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3月17日(土) なぜ、誰も吉本隆明の責任を追及しないのか(五十嵐仁の転成仁語)
http://www.asyura2.com/12/senkyo127/msg/738.html
投稿者 gataro 日時 2012 年 3 月 18 日 14:57:06: KbIx4LOvH6Ccw
 

http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2012-03-17

3月17日(土) なぜ、誰も吉本隆明の責任を追及しないのか 

 吉本隆明が死んだそうです。最大級の評価と追悼の言葉が、テレビや新聞で報じられています。

 昨日の朝7時のNHKニュースのトップが、吉本の訃報でした。夕刊各紙も、多くの紙面を割いて業績を紹介したり、その死を惜しむ言葉を掲載しています。
 「戦後思想の巨人」とか、「戦後の思想界を代表する評論家・詩人」だなどという賛辞が溢れていました。あの石原慎太郎知事までが、「権威に反抗するオピニオンリーダー。1つの世代の象徴的な存在だった。残念です」と悼んだというのですから、呆れてしまいます。
 慎太郎に評価されるようになったらお終いです。吉本もその程度の「思想家」だったということでしょうか。

しかし、忘れてならないのは、吉本の思想と言説が全共闘運動や新左翼の学生達に多くの影響を与えたということです。既成の左翼運動を徹底批判し「新左翼」の教祖的存在となったこと、全共闘世代の若者の熱狂的支持を受けたことは、当時、若者であった私も良く知っています。
 そして、その言葉に影響され、これらの誤った運動へと足を踏み入れて暴力をふるったり、暴力によって負傷したり、命を失ったり、人生を狂わされた学生や青年達が多くいたことも。そのような学生の一人によって、私は旗竿で右目を突かれ、失明させられました。
 その思想的淵源の一つが吉本隆明であったかもしれません。内ゲバにまで至り、惨憺たる結末を迎えた全共闘運動や新左翼運動に対して、「教祖」として思想的な影響を与えた吉本隆明には大きな責任があります。

 それなのに、なぜ、誰も吉本隆明の責任を追及しないのでしょうか。人々の行動を左右し、生き方にまで深く影響を与えた思想の「結果責任」を、どうして誰も吉本隆明に問わないのでしょうか。

 

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コメント
 
01. 2012年3月18日 15:16:40 : IYyRSPdFJA
今の民団民主党の政治家たちの大半は左翼思想だから、彼らの精神的支柱が死んだことになる。彼らのシンボルだったということを証明している。

02. 2012年3月18日 15:26:51 : uv3t8mF4Cs
吉本は原発礼賛だって。やっぱり反体制を装った体制派だった。共同幻想論はよんだが、これも単なる言葉遊びの思いつきだった。自分でもそういっている。思いつきだったと。

03. 2012年3月18日 15:40:33 : wO7TnF0TW2
一言で言えば
仙谷のような
悪徳政治ゴロを生み出した
便利屋的「思想」家だった。

結局は
俺のものは俺のもの、
お前のものも俺のもの、
という、いわば、
ユダヤ資本にも劣らぬ、
ヤクザ顔負けの
守銭奴に通じる
「思想家」だった。

アメリカにヘイコラ諂い
自分の利益だけを優先し、
日本の自主自立なぞ
これっぽっちも考え及ばぬ、
売国奴だった。


04. 2012年3月18日 16:02:50 : d07iybJkXA
吉本に影響されたから内ゲバや爆弾闘争をやったんだというが、当時の学生はそんなに脆弱だったのか?
いちいちだれそれに影響受けたから責任取れじゃ日本じゃデモの1つも起きなくなる。
そういう問題なのかねえ。
なんか新左翼や学生運動を敵視しすぎてる嫌いがなきにしもあらずというか、五十嵐仁て日共関係の人なのか?
gataroさんが投稿してるからだけなのか。
別にどうだっていいじゃん、と全共闘世代とは何の関係も無い俺が言ってみた。

