総理の方針は国民を欺く目くらましであり、自民党政権が多用したやり口と同じ「増税喰い逃げ作戦」である。野田は「不退転の決意」さえあれば自由に、いつでも引き上げることが出来ると錯覚しているのだ。
太宰治は「厳酷と冷酷とは、すでにその根元において、相違っているものである。厳酷、その奥底には人間の本然の、あたたかい思いやりでいっぱいであるのだが、冷酷は、ちゃちなガラスの器物の如きもので、ここには、いかなる花ひとつ咲きいでず、まるで縁なきものである」と書いている。野田政権が自民党と手を組んで成立させようとしている消費税増税は「冷酷」であり、厳しい小沢の主張は「厳酷」ではないだろうか。
ところで、3月15日、ロイター通信は、総理でもなく、野党第一党の党首でもない、民主党によって「座敷牢」に閉じ込められている小沢とのインタビュー記事を世界に配信した。世界のメディアや各界のリーダーたちは、野田総理や谷垣自民党総裁は知らないけれど、小沢の考えやその人となりを知った。'09年3月、大久保公設秘書が逮捕された直後、アメリカの高級週刊誌・タイムは「日本を救うのは誰か」と題する小沢特集をした。ロイターの記事は非常に意味深長である。
'09年2月のクリントン米国務長官との会談は、日本のマスコミは通り一遍の、お義理の報道だったが、世界のメディアは注目した。小沢は中国問題について「共産主義と自由経済とは原理的に相容れない。だから、いかにソフトランディングさせるかを、日本もアメリカも考えなくてはいけない」と述べた。今秋の最高権力者の交代をめぐって改革派と「毛沢東の昔に帰れ」と主張する保守派の権力抗争は、政治動乱に発展しかねない危険性を孕んでいる。まさに小沢の指摘が現実味を帯びてきている。クリントンは小沢について「大変な洞察力」と驚嘆したそうだが、小沢に匹敵する洞察力をもった政治家は、残念だが、日本にはいない。'10年1月、アメリカでの世論調査「世界を動かす政治家」は、1位 胡錦涛、2位 オバマ大統領、そして3位はマスコミのバッシングを連日浴びている民主党幹事長(当時)、小沢一郎だった。
守旧派も必死である。彼らは最後の力を振り絞って「小沢を殺し」にかかる。それを阻止するのは、私たちだ。消費税増税を撤回させ、政治を「国民生活が第一」の原点に戻し、民主主義の土台を守るために、私たちもすべての力を振り絞って「小沢無罪」を勝ちとらなければならない。
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