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株式日記と経済展望
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大新聞が好んで書く「人を選べる選挙の方が、政党しか選べない選挙よりも
いい」という主張は間違っている。大選挙区単記制は最悪だということだ。
2012年3月18日 日曜日
◆政治は選挙制度で決定される 「日本の選挙」 3月18日 井上晃宏
http://agora-web.jp/archives/1440855.html
著者の加藤修治郎氏は、ドイツの選挙制度を主に研究している政治学者だ。
著者の言わんとするところは明快だ。
「選挙の政党化を助長することが、政治を良くする」
オルテガいわく、
「民主政治は一つの取るに足らない技術的細目にその健全さを左右される。…選挙制度が適切なら何もかもうまくいく。そうでなければ何もかもダメになる」
ところが、これだけ重要な問題なのに、選挙制度の議論の水準は恐ろしく低い。
日本の、特にマスコミにおける選挙制度の議論は、教育問題に似ている。誰でも口が出せるし、それを専門とする学者の意見があまり尊重されない。参加者の誰もが、自分のよって立つ思想的バックボーンに無自覚に選挙制度を論ずるので、議論が咬み合わない。著者は、国際比較と過去の議論の検証の2つの観点から、建設的な選挙制度論を展開しようと試みている。
国際比較で論ずるなら、日本の選挙制度は極めて特殊だ。日本では当たり前だと思われている大選挙区単記制という制度そのものが、日本以外の世界のどこにも存在しないのだ。かつての中選挙区制は、正確には大選挙区単記制だし、地方議会選挙も、大選挙区単記制に分類される。
複数当選枠のある大選挙区で、1人しか候補者を書かせない大選挙区単記制は、外国では考えもつかない奇妙なものなのだが、それだけでなく、この制度には決定的な問題がある。同一政党の候補者が、同じ選挙区で票の取り合いをしなくてはいけないからだ。つまり、大選挙区単記制は、個人の選挙であり、政党の選挙にはなりにくい。しかし、個人中心の選挙は、議院内閣制と整合的ではない。議会が政党別にまとまらなければ、安定政権の創出など不可能だからである。
そもそも、中選挙区制を導入したのは、政党政治に生涯反対し続けた山形有朋だった。その意味で、山形の意図は見事に実現したと言える。長い間、日本の選挙は「個人の選挙」であり、議会においては政党としてまとまることはあっても、党中央の権力は弱かった。
過去の議論を検討すると、19世紀の英国では、ミルとバジョット、戦前の日本では、美濃部達吉と吉野作造が、それぞれ、比例代表制と小選挙区制を主張し、それなりに立派な議論が行われている。美濃部も吉野も、中選挙区制がダメだということでは一致している。ところが、現在の選挙制度論の水準は、彼らの域を超えるどころか、退行している。中選挙区制の復活が主張されている。過去の議論をふまえないから、「車輪の再発見」をしてしまうのだ。
比例代表制を主張するミルと美濃部の思想は、「議会とは、選挙民の意志を法律に反映させる場所であるべきだ」(変換の議会)ということだ。美濃部は、議員が選挙民に忠実になるよう、毎年選挙を行うべきだとまで言っている。当たり前のようだが、後に述べるように、この議会の機能は議院内閣制と整合的ではない。むしろ、大統領制における議会の機能だ。
一方、小選挙区制を主張するバジョットと吉野の思想は、「議会とは政権を創出するところであるべきだ」ということだ。首相を選出することが議会の主要な機能であり、与党の提出法案を修正したり、廃案に追い込むことではない。では、議会の審議や野党は何のためにあるのか。野党は、審議において、与党の法案を批判し、反対意見を述べることによって、選挙民に野党の政策をアピールし、次回選挙で政権獲得を目指せばいいのである(対決の議会)。
こう考えてみると、日本の選挙や議会運営の混乱の原因が見えてくる。
「個人の選挙」をしておきながら、議会には政党による党議拘束があり、「政党中心」で運営されるので、選挙民は、自分の投票が政治に反映されているという実感を持ちにくい。しかし、議院内閣制下の議会を党議拘束なしで運営することは不可能だ。
議院内閣制とは「対決の議会」が整合的なのに、日本では、戦後改革において、アメリカの影響により委員会制が導入された上に、戦前の超然内閣との相違を出すために、野党は「変換の議会」が理想だと錯覚した。このため、野党は、政権獲得を目指して、本会議で建設的な意見を述べることよりも、審議拒否戦術で、法案や予算成立を阻止したり、正式な審議の場ではない国対交渉で、少数派の意見を通そうとする。このため、本会議は空洞化し、予算委員会が肥大化して手がつけられなくなった。
また、本書の重要な点は、「情報コスト」の問題を取り扱っていることだ。
選挙民は政治のことばかりを考えて生活してはいない。自分の生活があるのだ。候補者の氏素性や政見を詳しく検討したり、膨大な政党マニフェストを読まなければ、適切な投票行動が採れないなら、その選挙制度は優れているとは言えない。あまり手間暇をかけなくても、自分の主義主張と整合的な投票ができるように、選挙制度は設計されねばならない。その点でも、かつての中選挙区制は失格である。党の政策、候補者個人の評価の両方を検討しなければ、投票ができない。また、大新聞が好んで書く「人を選べる選挙の方が、政党しか選べない選挙よりもいい」という主張は間違っている。候補者個人の情報を集めてまで、投票行動を決定したい人は、多くないのだ。参議院比例区が非拘束名簿式に変更されたことは、この点で、決していいとは言えない。