05. 2012年3月18日 16:34:35 : 35Lt1MOeqI
】「原発を怖れる人はサルになる」の絶対知崇拝の名言を遺した吉本隆明の対極、芥川龍之介『地獄変』の人間的(相対知的)な視座http://bit.ly/ADGrsg

06. 2012年3月18日 17:08:48 : esmsVHFkrM

あれ、持ってると女の子にもてたから。

誰も読んでないよ。読んだってなに言ってんだかわからないんだから、影響されようがないよ。

吉本については、小熊英二の「民主と愛国」での評価が当たっていると思う。だから、結局原発肯定をはじめすべてについて現実肯定に堕していって、「新左翼運動の理論的支柱」のはずが、この官僚利権政府大政翼賛会マスコミの絶賛を受けて死んでいく。

これこそ「ニセモノ」との証明だ。



07. 2012年3月18日 17:11:12 : 7HvclB0zY2
吉本さんが日本と戦後社会にもたらしたものは計り知れない。
それは寄与といったレベルを超えている。

それでも悔やまれるのは、五十嵐某のような「学者」を図らずも
現在まで生息させていることだと思う。


08. 2012年3月18日 17:21:13 : dnLjxjtLck
協賛党は器がチィセェなぁ

09. 2012年3月18日 17:48:42 : R4HhLodF3Y
吉本批判している人たちが読んで理解しているとは思えない。
叩くのに都合良いとこだけ持ってきて叩いてる。
反核異論叩くならそれだけやれば?
三部作読んでいるとは思えない。
誰でも全て読んで全て気に入るなんてありえない。
ある時期熱中して熟読して影響受けても
違うな、自分に必要なくなったなと思えば読まなくなる。
まあ、個人的には三部作は影響されたかもしれないが
最近は読んもいないので、まとめてどうこう言えない。
叩くために買うのも馬鹿らしい。
吉本のせいで死者が出たと言うのは言いすぎ。
自分の責任はどこ行った?
マクドナルドのせいでデブになったと文句言ってるアメリカ人みたいだ。


10. 2012年3月18日 18:02:32 : VXP60kBWUM
 思想だけなら、強制される権力ではない。権力に加担した思想ならば、時代の責任を負わなければなるまい。
 しかし、思想は行動のテコでしかないだろう。ならば、その思想をテコに行動した、本人自分が全て責任を負う。正に自己責任。思想家に責任転嫁する輩は主体性と自己責任感の欠如の輩。
 ただし、歴史は、つまり人類のレベルでは、その思想家の責任を問うことができるだろう。
 自分のレベルで投稿しているが、そういう意味合いと理解する。
 

11. 2012年3月18日 18:23:37 : IDzgqepGWU
訃報を聞いてから二日間の間に、ネットでいろんな感想を読んだけれども、いちばんくだらないと思ったのがこの五十嵐某のものだった。おそらく、吉本的感覚からもっとも隔たった感覚だからだろう。法政大学大原社会問題研究所所長とか。吉本は、アカデミズムのこっぱずかしさとは全く無縁だった。好きとか嫌い以前の関係ない世界だった。そこからの批判は吉本には届かない。勝手にやっていればいい。

12. 2012年3月18日 18:52:21 : mQnz499gVc
吉本は埴谷、吉本論争で終わっている、吉本が思想家?アホか。

13. 2012年3月18日 19:08:55 : LtUTOIQiHA
>12
御意、 イカレタ猿が社会を壊しただけ。

14. 2012年3月18日 19:26:48 : Qt9qjIRGzo
くだらない。

「知の巨人」だって??知らないね。
読まずに批判してるだって?
くだらなさ過ぎて、読んでないよ。
石原慎太郎の本だって、読んでないけど、批判するよ。
原発が科学の進歩だって、いまだに言っているだけで、
十分に、十二分に批判できる。
おれは、団塊の世代って言われてるし、
70年安保もやったさ。でも、全共闘じゃないけどね。
全共闘みたいな連中の一部が吉本をあがめているだけ。
だいたい、ふつうにわかるような表現、言葉で説明できないから
意味不明な造語でかたる「知識人」をありがたがるのは、愚の骨頂!

