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【巻頭言】富を欲せんよりは、貧を招かざれ
本誌主幹 南丘喜八郎
江戸から千住の宿を経て、奥羽街道を北へ約七五〇キロ、青森県八戸は江戸時代二万石の小さな城下町だった。八戸一帯は火山灰地で稲作には適さず、水田は僅かで、焼畑で粟や稗などの雑穀を栽培していた。
しかし、夏でも山背と呼ばれる冷たい北東の風が吹き、飢饉の常襲地帯だった。元禄年間に、味噌・醤油の原料として大豆を大量に作付けしたが、畑を荒らす猪が異常繁殖し、作物を食い尽くす「猪飢饉」が頻発した。
寛延二年(一七四九)の猪飢饉の際には、餓死者は三千人に達したと伝えられる。八戸藩では凶年には救済米を他領から移入すれば、値が下がるとして、米の移入を厳重に制限した。飢餓死は紛れもなく「人災」だったのだ。
飢饉が頻発し、餓死者が相次いでいた頃、八戸城下に町医者として住んでいたのが、封建制度を徹底して批判した男、安藤昌益である。昌益は武士階級を罵倒し、大商人は士農工の三つの階級の全てから搾取していると鋭く批判する。農耕と農民こそが最も尊い存在であり、身分制度をなくし、支配や搾取のない社会・ユートピアを作るべきだ、と主張する。この思想を説いたのが、畢生の大著『自然真営道』である。
昌益は人が差別されている現実社会を「法世」、それと対比される理想社会を「自然世」と規定した。
「自然世」とは全ての人が自然の理法のままに農耕に従事し、自給自足の生活ができる平等社会である、としている。農業従事者以外を「不耕貪食の徒」と呼び、農の生産物を搾取し貪り食っていると厳しく糾弾した。
「士は忠に似せて上に諂い下を刑し、賄を貪る者多く、忠を正し下を慈む者寡く、農は農にして農なり。商は農業の如くに風雨を厭わず働力を為すことを嫌ひ身を倦まずして形を労せずして渡世を為さんことを欲し、偽巧令色眉諂虚語を為して上下に諂ひ同輩互に父子兄弟を誑し、而も士農工商の三民より倍して多く成る」(『自然真営道』)
弟子は次のような昌益の言葉を記録している。「富を欲せんよりは、貧を招かざれ」
昌益の思想は八戸を離れては生まれなかったに違いない。司馬遼太郎は「昌益をして日本における唯一の独創的思想家に仕立てあげたのは、八戸の土地そのものであったろう」と書いている。
我が国では空前とも言える安藤昌益の先駆的かつ革命的な思想は、長い間忘れられてきた。しかし、辺境の地で没した昌益は百三十年余り後、碩学狩野亨吉の手で甦ることになる。
明治三十二年、第一高等学校校長の狩野亨吉は手書きの『自然真営道』全九十三冊を手に入れた。狩野は帝国大学で哲学を専攻し、夏目漱石とも親しく、『三四郎』に登場する超俗的な高等学校教授である広田先生のモデルになった。「明治の知性」を代表する人物である。
この『自然真営道』は、東京千住の米屋で門外不出の書物として、代々大切に伝えられたが、明治に入って古物商に売られ、その後、幾人かの手を経て、狩野の手に届いたのだ。
狩野は『自然真営道』を一読、驚愕した。昌益は釈迦をはじめ孔子、孟子、徳川家康に至るまで徹底的な批判を加え、反封建思想で貫かれていたのだ。
昌益の思想に魅入られた狩野は、京都帝大学長の職を辞して同書の研究に打ち込み、安藤昌益こそ「日本が世界に誇りうる唯一の独創的思想家」と断言した。同書は狩野の手に渡ってから二十四年後の大正十二年、吉野作造の斡旋で東京帝国大学図書館に移管されたが、この年の九月、関東大震災で図書館は炎上、『自然真営道』九十三冊全てが焼失してしまった。偶々、歴史家の三上参次が十二冊を借り出しており、奇跡的に焼け残った。しかも昌益の思想の骨格を成す最重要部分だったことが幸いした。
昨年三月の東日本大震災は東北地方に甚大かつ深刻な被害をもたらした。八戸も地震と巨大津波によって漁港を中心に大きな被害を蒙った。東北地方はかつて「白河以北一山百文」と呼ばれ、陽の当たらぬ日陰の存在として、今日まで呻吟し続けた。だが安藤昌益に代表されるように実に先駆的な思想家を輩出してきたことを、私たちは改めて銘記せねばならぬ。風雪の厳しさに耐え、苛政に虐げられる中で、人物は育まれる。
東北こそ我が日本国再生の鍵を握っているのだ。
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