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元記事はこちら ⇒ http://kochi53.blog.ocn.ne.jp/blog/2012/03/post_d5ce.html
第1話はこちら「検察・最高裁事務総局解体論 / 敵を知る・秘書裁判と高知白バイ事件」
http://www.asyura2.com/12/senkyo127/msg/649.html
( 昨日の続き・・・ )
今から思えば何も知らなかった。
「敵」のことを・・・
その本当の姿を・・・
醜い内面を・・・
裁判官は、正しい判断を下すものだと思っていた。
検察は、正義に基づいて動くものだと信じていた。
純情だった。
全てが違っていた。
この国の司法は根元から腐りきっていた。。。 手の施しようがないほどに・・・
彼ら司法高級官吏(検察官・裁判官)は、自分たちの組織の不利益にならない範囲に限って法を順守し、国民の権利を護る。。。つまり、組織を護るためには国民を切り捨てるのだ。
戦争時に国民を虐待した国家組織と何ら変わらない。
組織防衛のためには犯罪をも厭わない。
その姿は、震災・原発で未曽有の被害に苦しむ国民を捨て、国家財政優先に施策を進める財務省を中心とする官僚らと同じ・・・
こいつらは人間じゃない。
我々国民は血税で鬼畜を飼っているのだ。
。。。 。。。
。。。
平成8年11月25日、第41回総選挙の直後、私は五島正規衆議院議員(旧社会党)からの公職選挙法違反の命令(事後買収)を拒んだことから公設第1秘書を解任するとの通告を受けた。
此れに反発して、3年後に裁判で争うのだが・・・ その裁判で出て来た証拠書面の扱いに驚愕し、司法の闇に潜む官吏らの存在を知ることとなる・・・
当時は、まだ、インターネットも発達していなかった。
新聞をよく読み、NHKのニュースに注意を払う・・・ ごく普通の国民・生活者だった私には、「敵」の正体を知る術は無く、想像を絶する現実に唯々打ちのめされることとなる。
* * *
『藤島は秘書に向いていない。』
沈黙を破った五島議員の口から出た言葉が、私には奇異に聴こえた。。。
一息には理解し難い言葉がガランとした部屋と心に響いた。
『犯罪を命令する方が正しいのか?』
・・・ ・・・
高知県庁前大通りの選挙事務所は、第41回総選挙の闘いの後始末も終わり、殆んどの荷物が運び出されていた。。。その殺伐とした事務所で、私は、五島正規衆議院議員と二人の市議、労組幹部一人と応接ソファーに腰かけていた。
五島議員の(私には理解し難い)言葉の意味を他の方々は瞬時に把握したようだった。一言二言呟くように話しをして其々頷いた。。。交わされた話の内容は良く覚えていない。
私を解任する「会議」は5分足らずで終った。
35歳だった。
足かけ10年・・・ 私設秘書から政党役員を経て公設第1秘書になっていた。私の10年間の努力はあっけなく終った。
。。。
秘書に向いている人間とは何だろう? 議員の命令に唯々諾々と従い、犯罪であろうと無心に遂行する者のことを指すのだろうか・・・
『議員が間違った判断をしたら、止めるのが秘書じゃないのか?』
私の頭の中の素朴な疑問を口に出す事は憚れた。重苦しい空気が漂っていた。。。「会議」が終わると、皆それそれぞれに急ぎ足で何処へともなく去っていった。
。。。
私の解職ニュースは瞬く間に関係者に伝わり、旧社会党陣営の規定事実となった。法的な私の身分とは関係無く、その日から私が仕事をする環境は霧消した。
不思議な感覚が私を支配した。
虚実が逆転した感覚だった。
