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ヤメ検テレビコメンテーターを追放せよ!
フリージャーナリスト 魚住 昭
http://gekkan-nippon.com/?p=3290
『月刊日本』2010年11月号
地検特捜部の冤罪製造体質が明らかになった
―― 村木事件は大阪地検特捜部の敗北のみならず、特捜検事による証拠捏造事件にまで発展した。
【魚住】最高検が捜査に乗り出しているが、前田恒彦容疑者(主任検事)、当時の上司・大坪弘道容疑者(元特捜部長)、佐賀元明容疑者(元特捜副部長)らの個人的犯罪として事件を矮小化して終わらせようとしている。組織として、証拠を捏造してしまうような体質があった問題にまで踏み込みはしないだろう。
だが、検察という組織の構造上、現場からの報告が検事正たちに伝わらないということは私はまずありえないと思う。そして、報告を受けていれば証拠の改ざん、さらに改ざんしたフロッピーの返却という異常事態にも気づいていたはずだ。
―― 証拠捏造体質は「事実をねじ曲げてでも真実を追求する」検察の病理だ。今回の事件を機に、この病は除去されるだろうか。
【魚住】大阪地検特捜部の問題、前田容疑者らの個人的問題として矮小化されて終わってしまえば、これからもその体質は変わらずに続いていくだろう。
―― 村木氏の他にも、特捜部に逮捕された人の多くが「検察の作ったストーリーに沿った調書を強要された」と訴えている。あろうことか、元特捜部長と元特捜副部長の大坪・佐賀両容疑者までが「検察の作ったストーリーには乗らない」と訴え、取り調べの全面可視化・録音を要求している。
【魚住】まさにブラックジョークとしか言いようがない。自分たちが取り調べていたときには密室で、脅したり利益誘導しながら被疑者に「検察のストーリー」を強要していた人間が、いざ自分が取り調べられる側になった途端に可視化を求めるなど、虫が良い話だと思わないわけではない。だが、事件を矮小化させないためにも、大坪・佐賀両氏には徹底抗戦して頑張っていただきたい。
特に大坪氏は、大阪地検特捜部の調査活動費(調活費)裏金化について告発しようとしていた三井環元検事(本誌54ページ参照)の逮捕・起訴に関わった人物だ。この際、大坪氏は三井事件の真相をきちんと明らかにして、自分がやってきたことも含めて地検特捜部の体質というものを暴くべきだ。
もはや組織が自分を守ってくれないことは身に沁みて分かっているはずだ。また、かつては擦り寄ってきたマスコミが手のひらを返したように犯罪者として扱っていることにも気づいているはずだ。彼らが自分の身を守るには特捜部そのものの体質を告発する以外にないだろう。
ヤメ検テレビコメンテーターを追放せよ
―― マスコミは相変わらず、検察リークを報道して、起訴前からすでに有罪が決まっているかのような報道を繰り返している。これはロッキード事件以来何度も繰り返されてきた構図だ。
【魚住】特に今回問題なのは、コメンテーターとしてテレビで検察擁護、事件の矮小化を図って世論誘導している検察OB(ヤメ検弁護士)たちだ。彼らも特捜部の問題点は十分に承知しているはずなのだが、自分たちの仕事を守るために、真実にフタをしようとしているのではないか。
実は、特捜部とヤメ検弁護士、とくに特捜検事出身の弁護士には共存共栄の関係がある。特捜案件の被疑者は、特捜部とのコネを期待してヤメ検に弁護を依頼するし、特捜部もヤメ検を通じて被疑者に容疑を飲み込ませることができる。特捜案件というのは立証が難しいものが多く、本人や関係者の自白調書を取ることが重要になってくるが、ヤメ検の多くは被疑者に「容疑を認めて執行猶予を取ろう」と持ちかける傾向が強い。おかげで特捜部はうまく事件をまとめることができるし、ヤメ検も仕事にありつくことができる。また、最近の特捜案件はライブドア事件のような経済事件が多く、企業も特捜部の矛先が向かってこないよう、避雷針としてコンプライアンス委員会などにヤメ検を雇っている。ある意味、巨大な「検察利権」が成立しているのだ。ヤメ検コメンテーターたちはこの利権を守るために発言しているのではないかと思ってしまう。
