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小沢総理実現へ、日本再生復興のために一歩一声
311から一周忌。
地元の大船観音様に祈りにいってきた。
14時35分ごろ、行政のアナウンスが「午後4時46分」には黙祷をささげてくださいと大音響で流れる。
大船NPOの事務所がある玉縄公民館の裏手には柏尾川が流れ、柏尾川はやがて
藤沢で合流し江ノ島にそそぐ。
玉縄公民館の裏手とは大船観音様のお顔が見える、遊歩道であった。
14時40分ごろからそこに座り、14時55分まで、大船観音様を見上げ、311の犠牲者への祈りと日本再生復興の祈願をしてきた。
わたしの体力ではコンクリートに正座したままの15分間祈祷がきつかった。
14時46分、大船観音様が黙祷の鐘を鳴らす。断続的に鐘の音は続いた。
日本再生復興をするためには小沢一郎氏を総理大臣にしなくてはならない。
わたしも健康回復し生活再建しなくてはならない。
わたしの現在の思想と在り方はガンジーの非暴力抵抗である。
阿修羅に「暴動」などという言葉が飛び交っているが、
それを投稿した人はおそらく暴動を経験したことがない人間である。
現在の日本国民に暴動を起こせる可能性はゼロである。
暴動などと夢想するのは、暴動のリアリズムに無知な人間である。
わたしも暴動を経験したことがない。
自然発生的に暴動は起きない。
江戸幕藩体制におきた百姓一揆にしても各村落の指導者が寄り合い、細部にわたり計画し、事後の処理(誰が処刑されるのか)まで、話し合い、起動したのである。
米騒動にしても庶民は念蜜に作戦を練り上げていた。
大塩平八郎の乱でも設計図があった。暴動には建設者としての意思があるのである。
怒りはわかるが、暴動とは細胞の組織である。補給基地という解放区がなければ
暴動は起こせない。さらに暴動を長期化させるためには、全国支援体制も必要である。
暴動を希求する人間はタイにでもいって学習してくればいいだろう。
断言するが日本の民衆運動はアジアから30年も遅れていることを自覚するべきである。
フイリピンの民衆運動でも経験はワークショップとして継承されている。
韓国民衆運動でも同様だ。
台湾、香港の民衆運動はダイナミックだ。
東アジアの民衆運動は独裁に対抗し、キリスト教会を軸に経験を交流し合ってきた。
民衆運動の活動家を支える募金ネットワークもカトリックとプロテスタントのキリスト教会を軸に形成してきた。
東アジアの民衆運動ネットワークから取り残されているのが日本だ。
ゆえに日本は東アジアから30年も遅れている。
東欧の独裁に対抗する民主化闘争もキリスト教会が支えてきたのである。
日本の民衆運動の特徴は、経験が蓄積されず、つねに「壮大なゼロ、あるいはマイナス」へと収束されていくことだ。
何故か? ワークショップが欠落しているからである。ワークショップとは経験を伝えていく伝承でもある。日本国民は小学校のときからコミュニケーション教育が、国家官僚によって意識的に削除されているので、ワークショップという問題意識がゼロである。ゆえに民衆運動が貧困なのだ。つねに孤立へと追われ行く明日となる。
日本の民衆運動は、その時代いかに高揚しようが、いつもゼロから出発し、ゼロに帰還する。高揚する波は渚の砂に吸われていく。砂の男、砂の女となり疲弊していく。
さらには全体が近代的主体の格闘を継承していない。ゆえに多様性と他者を容認できない。つぶやくのみである。
近代が終焉しポストモダンの世界とは、なにひとつ近代から学習できない冷笑の世界である。NHKドラマ番組、司馬遼太郎の「坂の上の雲」をよだれをたらしながら見ながら、聴覚視覚思考がマスゴミに洗脳されている。司馬遼太郎などを読んでも明治近代主体の内面の壮絶な格闘を理解することはできない。夏目漱石の小説を読んだほうがいいだろう。
山県有朋は若い頃、山県狂介と名乗っていた。山県有朋は南州西郷隆盛の蜂起を鎮圧した以後、日本帝国軍制度基礎の構築と日本帝国国家官僚制度基礎を構築した。
現在の日本は司法の崩壊と死滅をみても、山県有朋が構築した明治の国家官僚制度から160年の既得権益再分配システムが瓦解しようとしている。160年の既得権益再分配システムとは帝大東大法学部出身者たちが支配貫徹する国家権力である。
昭和に入り、明治からの強権である国家官僚制度は近衛文麿によってさらに機軸革命をとげた。そのために東大新人会が動員された。マルクス主義が援用されたのである。近衛文麿政権とは日本にソビエト官僚制度を樹立したのである。これが国家権力による評議会運動としての体制翼賛運動であった。近衛文麿とは国家社会主義体制としての昭和国家官僚制度を構築したデザイナーである。
