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行政改革を「官僚主導」で進めた日本、「民間主導」で進めたオーストラリアの違い
私は1994年にオーストラリア政府の招きで訪豪し、行政改革について多くのことを学んだ。
私の学生時代に発足した、池田勇人内閣の「行政改革調査会」(佐藤喜一郎会長)以来、行政改革に関する政府の諮問機関は、途絶えた期間は短く、形を変えながら次々と設置されて答申をまとめて発表してきた。だが、答申内容とそれを受けての実績の落差はあまりにも大きかった。佐藤調査会の分厚い答申に対しても、実績は「一省一局削減」と「総定員法の制定」くらいなもの。どうしてそうなったのか。答ははっきりしている。わが国では行政改革や官僚改革まで官僚主導で進められてきたからだ。
オーストラリアでは、80年代に、大がかりな行政改革に取り組み、機構改革、行政の簡素化、政治主導体制などで大きな成果を挙げていた。だから私は視察の大半の日程を、行政改革を断行した民間人との面談に割いた。オーストラリアは、エリザベス女王を戴いた日本とよく似た議院内閣制をとり、日本と共通の制度上の問題を抱えていた。
ところが、何組かの人たちと会談した際、1つの事実によって決まってこちらの本気が疑われてしまった。それは、「日本では行政改革も官僚が主導するそうだが、それで行政改革ができるはずがない」ということである。彼らの一言一言は、私が以前から感じていたことを確認させるものだった。「われわれは行政改革に関する官僚の陳情を一切受けなかったし、彼らからの電話にも出なかった」
オーストラリアでは、民間主導の行政改革が徹底していたのである。会うのは、官僚から説明を聞く必要があるときだけだったという。その後、私は行革委員会の事務局長に官僚を当てるという不見識な人事に強硬に反対した。新党さきがけの同志たちも同調し、2人の閣僚(武村正義氏と出井正一氏)の辞任も覚悟で臨んだのである。官僚が行政改革を主導するのは、被告が判決文を書くようなもの。受験生が答案の採点までするに等しい。患者がメスを握って手術するのと同じ。挙句は、まな板のコイが包丁を握るようなものと強烈に批判した。
今回も官僚主導の「行政構造改革会議」なら行政は簡素化どころか肥大化する
現在、野田佳彦政権は、作成が進められている「行政構造改革実行法案」に「行政構造改革会議」の新設を盛り込むと言われている。これは、国鉄など3公社の民営化を提言した「土光臨調」(第2次臨時行政調査会)をモデルにするという。しかし、これも野田政権では官僚主導にならざるを得ないだろう。そして、多くの提言の中から、制度の新設や権限の拡大の箇所のみがつまみ食いされて終わるのが目に見えている。行政の簡素化どころか行政の肥大化さえもたらすことになる。
私は、97年の消費税率アップ前にも、徹底したムダ使いの排除を主張した。当時閣内にあって閣議でもそれを強く主張してその後の行政改革会議の設置を促した。だが、行政改革会議の設置前に私は落選の憂き目に遭って現場を離れてしまった。行政改革会議は、その後省庁の再編などの機構改革に矯小化され、またもや行政の焼け太りを招くに至った。
官庁や独立行政法人の統廃合のほとんどは行政の簡素化を偽装するもの。人員や経費が劇的に減らなければ何の意味もない。今回の「行政構造改革会議」も官僚主導であれば、96年と同じ運命にある。会議そのものが大きなムダになってしまうのだ。だから、行政改革はどうしても消費税増税に先行させなければならない。
行革をしないで増税することは、ガソリン漏れの激しい中古車に給油するのと同じ。給油してから修理すると言っても誰が信用するのか。ムダはますます大きくなるのではないか。
もしも、野田政権に誠意があれば、徹底した行政改革を先行させるのは当然のこと。消費税増税法案の提出は後回しにすべきなのである。
http://diamond.jp/articles/-/16370
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