おれは、羽仁五郎のほうが、はるかに大きな知識人だったと思うけどな。


15. 2012年3月18日 23:58:51 : oDZLjorBrU
死んじゃった者に鎖かけてもしゃぁないし〜・・・・・
勝手な事言うだけ言ったと思ったら、・・・死んだか・・・
こんな事書かれる前に、もうちょっとお国入りが早かったら良かったのにねぇ〜^^

16. 2012年3月19日 06:55:04 : NzDdJSwrkM

吉本の思想と言説が全共闘運動や新左翼の学生達に
多くの影響を与えたということです。

内ゲバや、行き過ぎた『価値観』の暴走について、
吉本隆明氏は、たしなめ、反省しているのだろうか。

与えた影響は『おれ知らない』の世界か?
そこが疑問だ。


17. 2012年3月19日 09:20:05 : IDzgqepGWU
22年生まれの全共闘世代だけれども、吉本に煽られたことは一度もない。むしろ、吉本を読んでいたおかげで、自分にとっては「大学闘争」ではなくて「大学紛争」でしかなかった。

18. 2012年3月19日 12:52:42 : 7HzeTJFiGw
>あれ、持ってると女の子にもてたから。
誰も読んでないよ。読んだってなに言ってんだかわからないんだから、影響されようがないよ。

共同幻想論を読むのが当時のインテリ大学生のファッションに過ぎなかった。
読んだこともないが、共同を否定するという事は利己的に生きるということか?と思った。案の定 反スタのトロツキストの世界共産主義論(=NWO世界統一政府)をふりかざす連中は今や金儲けに執着している奴らだけである。金儲けの点で転向でもなんでもない。

>ユダヤ資本にも劣らぬ、
ヤクザ顔負けの
守銭奴に通じる
「思想家」だった。

同感である。仙谷・枝野など偽装左翼の守銭奴だろう。この2人選挙で落としてやりたい。


19. 2012年3月19日 13:01:47 : nNPddbW4SY

24年生まれの全共闘世代で当時まっただ中で過ごした。

本は読んだが吉本に影響されたことはない。大した印象はない仲間にも影響を受けた者などいない。

日本語がこなれていないから読みにくくて途中で眠くなる。読み通す価値を感じない、よって影響など受けようがない(笑)

影響与えたと言い張るのは本人と吉本の編集者とか周辺で飯食ってた奴らだろう。

後に埴谷雄高が吉本に対して、君は人を罵り続けてきたから、たまには罵られるのもいいだろうと語りかけていた。罵られていた人たちは無視していたのではないかな。

取り巻きが批判した埴谷雄高をスターリニストとか言って罵っていたのには笑った。

コムサデモードの似合うバナナの父親というのが後世に残る評価だ。


20. 2015年1月18日 17:04:39 : MTYZrwXWpg

バカじゃ済まされない。
「罪業深重の凡夫」ならぬ極重悪人の思想家。
若者へ与えた多大な影響力を考えれば、この死者は鞭打って当然。


遺 言

頑固爺の独り言


2014-11-11

吉本隆明の罪(26)
http://eegge.hatenablog.com/entry/2014/11/11/035415


吉本が『悪人正機説』を誤解したことによって、親鸞や直弟子である唯円が危惧した『造悪説』が蘇り、今の日本に倫理の危機が静かに進行していると言っても過言ではない状況です。吉本は多くの出版物をはじめ、ビデオ、インターネットサイト等で、死して今尚その影響を与え続けています。吉本の『造悪説』容認は『悪人正機説』の曲解によることは確かです。

「善人なほもて往生をとぐ,いはんや悪人をや」

この一文をいかに解釈するか、これがすべての始まりです。文字通り解釈すれば、「善人ですら往生を遂げるのだから、悪人が遂げられない筈がない」ということになりますが、私の解釈は、