草の根新聞はつぶされ、朝日新聞などの巨大新聞へと統合されていった。大本営発表のマスゴミが樹立した。
電通が飛躍をとげたのは満州帝国での宣伝工作であった。
近衛文麿の遺伝子には国家デザイナーとして古事記・日本書紀を編纂し、倭から日本を誕生させた藤原不比等の遺伝子が継承されていた。
近衛文麿と東大新人会に関しては、鶴見俊輔・思想の科学が平凡社から出版した「転向論」に詳しく記述されている。
岸信介などの昭和革新国家官僚とは基本的に国家社会主義者である。
田中角栄氏は民族経済主義者であったゆえに、アメリカとアメリカの別働隊である特捜検察によって牢獄に収監されてしまった。「元総理大臣の逮捕」とはアメリカ国務省の恫喝であり、日本の国家官僚にとっては民族経済のエネルギーをアメリカ・メジャー、アメリカ原子力産業、アメリカ軍産複合体に完璧に従属させることであった。日本の国家官僚は既得権益再分配を維持するために、1945年8月以降、戦争責任をすべて軍人におしつけ、身を保全するため、「支配者はアメリカである」と一丸となって、組織選択したのである。
日本の総理大臣は今でもアメリカによって恫喝脅迫されている。
小沢一郎氏の復権を勝ち取り、小沢総理を実現するためには、どうしたらいいのか?
ここに小沢主義復権の諸問題がある。
160年間にわたる国家官僚の横暴を阻止するために、わたしは明治の自由民権運動からワークショップしなくてはならないと思っている。自由民権運動から出発しなくてはならないと思っている。
大正デモクラシー、そして昭和のレジスタンスとしてあったプロレタリア運動からワークショップしなくてはならないと思っている。ワークショップとはコミュニケーションによる実践的学習形態でもある。
昭和の農民運動とプロレタリア運動にはさまざまな文化戦線があった。
プロレタリア文学運動の新聞の題名は、人は石垣、人は城の武田信玄「戦旗」だった。
プロレタリア美術運動。プロレタリア演劇運動。文化運動のほかにもさまざまな民衆大衆運動の戦線が構築されていたのである。
可能性ゼロの暴動などを夢想するより、土佐の山間からの自由民権運動を学ぶことからしか出発するしかないだろう。
自由民権運動とは「つぶやき」ではない、肉声の大音響、声は空を飛ぶし「色即是空」なのである。
大船観音様を創建したのは明治から昭和前期にかけて活動したアジア主義者の巨頭、玄洋社の総帥、頭山満である。
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昭和2年2月、この国を憂え、この国を護ろうとする金子堅太郎氏、頭山満氏、清浦圭吾氏、浜地天松氏、花田半助氏らが集い、「観音思想の普及を図り、以て世相浄化の一助となさん」という「護国大観音建立会」の趣意書を作成し、観音像建立費15万円、付属施設建設費5万円を目標金額とする寄付金の勧募が始められました。
http://www.oofuna-kannon.jp/01enkaku/index.html
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頭山満の遺伝子をもつ女性舞踏家の舞台の裏方をやったことがある。
阿佐ヶ谷アルスノーヴァー小劇場の最終公演だった。
今、阿佐ヶ谷アルスノーヴァー小劇場はない。
10年前以上から、わたしは日本に天皇制は必要だと思っている。
阿修羅の読者として阿修羅から日本を発見してきた。
昨年の311以後、平成天皇陛下と美智子皇后は、すぐさま被災地に入り、
全身全霊の力で被災者の手を握り人々を励ましていた。
日本国民なら誰でもそのお姿に、深く静かな思いを感受したはずだ。
無能な菅直人はそのころ、日本を混乱混迷させていたのである。
菅も野田も総理大臣になれる器もないし、準備も欠落した
愚劣と劣化の人物である。
愚劣と劣化のフランケン岡田は小沢一郎氏を党員資格停止処分にして、今、副総理大臣である。
たぎる怒りを小沢総理実現へ、日本再生復興のために一歩一声していくのみだ。
これが現在の自由民権運動であろう。司馬遼太郎ではない明治近代から出直し、民衆運動の一里塚を形成するのが小沢主義であると思う。
日本民族とは古代から庶民は優秀である。
団塊の世代たる全共闘世代は過去を忘却したが、絶望と虚脱の敗北の過程から出発した弟と妹たちの1970年17歳の世代は、いまも時間がストップしたままである。
素朴な内面で天と人と対話するとき、人から学ぶことができる。
敗北の過程とは道程でもあった。小沢主義とは耐える勝利への試練である。
天の水を受ける素朴な心があれば砂の男にはならない。それが水沢である。
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