―― マスコミの報道姿勢が劣化しているのではないか。
【魚住】記者たちに時間的・精神的余裕がなくなっているということはあるだろう。一つの事件に腰をすえて取材するのでなく、毎日毎日の報道に追われ、大々的に取り上げた事件も次の事件が起きれば忘却してしまう。
国民もまた、この不況で自分たちの生活に追われており、マスコミの報道が正しいかどうかを考える余裕もない。むしろ生活の不満・怒りを、特捜検察が悪徳政治家を懲らしめるという「勧善懲悪劇」に喝采を送ることによって解消しているのではないだろうか。
―― 「水戸黄門」や「大岡越前」を見るのと同じ心性で、血祭りに熱狂しているようなものだ。
【魚住】社会全体に寛容さというものが失われてきている。ある個人を世論がこぞって断罪する人民裁判のような状態は健全ではない。特に新聞こそが自らの報道を検証して、世論の過熱に歯止めをかける役割を果たして貰いたい。新聞にはまだまだ社会的存在意義が大いにあると思っているからこそ、そう願う。
―― 裁判所の問題について伺いたい。検察は起訴有罪率99・9%を誇ってきたが、これは裁判所が機能していないに等しいのではないか。
【魚住】裁判官も検察官に通じる正義感、あるいは統治者意識というものが強い。だから検察官と共鳴しやすくなり、検察側の主張を飲み込みやすくなる。また、最高裁判所を頂点とする人事統制が敷かれており、これが実質的に裁判官に対する思想統制ともなっている。すなわち、検察側の主張を却下するような裁判官、画期的な判決を下すような裁判官は出世ルートを外れ、地方の家庭裁判所などを歴任することになる。裁判官も人の子だから、出世はしたい。だから、思想統制に自ら進んで適応し、上しか見ない「ヒラメ裁判官」が養殖されることになる。
このようにして、検察に対するチェック機能を裁判所は自ら放棄してきたと言える。そして世論にも司法への間違った信頼感があるから、裁判所が検面調書通りの判決を出すと、冤罪の可能性は考慮せずに、被告人を「犯罪者」と決めつけてしまう。
―― 裁判所が変わる可能性はあるか。
【魚住】可能性が全くないわけではなく、変化の兆候はある。一つには村木判決、もう一つは大坪・佐賀両容疑者の接見を認めたことだ。
村木事件において、検面調書のほとんどが証拠採用されないという異例の裁判となったが、これは裁判所が検察に対し、「あまり裁判所をなめるな」と釘を刺したということではないか。
特に裁判員制度の導入以来、裁判所は証拠の取り扱いに慎重になるようになった。裁判員裁判では、裁判員を時間的に拘束する関係上、迅速な審理が必要となる。その時に検面調書の信用性・任意性そのものを争うような時間的余裕はない。
このため、検面調書の信用性・任意性を担保するものとして、取り調べ時のメモを保管するよう最高裁が求め、最高検も高検、地検にこれを通達している。にもかかわらず村木事件では取り調べメモが廃棄されていた。これに大阪地裁は激怒し、検面調書のほとんどを証拠採用しなかったのだと思う。私は反対だが、制度導入が調書偏重に一石を投じた意味は大きい。
また、これまで容疑を否認すれば罪証隠滅、口裏合わせのおそれがあるという理由で接見禁止となるのが通例だったが、今回、大坪・佐賀両氏は接見禁止とはならなかった。これまで逮捕状の請求、勾留請求、接見禁止処分申し立てといった検察による請求・申し立てはほぼ自動的に裁判所に追認されていた。判決だけでなく、すでに捜査段階から裁判所の検察への偏向があった。だが、司法判断は裁判所が主体的に行うべきものだ。行政官である検察の主張に唯々諾々と従っていては、司法の独立など望むべくもない。大阪地裁が接見禁止処分申し立てを却下したことは、司法健全化の一歩だと評価したい。(以下略)
*本稿は編集部の許可を得て投稿しています。
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