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運慶を落札した真如苑に、11億円超の供託金を没収されてもヘッチャラな幸福の科学……そんな「宗教法人」の金満ぶりを支えるのが、本業「非課税」、副業も「軽減税率」という優遇税制だ。ジャーナリスト・山田直樹氏が、そんな「既得権」の見直しを説く。
「オレが題目をあげるから、これだけのカネが集まってくるんだッ!」
池田大作・創価学会名誉会長は、そう言い放ったという。昭和50年代半ばのある日、池田側近だった元学会幹部は、勤務先の「聖教新聞社」入り口近くで池田に呼び止められた。玄関右手の一室に招き入れられると、そこにはパンパンに膨れ上がった“麻袋”の山があった。池田はそのひとつの口紐を解くと、持ち上げて逆さにした。ドドッと落ちてきたのは、万札の束、束、束……。冒頭の池田発言は、そのときのものだ。
数々の“池田金満伝説”の中で、この証言ほど「創価学会とカネ」の実態を端的に物語るものはないと私は思っている。その池田自身の所得額は、いわゆる「長者番付」によれば昭和50年代当時、1億3333万円〜5742万円の間で推移している。昭和58年度分からは、納税額のみが公表され1403万円〜8721万円(平成16年度分)となっている。が、納税額の公開も、「個人情報の保護」の名のもとに2006年に廃止されてしまう。
詳細は近著、『新宗教マネー 課税されない「巨大賽銭箱」の秘密』(宝島社新書)を参照いただきたいのだが、そもそもこの制度が始まったのは1950年。公示によって第三者のチェックを受ける狙いがあった。所得税だけでなく、法人税、相続税も含み、それぞれ1000万円超、4000万円超、課税価格2億円超のものが対象となる。
池田がこの番付に登場したのは、『人間革命』などのいわゆる“池田本”印税による所得税高額納税者だったからだろう。ちなみに公表最終年度の長者番付によれば、「幸福の科学」総裁・大川隆法の納税額が1億4160万円、妻のきょう子が1668万円、「立正佼成会」会長・庭野日鑛は1124万円だった。
06年に公表が廃止されたのは所得税だけではなかった。後に詳述するが、本業の宗教活動には原則「非課税」の宗教法人といえども、「営利事業」を行う場合には当然、「法人税」の納税義務が発生する。国民にとっては、宗教法人が納めるこの法人税、つまりどれほどの“儲け”があるかということが、唯一、その宗教法人の経済活動を見極めるバロメーターだった。ところが、所得税と共に法人税まで公表されなくなって、国民はそうした監視の手段を失ったのである。
一方、高額を納税する一般の営利法人はほとんど株式を上場しているから、利益がいかほどか、業績の伸長具合とともに投資家にディスクローズする。否、そうしなければ市場の不信を呼ぶし、もし虚偽情報を開示したなら金融商品取引法などによって、たちまち手が後ろに回る。それに対して、教祖サマの個人収入であれ、教団の所得であれ、開示したがらないのが宗教法人。「営利を求める法人でなく、公益法人だから」というのが、その言い分だ。
公益法人には、旧民法悦条(08年以降は、一般社団・財団法人法)の規定によって設立された社団法人・財団法人のほか、学校法人、医療法人のように「特別法」で成り立つ法人もある。これらを「広義の公益法人」と言うが、宗教法人も宗教法人法を根拠とする広義の公益法人である。
政府による「事業仕分け第2弾」後半戦のターゲットは公益法人だったが、民主党が血道を上げたのは、政府からの補助(資金補給)や天下りの受け皿となっている公益法人だけで、このような「広義の公益法人」は端から対象外だ。また現在、公益法人制度改革も進んでいるが、ここでも宗教法人を含む「特別法組」は、除外されている。その中でも、たとえば学校法人なら文部科学省、医療法人なら厚生労働省がそれなりの監督機能を果たしているのに対して、宗教法人の場合は、所轄庁(都道府県や文科省)に実質的な監督権限はない、と言っても良いくらいだ。
