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文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ 『毒蛇山荘日記』
罪刑法定主義から罪刑世論主義へ。裁判員制度や検察審査会制度の導入で日本の裁判は大きく変わろうとしているようだ。光市事件裁判などの影響もあって、従来の裁判は罪刑法定主義だったが、つまり専門の裁判官が法律と証拠、自白などにもとずいて厳格に判決を下してきたが、それが、国民感情や世論の動向に左右される「裁判官の素人化」「世論迎合主義化」・・・ という方向へ変わりつつある。「小沢裁判」はその典型である。明らかに、小沢事件や小沢裁判は、政権交代を恐れ、民主党政権誕生を批判する一部の国民感情や世論に迎合することから始まった。専門家が法理論にもとずいて、不起訴にしたにもかかわらず、「ド素人」が、法律や証拠など無視して感情的に、且つ憶測の上で無理矢理、強制起訴した裁判であった。だから、検察や裁判官側の幼稚・稚拙な「失敗」や「組織的犯罪」が、裁判が進むに従って、次々に暴露されて、「国民・大衆・一般市民」の知ることとなってきたのである。検察や裁判官、指定弁護士等が、国民感情や世論を読み違え、その読み違えた世論に迎合する形で「政治謀略戦」に加担したことが、すべてのはじまりである。しかし、皮肉にも、世論に迎合する形で始まった裁判が、今度は逆に、検察や裁判官、指定弁護士等のインチキと犯罪が暴露されることによって、激しい世論の反撃に晒されているというのが「小沢裁判」の現在である。大善裁判長は、法律専門家たちだけではなく、目覚めてしまった「世論」「国民感情」をも、敵に回し、「小沢有罪」の判決をくだすことができるだろうか。もし「小沢有罪」ということになれば、さらに「国民・大衆・一般市民」による「検察批判」「裁判批判」「検察審査会批判」は沸騰することになるだろう。
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