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2012年2月26日 (日)
映画「ゼイリブ」と小泉政権以降の日本 1988年と言えば、今から24年も前のことだが、アメリカのジョン・カーペンターという鬼才の監督が「ゼイリブ(THEY LIVE)」というSFアクション映画をリリースした。簡略にこの映画のあらすじを述べると、定住場所を持たないその日暮らしのロディ・パイパー(主人公)はやっと建設現場の日雇い仕事を見つける。そこで知り合った仕事仲間のキース・ディビッドは無宿者のパイパーを、ホームレスたちを支援するキリスト教系のコミューンに紹介する。 夜露をしのぐために一時的に暮らすことになるそのコミューンで見たテレビには、時々電波ジャックによって奇妙な放送が流れていた。「彼らは我々を洗脳している。この社会は彼らの作ったニセモノだ。彼らは我々を支配しようとしている」。海賊放送局はある小さな教会だった。興味を押さえきれなくなったパイパーは、その教会に侵入したが、教会は武装警官たちに襲撃される。逃げ出したパイパーはその後、無人の教会に忍び込み、壁の中に仕舞われていた多くの特殊サングラスを見つける。 このサングラスを透して見た街の様子は驚愕するほどに一変していた。街にある商業用の看板類には、見慣れた商業宣伝文とは違って、「OBEY 服従しろ」「考えるな」、「消費しろ」、「結婚して子供を生め」、「政府には逆らうな」、「テレビを見ろ」、「眠っていろ」という命令形のメッセージがくっきりと書かれていた。サングラスはこれだけではなく、街に行き交う大半以上の人間が、骸骨のような顔をした異様な者たち(異形の者たち)であることをくっきりと映し出していた。この地球上に人間に偽装して紛れ込み、支配者層まで牛耳ってしまった宇宙人たちの姿であった。人間の意識を操る電磁波のような科学技術は街中に張り巡らされ、そのことが分からないように人間集団の識域下(サブリミナル)に、隷属するように常に働きかけていた。 この時、パイパーは、人間が彼らによってサブリミナルに干渉され、購買意欲をそそられ、支配層に反感を抱いたり疑ったりしないように、絶対服従を強いられていること、それが四六時中無意識の面で洗脳されていることを知った。真実を知って怒ったパイパーは、この事実を全ての人々に伝える決意をする。 この映画はSF風味のストーリー展開の中で、爆破シーン、アクションシーンがふんだんに盛り込まれ、他のハリウッド映画と同様に視覚的な娯楽性に満ちているが、カーペンター監督の真意はまったく別のところにあるとしか思えない。神州の泉はこの作品が大好きで、今まで何度も見たが飽きることがない。それはこの映画がある種の真実性に基づき、迫真に満ちているからである。また作品中を一貫して流れる通奏低音のような重々しい音楽もジョン・カーペンター自身の手作りであり、この映画の持つ深刻な本質を際立たせている。最初に見たときは単なるB級ホラーSF映画だと思っていたが、実は非常に生々しいリアリティに取り込まれて強く意識の底に引っ掛かる映画だった。この生々しさが何に由来していたかを、はっきりと知ることができたのは、この十年くらいの間だった。 この映画は、B級SF映画の体裁を取ってはいるが、その内実はアルビン・トフラー級の高度な文明批評となっている。このカーペンター監督自体が筋金入りの体制批判派であり、アメリカ型資本主義に対する痛烈な糾弾としてこの作品を世に出したとしか思えない。主人公の属性を底辺層根無し草の日雇い労働者として設定し、徹底的にその視点から描いていることで、この作品がアメリカ型金融資本主義に対し、強い怒りを以て挑みかかっていることが分かる。実に勇気ある監督さんである。おそらくマイケル・ムーア監督も強くこの作品に影響を受けている。 日本人の想像をはるかに超えたことだが、アメリカ合衆国においてユダヤ金融資本の批判を行うことは御法度(ごはっと)中の御法度(古臭い表現で申し訳ないが、今の表現で言えばタブー中のタブーという意味)となっていて、それを敢えてやることは直接命の危険にまで及ぶことなのである。日本ではマルコポーロ廃刊事件がわずかにそのことを物語っている。アメリカ由来の「閉ざされた言語空間」は日本が抱える問題の枢要を占めるが、実はそのアメリカでさえも、欧米型の「閉ざされた言語空間」が不文律のように屹立していて、ウォールストリートと軍産複合体を支配するユダヤ金融資本(奥の院)の批判はいっさい行えないようになっている。その視点から「ゼイリブ」を投射した場合、カーペンター監督がいかに勇気のある人物であるかが見えてくる。 この作品は宇宙人が人間社会にこっそり紛れ込んでいて、人間の意識を眠りに導き、せっせと生産と消費だけに専念する奴隷に追い込み、支配層がそこから富を搾取するシステムの恒久的温存を堅持する世の中を描いているが、この宇宙人を「ユダヤ金融資本家」と、それに隷従する人間たちと置き換えれば、この映画が何を糾弾しているか、一目瞭然であろう。神州の泉は、小泉竹中構造改革路線が生み出したあまりにもひどい政治出力を見て、それがこの映画とシンクロしていることを10年くらいに前に痛感した。シカゴ大学経済学派が創設し、ワシントン・コンセンサスが世界に放ったグローバリスムは、新自由主義の非人間的な荒廃を世界中にもたらしている。超格差社会現出の大弊害は、その国固有の伝統文化まで破壊し尽くしている。 今から四半世紀も前に今日の欲望金融資本主義の猛威を、その発信国であるアメリカで見通し、映画という手法で警告を発していたジョン・カーペンターという監督は傑出的な文明批評家である。「ゼイリブ」と小泉政権以降の日本を見比べてみれば、この映画が今日の日本を余すこところなく表していることが分かるだろう。映画の中ではマスコミも警察も、彼ら(They)の支配下に置かれている。これなども現下日本のマスコミ、警察、検察、裁判所がアメリカ隷従既得権益複合体の支配下にある現状と完全にシンクロしているではないか。現代文明は金融資本家たちが、欲望資本主義を加速化させ、人類や自然環境を後戻りできない終末的な極相に遷移(せんい)させつつある。これを映像的に視覚化したことに「ゼイリブ」の真価がある。その意味でこの映画は歴史的な傑作と言えるだろう。 2012年2月26日 (日)
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