もちろん、その点では宗教法人側にも言い分はある。学校法人は「私学助成金」など国庫から援助を受けているが、宗教法人への国家援助は憲法違反であり、大小を間わず国から、原則、一銭も貰っていない。仏像や建物が「国宝」に指定されても、改修・修理は所有者の自己負担だ。京都や奈良の伝統仏教寺院は、その多大な費用を負担している。こうした教団は主張するだろう、「日本の伝統文化を自前で守っているのだ」と。
「坊主丸儲け」という言葉がある。多くの世論調査で6割程度の日本人が「無宗教」、「無信仰」だと回答し、初詣は仏閣、お宮参りや七五三は神社、でも、結婚式は教会で、というスタイルに日本人は何の疑問もいだかない。ところが、一日一葬儀となるとお布施やら戒名代やらお墓の購入やらゴッソリ持っていかれる、そのことへの違和感が“丸儲け”という言葉を生んだのだろう。もちろん、明治神宮(約300万人)をトップに毎年公表される初詣客数に賽銭額を掛けてみれば、著名な社寺がどれほどの高収益を得ているかは推測できる。宗教法人が「巨大集金装置」と呼ばれる所以である。
“丸儲け”の根拠は、もうひとつある。宗教法人が原則「非課税」である点だ。法人格を持った宗教団体は、先述したように「公益法人」である。教義が何であれ、崇める対象が誰であれ、法人格を持った宗教団体は、法人税のみならず事業税、都道府県民税、市町村民税、所得税に地価税、固定資産税等々、多くの非課税特権がある。しかもこの特権は条件付きの「免税措置」ではないので、一旦、法人格を取得すれば、年度毎の書類を提出するだけで半永久的に継承される。
さて、“坊主丸儲け”伝説では、宗教法人はどんな商売をやっても非課税と思い込みがちだが、それは違う。宗教法人の活動には、非課税の「公益事業」(本来の宗教活動)と、課税の対象となる「収益事業」(一般の法人の営利活動にあたる)がある。ただし、課税対象といっても、収益事業には「軽減税率」が適用される。「本来の宗教活動だけでは、教団・組織の維持が難しいだろう」という性善説に基づいて、一般営利法人の税率が30%なのに宗教法人の場合は22%と優遇されるのだ。しかもこの収益事業から生じた所得を公益事業に差し出せば、2割の損金処理となり「みなし寄付金」となる仕組みさえある。
本業「非課税」、副業「低率課税」――ここに宗教法人のウマ味がある。学校法人など他の公益法人と異なり、宗教法人は所轄庁の「認可」でなく「認証」だけで成立するが、95年のオウム真理教事件を契機とした宗教法人法改正以降、宗教法人の認証ハードルは高くなった。すると、宗教法人の設立数は減ったものの、代わりに、休眠中の宗教法人が売買される、という新たな事態が生まれている。宗教法人がそれだけ“おいしい”という証だろう。
政府が推進している公益法人制度改革の対象に、なぜ宗教法人が入らないのか。たしかに政府は宗教法人に一銭の援助もしていない。御布施や喜捨は“善意”でなされるものであって、強制で集めたものではない。そもそも営利を目的としていないし、政府(国)が予算を割けない文化活動に多大の貢献をしている。理屈はいろいろあるだろう。が、以下の事実をどう考えるか。
創価学会は全国に1200以上の「会館」施設、13の墓苑、そして研修施設を持つ。墓苑の規模は東京ドーム300個分以上だ。また、学会以外の宗教法人でも都心の一等地に本部や拠点を構えるところは少なくない。一昨年には真如苑が、国宝級の運慶を巨額で落札。幸福の科学は昨年の衆院選で、全国で337人の公認候補を擁立したが、いずれの候補も法定得票数に及ばず落選。没収された供託金は約11億円に上る。それでも彼らが困窮した事実はまったく無く、今夏の参院選にチャレンジする。
このような資産形成が可能なのは、資産べースの課税がないからだ。一般営利企業からすれば、夢のような話である。もちろん御布施や寄附にも課税されない。昨年6月に長野県のラブホテルを「運営」している宗教法人に対して、「御布施」として処理された宿泊料や休憩料の一部が課税対象だと国税局のメスが入った事件があった。「宗教法人がラブホテルを経営できるの?」と、世間の耳目を集めた一件だ。しかしこの事件には、見落とせない事実がある。先述の宗教法人の収益事業の中には「旅館業」も含まれる。1泊1000円以下なら非課税で、それ以上は課税(といっても軽減税率での)対象だ。つまり、旅館業と言い張れば、宗教法人がラブホテルを経営しても法律違反ではないのだ。昭和30年代に当時の文部省が通達した一片の文書に「風俗禁止」のような含みはあるが、法律的には禁止されていない。要するに、この一件で国税当局は、ラブホテル経営が「宗教法人の収益事業」と認定した上で課税したのである。
