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大局的にみる政局 行き先が違うバスでも、ターミナルでは隣同士
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2012年02月26日 世相を斬る あいば達也
野田佳彦の大袈裟な表現方法を借りると、本日の見出しのようになる。政局ではなく、今は大局を俯瞰的に観察すべき時と云う事だと思う。何やら、ギリシャ国債問題も踊り場を乗り越えたわけだが、未だ根本的問題は解決していない。米国経済も、好感を持つ統計数字に浮かれ気味でダウも堅調だが、大統領選を控えた年の米国経済は、統計数字が常に怪しい事を念頭に置くべきだ。日本経済も、日銀白川総裁の1%インタゲ以来、経済指標は好感をもたれ、株価も堅調に推移している。対ドル円も81円と円安に振れている。
しかし、このような現象は一時の政策や統計数字による振れであって、世界の経済全体への観察とは言えない。ファンドマネージャーやアナリストの予測は、あくまで数日、数週間から数カ月の期間に限定されている。残念であるが、先進諸国の資本主義経済は、金融資本主義に行き着いた時点が頂点で、下方圧力の方が強くなるわけで、その急激な低下を如何に食い止めるかが、国際金融機関や各国中央銀行の役目になっている事は、現状を観察すれば十二分に理解できる。将来資本主義に替わる経済体制が出来ると云うより、当面は先進各国の資本主義は停滞し、後進国経済が一定の成長を迎えるまで、モラトリアム状態に据え置かれるのだと思われる。
上述のような大きな括りで世界経済を観察すると、ため息が出るほど元気がなくなるわけだ。多くの人間は、オマエの成長余力は残されていない、と宣告されるのは不快である。一定の知的水準に達している人が、三段論法方式で日本の経済成長があるかないか?考えてみれば、即刻判る話である。勿論、それを認めたくないとか、それを何とかして成長の方向に等と考えるものだが、多くは無駄な足掻きと化す。所詮、今の日本はそのような国家基盤の上に乗っているのだから、抗いようはない。累積赤字で債務超過に陥った企業が、何とかしようと云う努力の結果、債務総額が1億から30億になるようなものである。
それでは、国が滅びるではないか!と云う指摘がある。だから増税なのだろう?野田や財務省が言っている事は正しいとなる。たしかに、或る意味で正しい。ただ、現在の国家予算の枠組みを変えずに、増税に頼り財政再建をするとか、そう云う事は物理的に不可能なのである。おそらく、どのような機関の試算でも、消費税にだけ増税を集中させれば、30%と云う数字は簡単に出てくる。勿論、消費税を30%にしたら、経済パニックが起き、税収が消費税のみになり、さらなる増税を余儀なくされるだろう。つまり、あらゆる支出を収縮させないと、財政の均衡は保てないのである。
そこで、市場原理主義が顔を出す。だから、GDPを成長させる事で、財政赤字の対GDP比を下げるのが賢明だと。たしかにこちらにも一理ある。なにせここ15年、凸凹はあるが経済成長はゼロ乃至マイナスな国は日本くらいのものである。自由化、自由化すれば、民の活性化が起き、市場は勝手にデカクなると云うのだが、これも眉唾だろう。どれ程規制だらけで窮屈だとしても、激しいニーズが存在するなら、それなりの成長傾向は出てくるわけで、その兆しもない日本に成長余力が大幅に残っていると云うのは幻想だ。
実はどちらも正しいけど、どちらを選択しても結果は駄目なのである。日本国内の市場規模を大きくするとか、土台無理な話なのだ。同じパイの中で、鶏が先卵が先の話で、堂々巡りである。原則的だが、日本においては、人間の生命を維持する最低限の基礎は出来あがっている。後は便利度、不便度。健康で長生きとか笑って愉しくとか、自分らしくとか云うもので、正直人間の生命維持においては付属的領域に入っている。つまり、生命の維持から、個人の生活の質と云う領域にまで、国家が介入している、お節介を焼いている、焼かせている部分も多々あるのだ。
そこで面倒になれば、ベーシックインカム的発想も生まれ、これこれしかじか渡すから、後は自力で何とかせよと云う考えも生まれてくる。国内が駄目なのだから、国外の市場に打って出るのが筋だろう、と云う主張も生まれる。しかしだよ、いずこも自国の製品やサービスを他国に売りたがっている世界の情勢で、軍事的背景を持たない日本が、土足で他人の家に入りこむことは許されない。当然、TPPのように、海外市場を狙った故の協約が、自国の市場を外国に奪われるだけのような、アベコベな方向に進む事になる。
ここは大人として、腹を括る事が肝心だ。日本国家は当面成長しない。人口構成が円柱形になるまで、“欲しがりません、円柱形になるまで”と云う成熟の悟りが必要なのである。幸か不幸か、65歳以上が3人に1人時代が到来するではないか。その時代から、円柱人口構成になるまで、慎ましく生きる術を考えるのが、本来である。現在の若者の方が余程、慎ましく生きる術を知っている。困ったことに、生まれてから多くの時間、成長だけを見て育った人口層が老人になる。
ここが考えの切り替わらない部分なのだが、経済的人間から、哲学的悟りの人間になる、このパラダイムシフトが国民に生まれる事が、とても重要になる。その為には、国家の統治システムが、先ずパラダイムシフトするのが先決だ。小沢が主張しているのもこの事だ。国民に求める前に、国家が見本を示すことが必須だ。野田の過ちは此処に集約されている。象徴的な政策が、中央集権から地方主権なのである。おそらく、この部分で中抜きの15%は歳出が削減できる。“廃県置藩”の身近な統治機構が地産地消経済や地域独自の社会保障制度などを模索する。この流れが、日本人に欠けている自治の精神を根付かせる。
しかし、このような政治的パラダイムシフトを起こす為には、その政権が本当に国民目線で政治をしていると認知される必要がある。つまり、国民からの信頼なき政権は毒でしかない。おそらく、このような政権が生まれた時には、900兆円の財政赤字を、特別会計、一般会計の統合と整理。又独立法人の貸付金などの整理統合改廃を行えば、500兆程度に圧縮が可能である。勿論、その後も社会保障や年金をそのままにしておけば、4〜5千億円の歳出増があるので、その縮小は必須だろうが、地方主権が順調に動けば、年五兆円程度の赤字国債が出ても持ちこたえる。その内、円柱形人口構成が生まれてくるだろう。
それをするのが、どの政党なのか?それが政局なのである。現在の民主党Bではなさそうだ。増税談合解散を企てる自民党でもなさそうだ。小沢鳩山新党だけで、過半数を握れる事もなさそうだ。橋下や渡辺が何処まで台頭するか。隷米・親米は当面モラトリアムだろう。TPPも交渉が長引きモラトリアムだ。そうなると、政治理念は別にして、“中央集権から地方主権、予算の大幅組み替え”と云うワン・アジェンダの糾合が最もリアリティーがある。その政権がアジェンダ政策を進めると、民主党Bと自民党が雪崩現象を惹き起こす。こういう形で、本格的政界再編は起きるかもしれない。上記のパラダイムシフトが行われないと、財務省主導で消費税30%の話は嘘ではなくなる。
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