私が、何故、秘書に向いていないと五島議員に判断されたのか・・・ その真実を周りの人々は知らない。知る必要もない。彼らが感じているのは、『藤島は不必要な人間だ。そう、五島議員が判断した。』という事実だ。
これまで私に愛想笑いを向けていた人々が、踵を返すように知らんぷりを決め込んだ。
35歳の公設第1秘書・・・
高知県の旧社会党陣営で組織の代表者として権勢を揮う五島正規衆議院議員の「国家老」のポジション。。。これを、自民党〜さきがけを経て来た異色の若造が務めていた。
以前から風当たりは強かったが・・・これ以降は極端に、悪しざまに無視されるようになった。「腫れものに触るよう」という表現がピッタリだった。その扱われ方に順応出来なかった。
みんな怖いのだ。。。
私に関係していると自分の身まで危なくなると思っている。それだけ、地方政界における国会議員の地位は絶対的なものがある。
私は家に引籠った。
不当な解職は受け容れられない。
徹底抗戦を決めた。。。
『悪いことはしていない。 いや、私が正しい。。。』
『議員が間違ったら諌めるのが秘書だ。。。危険なことを続けていては、いつかは処罰され、事務所関係者とその家族全てが路頭に迷う。』
『いくら議員の僕(しもべ)の秘書とは言え・・・ 一国民として、人間として、犯罪を強要されたら断る権利くらいはあるはずだ。。。そもそも国会議員も公設秘書も国家公務員特別職・公僕ではないか!』
『出来ることと、出来ないことがあるぞ〜 』
『秘書は議員のオモチャじゃないぞ〜 』
『ちくしょ〜 』
負け犬は、家の中に閉じ籠って、血が吹き出すほど叫び続けた。
。。。 。。。
心の中で・・・
・・・ ・・・
議員も秘書も国民の血税で飯を食っている。こんなことを許していたら、早晩、お縄になる。いつまでも平然と犯罪遂行を考える五島議員の考えが間違っていると思っていた。
『今のうちに組織の体質改善が必要だ。』と、考えていた。。。解職通告を受けても尚しばらくの間は・・・
35歳、 まだまだ純情な若造だった。
私は、山本有二衆議院議員(自民党・元金融相)の私設秘書時代(25〜27歳)、選挙違反で後援会々員が逮捕された事件を経験していた。当局に摘発されて一番可哀想なのは家族だ・・・
当時、逮捕された後援会々員の家族から午前5時頃電話が掛かって来た。
『うちの旦那を助けて下さい。。。』
高知県全県一区・中選挙区の闘いで県下53市町村をくまなく廻っていた。その中でも親しくさせて戴いた地方議員の奥方からだった。
『弁護士に任せてますから・・・ 』
これ以外に応えようがない。非力な自分が悔しかった。
選挙違反をなめちゃいけない・・・ 肝に刻んだ過去の教訓が私を抑制していた。
。。。 。。。
。。。
公設秘書は国(私の場合は衆議院)から給与を貰う公務員だ。
『犯罪命令を断ったくらいで解職は出来ないはずだ。』
『俺は辞めない。』
五島議員からの解職通告に対抗して自宅待機(引籠り抗戦?)を続ける私に、衆議院から解職に関する封書が届いたのは、もう桜の花が咲く頃だった。
議員秘書厚生年金の打ち切り書面が入っていた。。。これで国家公務員特別職・公設第1秘書の身分が無くなったことが確認出来た。それ以前から給与振り込みは無くなっていた。
『あっけないな。。。』
『裁判しかない・・・ そうとう長引くな・・・ 』
覚悟を決めた。
長期戦の兵糧確保が必要だ。。。職安に行くことにした。
。。。 が、働く気力が湧かない。
そもそも、どの企業に面接に行っても採用されない。
紹介されたところで必ず訊かれるのは、『なぜ・・・ 公設第1秘書を辞めたのですか?』
・・・ ・・・
答えられない。
答えられない事情があった。