もちろん、宗教法人の多くは現在、このような露骨な商法を行っていない。というより、そんな隙は見せていない。だが、思い返していただきたい。創価学会が新宗教の代表として起こして来た事件は一体どのようなものだったのか。
89年6月30日、神奈川県横浜市の廃棄物処理業者から警察に「古金庫の中に札束が入っている」との通報があった。その額1億7500万円余。それが報じられると中西治雄なる創価学会幹部が自分が“持ち主”だと名乗りを上げた。彼は、金は私物で金庫に入れていたのを忘れていたなどと弁明したが、矛盾も多く、「学会マネー」に対する世の不信は否応なく膨らんだ。
その後、学会はルノワール作品の不可解な取引に関わり、2度にわたる国税の税務調査で追徴金を支払わされてもいる。これらの事件は、95年の宗教法人法改正の際に蒸し返されたものの、自公という連立政権がスタートしてからは記憶の闇の奥へと捨て去られた。
そして、いわば創価学会が切り拓いた“ビジネスモデル”を、後発組の多くの宗教法人が踏襲してきた。公明党が政権入りした際、かつての仇敵だった新宗教団体の一部からは、「これで宗教法人は安泰だ」というような声が聞こえ始めた。さらに昨年の衆議院選挙では、民主党候補者の多くが創価学会以外の宗教団体の支持を受けて当選している。公明党のあり方を黙認してきたこの国の政治家に、「幸福の科学=幸福実現党」という“政教一致”を批判することはできないだろう。このような状況下で、宗教法人に課税せよという“真の改革”がますます後退するのは必定だ。
民主党政権は、以下のような“拳”を挙げてはみせた。昨年10月22日の税制調査会、全体会合でのやり取りを引用する。語るは増子輝彦・経済産業副大臣。
<1つの問題提起をさせていただきたいのですが(略)宗教法人の税制について少しご検討いただけませんか。これはやはり国民的視点から言えば、問題ありという声が非常に多いんです。
私の友人に坊さんも神主もいます。みんないろいろなことを言っています。だけれども、やはり国民的な視点、観点からすれば、宗教法人に対する税の在り方というものを、私は民主党だからこそ見直すべきではないかという気がいたしております。問題提起としてさせていただきますので、御検討いただきたい>
これに峰崎直樹・財務副大臣は、こう返す。
<しっかりと提起を受け止めて、どうするかということをまた皆さんにご相談もしたいと思います>
複数の宗教法人関係者が、増子副大臣の発言に“すわ一大事、困ったことになった”と思ったという。ところが議論は、これっきりぱたりと止まってしまう。
税調が宗教法人を話題にしたのは、このときだけではない。02年の自公政権下でも、<こういったもの(宗教法人)も課税のあり方を検討する場合にはくわえていかなければいけないのでは>という意見が出たことを、座長の水野清氏が明かしている。
つまり、この問題は、語られはするが、ずっと“宿題”のまま店晒しにされてきたのである。
世界中で日本ほどの宗教法人天国はない、という声をよく聞く。どんな宗教でもOKという精神風土がそうさせているのか、憲法があまりの自由を保障してしまったためか、理由は定かでない。国の税金の使われ方を精査するのは、それはそれで緊要な課題だ。が、それと同時に「非課税特権」という、いわば隠れた巨額の“補助金”がこの国にはある。そして真面目な納税者は、非課税特権の分まで、税金を支払っていることを忘れてはならない。くどいようだが、宗教法人はその気なら、営利法人同様の事業を堂々と行え、収益を上げたとしても軽減税率が適用される。こんな仕組みを放置したままでよいのだろうか。財源不足が極まる中、非課税特権は莫大な“埋蔵金”ともなりうる。
改めて言う。「宗教法人」に課税せよ!(文中敬称略)
週刊新潮2010年6月3日号
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