善人は善行を積んでいるという自負があり、そのことで自らを肯定し、返って我に執着する。一方、悪人は自らが犯した罪に苛まれ、それでも生きる為には我を否定する以外に残された道はない。従って、悪人の方が「無我」になり、穢土から抜け出し(解脱)、浄土へ渡る契機が得られる。

仏教の存在理由・目的は『自覚・覚他』です、つまり、「自らが悟り・悟りを他に伝える」ことです。浄土真宗は覚他に重心を置き、禅宗は自覚に重心を置いています。仏教の源流をたどれば、仏教の本来は自力でした。

「この世で自らを島とし、自らを頼りとして、他人を頼りとせず、法を島とし法を拠り所として、他を拠り所とせずにあれ、斯くして、わたしは自己に帰依することをなしとげた。」 『大パリニッバーナ経』

これは釈尊が今際の際に直弟子アーナンダに残した遺言ですが、「自己に帰依する」という徹底的な自己探求によって、遂には、我を超越して無我を得るというのが仏教の王道だと思います。仏教教説の一切は「無我を見る」(無我こそ私たちの本性)、すなわち「見性」を示唆しています、勿論『悪人正機説』も例外ではありません。宗教は科学ではありません、しかし、知は尽くさなければなりません。『百尺竿頭に一歩を進む』ということでなければなりません。アインシュタインも次のようにいっています。

「宗教なき科学は不完全であり、科学なき宗教は盲目である。」

次に、吉本はもう一つ重要な点で誤解をしています、それは仏教の仏とプロテスタント(カルヴァン派)の神の混同であり、浄土と天国の混同です。仏教(親鸞・道元)の仏は別名仏陀(悟りを得た人)ですが、プロテスタントの神はまさに全知全能の存在であり世界の創造主です。仏教の『浄土』とはこの世の極楽であり、文字通り人間が生きて達し得る楽の極みです。プロテスタントの『天国』とは、この世に対するあの世であり、死後の世界の楽園を意味しています。親鸞は主著『教行信証』の『証巻』において、浄土がこの世にあることを明確に述べています。

「謹んで真実の証を現せば、則ちこれ利他円満の妙位、無上涅槃の極果なり。即ちこれ必至滅度の願より出たり、また証大涅槃の願と名づけるなり。しかるに煩悩成就の凡夫、生死罪濁の郡萠、往相回向の心行を獲れば、即時に大乗正定聚の数に入るなり。正定聚に住するが故に、必ず滅度に至る。」(原漢文省略 筆者訳)

上の後半部分において「凡夫が往相回向の信行(信じて念仏を称える)を行えば、即時に大乗仏教の正定聚(極楽往生の状態)に入る。」といています、これを道元は次のように述べています。

「正定是法明門得無散乱三昧故」(正法眼蔵用語辞典P.192)

「正定は是れ法明門なり,無散乱三昧を得るが故に」ということで、要は、二人とも全く同じことを言っていて、正定聚=正定=三昧=浄土ということになり、私たちが『三昧に入っている状態』が仏であり、その世界が浄土ということになります。仏教(親鸞・道元)は決して天国などという知り得ない世界を語ることはありません。仏教の最大の特徴の一つは厳密な意味での現実主義、すなわち『超現実主義』です。

一方、プロテスタント(カルヴァン派)の『天国』は死後の世界であり、この世とは隔絶した世界で、人間には全く知る由もない、手の付けようもない世界です。プロテスタントの『予定説』によれば、人間の天国入りは、全知全能の神の意志よって予め決められていて(予定されていて)、人間の思惑などは一切通用しない、「天国入りは、人間が善行を積もうが悪行を積もうが全く関係ない」というものです。

吉本はこの『予定説』と『造悪説』(悪人が浄土に行けるのならば、悪行もかまわない筈だ)を同一視したに相違ないと思います。吉本は『私の戦争論』P.54に於いて、

「マックス・ウエーバーはその著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で、資本主義的な、あるいは市民社会的な理念がキリスト教的な倫理とどう対応しているかを、一応きちっと分析してみせました。(以下省略)」

