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大義なき「国家の計」が生み出している国策捜査
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2012年3月 3日 神州の泉
(画像はパロディスト、マッド・アマノ氏の作品)
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佐藤優氏の「国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて」を参照すれば、国策捜査が発生する要因とは、まず大雑把にアプリオリに言えば、国家の自己保存本能の固守がある。その典型的な事例は、明治43年に起きた「大逆事件」がある。明治政府は、幸徳秋水らをはじめとする全国の社会主義者や無政府主義者らを根絶しようともくろみ、明治天皇暗殺といった「一大陰謀事件」を捏造した。国が動いたでっちあげ事件の典型的な前例である。罪状は「大逆罪」で、大日本帝国憲法の刑法第73条「天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子又は皇太孫二対シ危害ヲ加へ又ハ加ヘントシタル者ハ死刑二処ス」が適用された。
この有名な事件については改めて説明を要しないが、国家の自己保存本能が発動するとき、権力組織は国策や国体に背く思想を持つ個人や団体に対し、猛悪な暴力装置に変貌することを示す事件である。時代が変遷しても、この基本形はいまだに存在する。植草事件も大枠ではこの形を踏襲しているが、この事件は反体制運動への言論弾圧ではなく、国政として祭り上げた基本経済政策を一経済学者が正当な批判をしたために引き起こされたものである。この場合、国家の自己保存本能を固守するために経済学者の植草一秀氏が狙われたということよりも、小泉政権という対米隷属色に特化した売国政権の自己保存欲求のために、良心的な学者が毒牙に掛けられたと言った方がより適切であろう。ただし、言論弾圧事件としては、大逆事件とまったく同じ位相を持っている。
国策捜査のターゲットにされるのは、それぞれの斯界で傑出して影響力の強い優秀な人物たちである。時の政権が策定した国策に対し、真っ向から反旗を翻す優秀な知識人は、その知的影響力が国民世論に伝播しないよう、スキャンダルによってその人間性を疑問視させる汚名事件を捏造し、その人物の社会的名誉や信用性を地に堕とす。これがカレル・ヴァン・ウォルフレン氏が、その著書『誰が小沢一郎を殺すのか? 画策者なき陰謀』(角川書店)で定義づけた人物破壊(Character Assassination)である。国策捜査の具体的方法は、ターゲットとした人物の殺人から、殺人までには至らないが、その人物の不名誉事件の創出まで多岐に渡る。
植草事件も、週刊東洋経済の編集長である三上直行氏も、この場合、本人に汚名をかぶせて人物破壊を起こし、社会的名誉の剥奪を狙った国策捜査と言える。この文脈で言うなら、小泉俊明議員の議員会館における政治資金パーティ問題も明らかに国策報道が行われたと見る。三上編集長率いる週刊東洋経済は過去一年に限っても、国策としての原子力行政の在り方から東京電力の体質を痛烈に批判していたし、小泉俊明議員は小泉・竹中構造改革路線の悪政の本質をずばっと糾弾していたことが、この国を率いるリヴァイアサン(旧約聖書ヨブ記に出てくる幻獣)の逆鱗を招いている。
経済学者の植草一秀氏の場合は、本ブログでも何度も言及してきたが、小泉政権以降の国政批判と、財務省の巨悪に対して十数年も前から堂々と対峙し続けているという、余人の追従を許さない迫力で国政の御意見番を通している。腐った官僚や政治家に対して、まったく妥協の余地のない国政批判を踏襲し続けている植草氏は、対米隷属既得権益複合体(リヴァイアサン)にとっては、いまだに度し難い知識人の筆頭株だろう。この人が財務大臣をやれば、間違いなくシロアリ帝国は崩壊し官僚機構は刷新され、国民の血税は安心して各省庁に分配され、その結果、日本社会の福祉やインフラ路線は健全に進捗することになる。
鈴木宗男氏についても、国政の要職に就いて欲しい重要な人物である。つまり、今までに日本のリヴァイアサンや最高裁事務総局から睨まれて、国策捜査、国策裁判、国策報道などを行われ、不当な弾圧を受けた有識者たちを国政の重要ポジションに就けて、その能力を思う存分発揮してもらえれば、ここまで衰微凋落した日本社会を刷新することは不可能ではない。腐った日本のリヴァイアサン(対米隷属既得権益複合体)がとことん嫌った有識者たちこそ、日本の再生を担う真の原動力なのだ。要は今までマスメディアに騙され続けてきた国民の意識が眠りから覚めることである。
小泉政権以降続いている政治的事象は、リヴァイアサンが敷いた国政に疑問符を呈し、それを糾弾した知識人たちが、象徴的な事件に無理やり巻き込まれ、社会的な血祭りに供され続けていることである。これが国民益、国益にとってどれほど莫大な損害を生み続けているか、国民は目覚めたほうがいい。国策捜査は、官憲はもちろんのこと、今では小沢裁判の経緯を通じて最高裁事務総局が関与しているのではないかという疑念がネットを中心に澎湃(ほうはい)と湧き上がってきている。もうすでにネット国民は、官憲や司法が絶対的な無謬性を持つ聖域に属しているという見方からは離れつつある。権力の腐食構造を助長した一つの原因でもある最高裁事務総局の黒い性格が見え始めている。
国策捜査は非常に悪質である。他の知識人たちは、人身御供にされたその知識人を見て、言論表現上の萎縮を起こし、『明日は我が身か』ということになり舌鋒や筆鋒が鈍ることになる。これは狙った本人を封じるとともに、志を等しくする他の知識人たちに恫喝を与えるという、言わば一挙両得の有効な言論統制である。その意味で植草事件は、権力による典型的な捏造である。マスメディアが彼らリヴァイアサンの走狗となって、国民の正常な世論作りを妨害し、国政に民意が反映しない慣習を築いてしまっている今、それに気づいたネット国民から刷新的な政治ムーブメントを起こすことは歴史の必然である。
神州の泉は、戦後民主主義はアメリカが強制的に付与したものであり、根幹的なところで日本人の本来の性格を逸脱した形骸性を持っていると考えている。アメリカに見習い、アメリカに追従しようとした戦後67年間は、日本本来の歴史的正統性(Legitimacy)に根付いた民主主義ではない。GHQ製憲法である日本国憲法第21条の「集会の自由、結社の自由、言論の自由、出版(報道)の自由」は、それでも死守すべき条文であると神州の泉は思うが、この条文でさえも、米国の批判を一切許さないという強力な桎梏の前提条件に存在している。つまり、『閉ざされた言語空間』内で作動している憲法第21条は、最高裁事務総局の黒い権力によって捻じ曲げられており、その出力として、有意の良心的知識人たちが次々と国策捜査の罠に嵌められているのである。
神州の泉は、小沢裁判の経過、そしてその帰趨を現在進行形で強く左右しているものは、ネット言論だと思っている。ネット言論の炎はすでに燎原の火となり、燃え広がっている。国策捜査は言論弾圧であり、これと対を為して今、人権擁護法案(人権救済機関設置法案)という美名の言論大弾圧法案が生まれようとしている。これがネットの政治言論を封じる主目的を持っていることは疑いようのないことである。大いに警戒を要することである。
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