比例代表制と小選挙区制のどちらが良いかは、著者も結論を出していない。議院内閣制である以上、議会における安定した多数派の創出が必要不可欠であることは確かだが、比例代表制が多党制を助長し、小選挙区制が二党制を助長するというデュベルジュの説は、ロッカンによる包括的な国際比較によって、多くの反例が示されている。低得票政党阻止ルールによって、小党を制度的に排除する方法もある。多党制でも、ドイツのように、複数政党が長期的な連合政権を組めば、安定した多数派が創出可能なので、多党制で政権が不安定になるとも言えない。はっきりしていることは、選挙の政党化を阻害する、大選挙区単記制や非拘束名簿式比例代表制は最悪だということだ。
「政治改革」によって、衆議院中選挙区制はなくなった。しかし、参議院地方区は大選挙区単記制のままだし、地方議会選挙はモザイクパターンのように適当に区分けされた大選挙区単記制だ。参議院が「強い」第ニ院であることや、人的交流の面で、地方政治が国政に与える影響を考慮すると、こちらも、比例代表制か小選挙区制にした方がいい。
また、衆議院から中選挙区制がなくなったといっても、「後援会制度」にみられるような個人中心の気風は残っている。著者は書いていないが、選挙の政党化をさらに進めるために、政党助成金制度を充実させるべきだと思う。
(私のコメント)
今日は日本の選挙制度の話ですが、民主党のマニフェスト問題を見れば分かるように、マニフェストもあてにならない。だから政党本位の選挙制度は機能するのだろうか? 欧米でも与党も野党も中道化して政党の違いが分からなくなって来ている。政治における既得権を断ち切るには政権の交代が必要だと考えてきましたが、結局民主党に政権が交代しても自民党と変わらない政治をしている。
おまけに衆参の捩れ国会で法案が通らなくなり、二大政党制は機能しなくなってしまった。むしろ比例代表制にして小政党による連立内閣なら捩れても政党の組み合わせを変えれば捩れは解消できる。しかしこれも小政党がキャスティングボートを取って政策の刷り合わせなどに問題が起きるだろう。人物本位の選挙も候補者を見分けるにはネットなどを活用したものでなければ、候補者がどのような人物か分からない。
「日本の選挙」という本では、日本は人物本位で選んでいながら、議会では党議拘束で縛られてしまう。人物本位だと自民も民主も政策が割れて纏まりが付かなくなることが多い。政権与党でも消費税増税に反対しなければ次の選挙に落ちるから反対している与党議員が出るのは当然だ。最初から政党を選ぶ比例代表制ならこのようなことは起きない。
選挙制度はその国の歴史や文化や社会制度が影響するから、どれが理想的かも決めることは難しい。小選挙区制は政権交代を可能にしましたが、政権交代しても官僚主導の政治は変わっていない。次の選挙では自民党が勝って政権をとっても消費税増税は変わらない。だから「維新の会」が台風の目になっていますが、みんなの党や公明党などが協力するらしい。
委員会制度で首相をはじめとして各大臣は委員会に拘束されて一問一答に答えなければならない。だから官僚に依存して答弁書を書いてもらうようになる。国会議員になるのなら専門分野を持ってその道のエキスパートがなればと思うのですが、人物本位の選挙だとどうしても専門家よりも総花的なイメージだけで選ばれるようになってしまう。人物的にはいい人でも政策が全くダメな大臣が多すぎる。
小選挙区比例代表制なら政党本位になりますが、日本に馴染むのだろうか。しかし政党と言っても政策が中道政党ばかりになり選択の余地が無ければどの政党に投票しても同じということになる。小選挙区制になれば政党の党首が第一党になれば首相になり党首の人選が重要になりますが、どれも小粒で毎年のように首相が代わる様になってしまった。
選挙制度についてはネットの選挙利用の自由化を主張してきましたが、未だに実現はしていない。パソコンやスマートフォンの普及で国民の誰もがネットを使っているのに、高齢議員は不公正だと反対している。ネットは双方向性があるからフェイスブックを使えば有権者との問答も可能になるし、有権者の意見も反映されやすくなる。
現代に日本の選挙制度は現職優先の制度であり、供託金も300万円=600万円と法外であり、戸別訪問や立会演説会も禁止され、選挙カーで名前を連呼することしかできないようになっている。野田総理のように野党時代に言っていた事と今の政策は正反対だが、これではどんな選挙制度でも意味が無くなり、政党の公約も政権をとれば変わってしまっては選挙の意味が無い。
だから捩れが起きるのであり、鳩山総理が素早くマニフェストを実施していれば捩れる事もなかったはずだ。一番困難な公務員の給与20%カットも参院選前なら出来たはずなのにやらなかった。政界を引退するという公約も反故になった。小選挙区制は相手候補に投票すればどんな大物議員も落選させることが出来る。逆に○○チルドレンも風に乗れば当選が出来る。国会議員は頭が悪いから小選挙区制を取り入れましたが、アメリカでもそれが悪用されている。イスラエルに批判的な候補を落とす為に相手候補に入れる運動が行なわれてきた。
ヨーロッパに多い比例代表制のほうが弊害は少ないだろう。比例代表だと小政党が乱立するでしょうが、連立内閣が当たり前となれば長期政権は可能だ。次の選挙で台風の目になるのは「維新の会」ですが、比例代表制ならかなりの議席が取れるだろう。最悪なのは単純小選挙区制であり風しだいで政権が不安定になってしまう。
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