それにしても、吉本は、親鸞が息子である善鸞を『造悪説』を吹聴した罪で破門した史実や、唯円が著した『歎異抄』は読んで字のごとく、異端(造悪説)を歎く書であること知っていたにもかかわらず、なぜ『造悪説』を吹聴することになったのか、全く理解できません。

吉本:

「僕は親鸞が好きで、親鸞にたくさんの影響を受けていますが、オウム真理

教、つまり麻原彰晃のやったことは親鸞的な思想から言うと、造悪(ぞうあく)論なんです。親鸞は『善人より悪人のほうが浄土に行ける』と言っていました。そうすると、弟子の中に『それじゃあ、悪いことをしたほうが浄土に往き易い』と言って、悪いことをする集団、分派ができました。困ってしまうんだけれど、本来的に親鸞の教義の中には『それなら、わざと悪いことをしたほうが、浄土へ行けることになるんじゃないか』という造悪論を否定できない要素があると思います。それでも、親鸞は『良い薬があるからと言ったって、わざと病気になるやつはいないだろう』という答弁の仕方をして、造悪論をなだめますけれど、それは弁解にすぎず、親鸞の教義の中には『やっぱりいいんだ。悪いことをしてもいいんだ。極悪なヤツのほうが往生しやすいんだ』という教義が確実にあるんです」(吉本隆明氏に聞く『オウムに“親鸞的”造悪論 』1995年09月07日 東京夕刊

一体、吉本にとって倫理とは何だったのでしょうか。上記に続けて吉本は次のように述べています。

「(中略)僕はオウム真理教のやったこと、やらせたことは、親鸞流に言えば、造悪論の中に入ると思います。それで、僕の願望では『麻原、あいつは極悪深重できっと往生しやすいよ』と言いたいわけです。言えるようになりたいわけです。けれども、僕の器量が小さくて言えないわけですよ。ただ自分の中に二重性の矛盾としてその問題があります。それは自分のダメさかげんでもあり、どうしても二重性になってしまうのです。(中略)どうすれば、この二重性を解けるか。方向性だけは自分にあるつもりです。『市民社会あるいは庶民の善悪の倫理よりも、浄土の善悪の倫理のほうが規模が大きいのだから、庶民の善悪なんていうのは、あまり問題にならないんだ』というのが親鸞の言い方だと思います。僕らは信仰者ではないから、『浄土の善悪の規模のほうが大きいんだ』とは言えないんだけれども、市民社会の倫理というものが、もう少し普遍的な倫理に置き直せるんじゃないかなと思っています。それがたぶん未来社会、消費社会の次の倫理になり得ると考えます。浄土の善悪ではないけれど、市民社会の善悪よりも、もうすこし普遍化した善悪の規模、倫理の規模というものがつくれるのではないかな、と僕は思っているわけです(以下省略)」

このような言説を支える吉本の思想は、マルクス主義、実存主義、主知主義を三位一体として巧妙に組み立てられています。上記に述べられている「市民社会」という概念はマルクス主義と実存主義に、「普遍的な倫理」という概念は主知主義に由来するものと思われます。上記に透けて見える吉本のコンテクストは次のようなものだと思います。

戦後日本は未だに「全体主義」に陥りかねない「国民国家」に留まり、「市民社会」は実現していない、その原因は「生き神様信仰」にあり、「天皇制」に由来する。この問題を抜本的に解決する為には、個人が「生き神様信仰」から解き放たれて「市民社会の個」=「実存的な個」を確立しなければならない。「市民社会の個」の倫理の実現は「国民国家の倫理」を否定する『倫理革命』によって果たされる。『造悪説』はまさに『倫理革命』である。

吉本は「オウム事件」に『倫理革命』を見たに相異ありません。吉本は、一見、倫理を語っているようですが、その実、「政治」を語っているのです。それにしても倫理を政治利用するとは、倫理の冒涜以外の何物でもなく、悪の極みです。

(つづく)


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