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肉や魚よりも花のほうが足が速いから花屋は難しいと聞いたことがあるが、もっと足の速い商品がある。日雇労働者の労働だ。その日仕事にありつけなければその日の食事もその夜のねぐらもないかもしれない。
午後5時のスーパーの惣菜売り場で奥さんたちが値下がりを待つように、わざと労働の買い控えをして待っていれば必ず下層未組織労働者の賃金は下がる。それは貯蓄を投資しないで溜め込むことで可能だ。そして広い範囲で労働の値崩れが起これば下方硬直性が高いといわれる組織労働者や公務員の賃金に対しても強力な値下げ圧力になるだろう。これは労働者に対するテロだ。そして国がそれを放置するなら、国の国民に対するテロだ。
興隆期の資本主義では賃金を引き下げて利潤を増やし、その利潤を再投資して国民を豊かにする、というメカニズムがあったが、今溜め込まれた貯蓄は国内産業に投資されずに(海外に流出して)国内に貧困を引き起こしている。
貯蓄、海外投資などで国内から失われた購買力を補ってやらなければ
売れ残り在庫→失業→貧困 が発生する。
( 売れ残り在庫は在庫投資だから投資だ、というのは「三面等価の原則」を「三面等価のホーソク」と取り違えている間違い。)
参照→http://www.youtube.com/watch?v=l_0JWaXbM1U
バラマキ、というと田中角栄を思い出すが、もしかしたら彼は「乗数効果」は知っていても、そもそも何故バラマキがうまく行くのかというと、貯蓄退蔵されてしまった購買力を補ってやっているからだ、という理屈を知らなかったのではないだろうか。なぜかといえば、いまでも「貯蓄が貧困を生む」というと、「?」という反応が返ってくるからだ。そう思えば国債は国の借金だなどというナンセンスに有効な反論が出来なかったわけがわかる。
バラマキの批判者たちは、せっかく中央に利潤を溜め込んだのに、貧しい「地方」に補助金を出したら中央の利潤が減ってしまう、と思っているのだろうが、逆だ。
商品の総額は収入の総額に等しいのだから収入の一部が溜め込まれた分だけ貧困が発生する。
中央に利潤を溜め込んだからこそ地方が貧しくなったのだ。
だから、電源三法を廃止して反原発を進めるという論理はまずい。地方に「核」と「貧困」の二者択一を迫ることになるからだ。
原発を作れば交付金が出るなら、作らなくても出せるはずだ(お金はあったのだから)。 かつ、原発を作らないことにすれば建設費も浮くわけだからその分もつけてやればよい。原発のある豊かな暮らしと、原発のないもっと豊かな暮らしのどちらを選びますか、と問えばよい。
社会保障は騎馬戦型から肩車型へ
・2010年には高齢者1人を現役世代2.8人で支える騎馬戦型だったものが50年後には1人を1.3人で支える肩車型へと変わる。
・また、労働人口も8173万人から4418万人に約50パーセント減少。
・50年後の社会保障制度を維持するには負担と給付の見直しが必至。
こう見出しを並べると日本人の生活水準は低下して当然のように見えてくる。
本当だろうか。
ここに年間100本のホームランを打つ天才野球選手がいて年俸100億円だとする。彼は100億円分コメやビフテキを食べ豪邸に住みスーパーカーを乗り回す。しかし彼がホームランを打つたびにコメが実り子牛が生まれ家や車が出来るわけではない。つまり彼は生産人口ではない。彼が消費するのは誰か他の人間が作ったものであり、では彼が消費する分は他の人の分が減っているのか、彼は社会の寄生虫であるか、といっても意味がない。その分増産すればよい。
東京競馬場には門が五つだかあるそうだが、朝この門をくぐって入って来たお金と夕方この門を出て行くお金は量が等しい。競馬場はお金を増やしていない。負けた人のポケットから勝った人のポケットに移動させただけだ。
今世界を巨額な投機資金が飛び交っているが、マネーゲームはお金を増やしていない。損した人が損した分だけ、儲けた人の儲けになっている。だからバブルを作っては破裂させて誰かを損させ、その分を儲けている。
今日本に「○×投資顧問」という名の会社がいくつもあるが、彼らは「生産人口」ではない。では彼らは社会の寄生虫であるかといっても意味がない。ほかに仕事はなかったかもしれないし、彼らも食わなければならない。彼らの食う分は増産すればよい。
いま、10万トンのコメを、10万台の自動車を、10万棟の家を増産するといえば簡単なことだ。老人(非生産人口)が増えたらその分増産すればよい。問題はその老人がそれらを買うべきお金を持っているかどうか、いかに彼らにお金を回すか、だ。
生産に不足があるのではない。分配に問題があるのだ。
日本のGDPが500兆円。そのうち資本財の維持更新にあてられる分などを除いた、国民の所得は380兆円。1億2000万人で割るとひとり316万6666円。
これは少ないだろうか。いや、多いと思う。
今日から日本は共産主義、と宣言して国民に平等に配ると、夫婦と子供一人の三人家族は年収950万円の生活が出来る。三世代同居の六人家族で1900万円。それだけの富を生産していてなぜ貧困が発生するか…。
完全な平等は返って公平ではない、という意見を取り入れて、たとえば国民一人100万円のベーシックインカムを保証すると120兆円。残り260兆円を好きなだけの傾斜をつけて分配する、などすれば最低で三人家族に300万円。これだけあれば割に合わない労働はしないですむ。つまり「労働供給量の決定における古典派の第二公準」が満たされることになる。非自発的失業がなくなる。
ところで100兆円とはいったいどのくらいの大きさなのだろうか。
100兆円の100分の一が1兆円。そのまた100分の一が100億円。さらにその100分の一が1億円。ここでやっと日ごろ新聞で目にする額が出てくる。
1億円は100兆円の100万分の一だ。
たとえば駄菓子屋のばあちゃんが親戚の借金の連帯保証人になって1000万円の証文を書かされた、しかし実はそれが詐欺で、証文をカタに店を取られそうになった。そこに吉良の仁吉のような侠客が現れ、
「おい、取り返してきてやったぜ」
と証文をばあちゃんの膝の上に投げ出し、帰り際に棚の1個10円の飴玉を口に放り込んだ。
その1個10円の飴玉が1000万円の100万分の一だ。
今,小沢一郎の資金の出所が取りざたされているが、その額が4億円。
日銀は所有しているアメリカ国債の額を公表していないというが、ネットで取りざたされている額が400兆円。その100万分の一だ。
経済記者たちは所詮飴玉の詮索ばかりしていないで日本経済の実態を追求すべきではないか。
(小沢一郎はもともと新自由主義の旗手のような位置にいたと思っていたが、「国民の生活が第一」の高福祉・修正資本主義に転向したのだろうか。新自由主義はやってみてうまくいかないことがあきらかになったし、理屈の上からも間違いだと思うが、それはブレーンであった学者や官僚たちのせいにして、さっさと角栄のバラマキ路線に戻るべきだと思う。左側には票もうまい汁もいっぱいあるよ。)
http://homepage2.nifty.com/okutamahomeless/jokyoshn.htm
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