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東日本大災害から間もなく一年経過しようとするが、いまだに瓦礫の受け入れ先を巡ってもめているようだ。復興計画にもよるが、瓦礫を他所へ移してなくすよりも、被災地のしかるべき土地に避難場所として大きな穴を掘ってそこへ埋め、掘った土地を盛り上げて瓦礫を隠して大きな海抜30メートル前後の丘を造れば良い。
しかし分別しない瓦礫を埋めるのだから、穴の中に材木やコンクリート片や鉄骨が入り混じり、国の産廃基準からすると到底認められないだろう。が、その丘を植林して「災害記念の丘」として地域の人々の記憶に久かな災害の記憶をとどめる場所とし、なおかつ津波がきたときの避難場所にすれば良いだろう。
遠隔地へ運ぶ費用を考えれば、埋設処理の方が安く上がるのは明らかだし、何よりも地元ですべて処分した方が地元にお金が落ちるだろう。それが地域経済の牽引力にもつながるし、災害のモニュメントが100年後か200年後に再び津波に襲われた時に避難場所になれば良いだろう。
宮城県知事が災害復興予算として要求していた金額の半分ほどしか復興庁に認められなかったと憤慨していた。知事が東京霞ヶ関へ出向いて折衝しなければ予算獲得できないとは、この国の官僚たちは手にした「補助金行政」のスタイルを未曽有の災害復旧に際しても適用しようとしているとは呆れかえる。
なぜ復興庁を造ったのなら本庁を被災地の出先機関へ移さないのだろうか。国交省は無用の「国道維持事務所」を各地に持っているではないか。そこにでも間借りして現地で復興に取り組むのが筋で、官僚たちが東京と往復すれば良いだろう。一体どっちが災害復興の主役で、どっちが復興の「お手伝い」なのか、主客転倒した発想ではないだろうか。そもそも現地を見ずして、東京の霞ヶ関からどのような「査定」が出来るというのだろうか。
余りに遅く余りに少ない国の復興予算には怒りすら覚えるし、特区構想の実施も遅すぎる。すでに被災地の企業の一割以上が「廃業」を決め、多くの企業も縮小撤退せざるを得ない状況に追い込まれている。職場がなければ人は地域を離れるしかなく、地域の復興は出来ない。何よりも企業支援が必要なのは言うまでもないが、国は大企業の放漫経営には国費を投じるが中小零細企業には氷のように冷たい。なぜなら支援したところで天下りという見返りがないため、官僚たちは他人事の対応になってしまうのだ。
国家とは国民のために存在する。国家が存在して国民があるのではない。国民がいて、国家があるのだ。官僚たちの本末転倒した発想には「思い上がり」と自分たちの「利権擁護」しか見えてこない。本来の「国民の下僕」たる官僚の発想はどうしたのだろうか。大手マスコミも官僚たちを甘やかして来た。評論家諸氏も官僚たちにおもねてゴマをすって来た。その結果が現在の「官僚国家」だ。決して国民の望む国家ではなく、国民に顔を向けた国家でないのは明らかだ。その実証が東日本の被災地にある。
http://km2295.iza.ne.jp/blog/entry/2618622/
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