現職衆議院議員(当時)五島正規、以下100人が犯罪に関与したのだ。。。その中には、現在の武内則男参議院議員、連合高知代表・岡林俊司氏ら、県内自治労関係の大物が多数含まれていた。
私の制止を振り切って、彼らは酒食の接待・供応買収に興じていた。。。いや、彼らは何も知らない。私の制止を無視したのは五島正規衆議院議員だ。
五島議員に全ての責任がある。
『最悪の場合、何人が検挙されるか・・・ 』
『ヤバイな・・・ 』
県内の労働組合活動が麻痺する恐れがあった。
時は、「自社さ」連立政権が終わり、民主党結成前夜・・・ 五島議員は、医師・自治労系議員の重鎮、介護保険制度創設チームの座長としてなくてはならない存在だった。生まれ来る民主党の実務派の要となる議員だった。
その議員と陣営の労組幹部が尽く選挙違反で検挙されれば、政局をも左右しかねない。せっかく苦労して新しい政治の息吹を感じるほどになったのに、その芽を自らの手で摘み取りたくはなかった。
『公職選挙法違反(事後買収)の時効が成立するまで、動けない・・・ 』
3年間の沈黙を決めた。
たった独りの決断・・・
孤独な闘いが始まった。
この時すぐさま訴えを起こしていれば、私は確実に勝訴しただろうが・・・
一緒に選挙を闘った仲間が心配だった。
その家族の顔が瞼に浮かんだ。。。
元来は陽気な私だが、この板ばさみは堪えた。。。ぺしゃんこに打ちのめされた。最も堪えたのは、私自身の家族や親しい友人からの叱責と蔑視だった。
私は誰にも真実を話さなかった。。。
妻や親兄妹にも秘密を明かさなかった。私を大切に想うあまり、彼らが警察に駆け込むことを恐れたのだ。彼らは私が仕事をサボって解職されたと思ったに違いない。。。私に激しい叱責の言葉を浴びせた。
正直、これが一番堪えた。
。。。 。。。
。。。
3年後に裁判が始まり、私にも隠されていた真実が分かることとなる。。。
解職の時、五島議員は私が公設第1秘書を自分の意思で辞職した旨、虚偽の届出(解職届け)を作成し、私自身が作成・提出する必要がある退職金請求書を仲間の秘書に命じて偽造させ、衆議院事務局(国)に提出させていた。
私は、秘書として仕えた議員に捨てられ・・・
全てを捨てて守ろうとした仲間に裏切られていた・・・
ショックだった。
更に・・・ 踏んだり蹴ったりは続く・・・
五島議員の書面偽造等の罪を司法に持ち込んだ私は、今度は、此の国の司法機構を牛耳る高級官吏(検察官・裁判官)らに弾圧されることとなる。。。
五島議員は、長らく自民党幹事長を続けた加藤紘一氏と学生運動を通じて昵懇だった。
私が訴え出た五島議員の罪は、依然として此の国を牛耳っていた自民党議員始め、多くの国会議員が犯した罪だったのだ。
。。。みんな同じ犯罪者だった。
犯罪者同士、相互補助の仕組みが出来上がっていた。
正しいことを言った自分が、この国では特異で間違った存在だったのだ。それを覆すはずの司法は、闇の支配のために機能していた。
私の行く先には漆黒の暗い闇が待ちかまえていた。。。それまで政治の世界で清濁併せ飲むことも幾らかはあった。しかし、そんな経験など何の役にも立たない。
こうして私は、公設秘書裁判が始まって思いもよらない闇の仕組みに気付き、打ちひしがれ、満開の桜の下で立ちつくす事になる。。。しかし、そうした真実が解るのは3年も先のこと・・・
そんな自分の姿を想像出来なかった平成9年春、まだ純情な若造が一つの決心をした。
その春も桜が咲き誇っていた・・・
たった独りの決断だった。
『3年は黙っているしかない・・・ 』
仲間を裏切れなかった。。。 そして裏切られた。
純だった。
( 続きは、また明日・・・ )
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