http://www.asyura2.com/12/senkyo126/msg/682.html
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■[情報の評価]電力自由化の流れを無視する高級官僚の横暴と政治・メディアの無責任で<脱原発のドイツ>になりそこねた日本の深層
<注記>御手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20120223
[f:id:toxandoria:20120223221550j:image:right]
Lara Fabian - Il ne manquait que toi(Only I missed You)
[http://www.youtube.com/watch?v=WC-5L6GBBeM:movie]
●新自由主義改革(というよりも、本来あるべき自由主義再生へ)の流れは、詳細は省くがその全てが悪徳という訳ではない(<注>当論点の詳細は下記◆を参照乞う)。むしろあの小泉構造改革が悪徳かつ悪辣であったのは「財務省を頂点とする政官司財労学による交尾野合型の実効支配構造=実質的に高級官僚が支配する伝統日本型国家社会主義体制」を保全するため、本来必要である自由化分野へ巧みにブレーキをかけたことだ。
◆2009-12-19・toxandoriaの日記/北欧型福祉社会と米国型市場原理の共通起源、「制度経済学派&リアリズム法学」についての試論(日本は何処へ向かうべきか?)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20091219
●そして、その典型が2001年以降に本格化するかに見えつつも、結局は小泉純一郎(内閣)がその完全自由化への動きを計略的に止めてしまったと見なすべきわが国における非常に特異な「電力自由化の問題」である。このため、実は、一旦は自由化に備えるため<本格リストラ等の対策>へと身構えたかに見えた電力会社がホッと安堵してしまったという経緯があるようだ。
●そして、この<電力自由化への圧力>と<既存の電力会社による既得権益保守と原発推進路線>を巧み(政治的or偽装的?)に上手く調和させる役割を担ってきたのが、2001年1月(小泉内閣が発足する直前の第二次森内閣のとき)に発足した原子力安全・保安院である。ともかくも、<電力会社がホッと安堵した>とされる、我が国の<中途半端な電力自由化>に関わる法整備の流れは下のとおりである(出典・電事連『電力自由化の経緯』、
http://www.fepc.or.jp/present/jiyuuka/keii/index.html)。
1995年(平成7年)電気事業法改正(1995年12月施行)
1999年(平成11年)電気事業法改正(2000年3月施行)
2003年(平成15年)電気事業法改正(2004年一部施行、2005年4月施行)
●もっとも、この流れには非常に重要な前史がある。それは、日本の真の実効権力たる「官産メディア(官産報)複合体」(財務省を頂点とする政官司財労学による交尾野合型の実効支配構造へ、その広報機関化した主要メディアを加えた概念)から威圧された第二次海部内閣が、1990年代以降に世界的な流れとなった規制緩和の進展の中で、超危険とされた<核燃料サイクル計画と裏腹の関係にあるプルサーマル実施計画>を織込む「原子力委員会核燃料リサイクル専門部会報告(下記★)」を1991年8月2日にアッサリ認めてしまったことだ。
★核燃料リサイクル専門部会報告書「我が国における核燃料リサイクルについて」1991年8月2日/原子力委員会核燃料リサイクル専門部会、← 渦中の大飯原発等の再稼働問題と同じく結果ありきの<財務省を頂点とする政官司財労学による交尾野合型の実効支配構造>の典型である<原子村御製/屁理屈?>のレポート
http://www.aec.go.jp/jicst/NC/about/hakusho/wp1991/ss1010204.htm
●ところで、実はこの「電力自由化の問題」が特に強く意識され始めたとき、つまり小渕政権〜森政権〜小泉政権時代にほぼ重なる1990年代の後半以降において、電力会社等の関連でリストラ対象となると予想された事業対象には次のような分野があったとされる(出典:吉岡斉著『新版・原子力の社会史』)。
(1) 商業発電用原子炉の新増設の中止または凍結
・・・原子炉の新増設の経営リスクは極めて高く、既存原子炉のリプレース時に、原子力発電から火力発電への転換を行う方が合理的だと電力会社自身が判断していた(この問題意識は、経済学者の立場から原子力発電の非効率を厳しく指摘・批判する下記▲の著書内容に匹敵する)。また、地元対策に高額マネーと膨大な手数がかかる原発新設は止めた方がリーズナブルだと、同じく判断していた。
[f:id:toxandoria:20120223222523j:image]▲円居総一(日本大学国際関係学部教授)著『原発に頼らなくても日本は成長できる/エネルギー大転換の経済学』(ダイヤモンド社)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20111106/p1
(2) 核燃料再処理工場の建設中止または凍結
・・・核燃料サイクルのバックエンドを整備することは絶対に避けられない課題であるが、再処理路線を放棄すれば、電力業界は再処理工場の莫大な建設費・運転費を支払わずにすむのでバックエンドを大きく減額でき、巨額の追加コストの発生リスクを免れることが可能だと、電力会社自身が判断していた。
(3) 国策の大義で進めてきた諸事業の中止または凍結
・・・新型転換炉、ウラン濃縮、高速増殖炉などの開発プロジェクトは元々、科学技術庁系統の開発プロジェクトへの国策協力として進めてきたものであり、本音を漏らせば電力業界にとって、これに関する費用は交際費みたいなものだから、財務上の余裕がなくなれば切り詰めるべき性質のコストだと、電力会社自身が判断していた。
●これはまことに驚くべきことなのだが、もし電力業界がもう少し本気でこれらのリストラ策を実行に移していれば、また日本の政官学財界などがもう少し真剣にこの問題へ取り組んでさえいれば、我が国の原子力発電事業はその中核となる事業が悉く根本から見直されることとなり、同関連事業の全てが既設原発のメンテナンスと廃炉へ向けての実施計画ということになっていた可能性が高い。無論、それは核燃料のリサイクルが中止され、直接処分を前提とする核廃棄物最終処分への取り組みが逸早くこの日本で始まっていた可能性があったということだ。
[f:id:toxandoria:20120223221549j:image:right]●それは、他ならずフクシマ3.11直後に脱原発を決断したドイツよりも、かなり早い段階で(おそらく5〜10年ほども早く)日本が事実上の脱原発の方向へ踏み切っていた可能性があったということになる。無論、それでも今回の大地震を起因とするフクシマ3.11過酷事故を避けることはできなかっただろうが、少なくとも、ポスト・フクシマ3.11にもかかわらず<財務省を頂点とする政官司財労学による交尾野合型の実効支配構造>の典型である<原子村>が相変わらず原発推進のゴリ推しを続ける今のように余りにも異常な日本の姿(参照、下記▼)は回避できたはずである。
▼2012-02-22toxandoriaの日記/原子力委員会が<一次評価だけで原発再稼働を謀る篭ぬけ詐欺劇場>と化したポスト・フクシマの日本、堪え切れぬほど非人間的なその国策原発一極経済の罪の重さ、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20120222/p2
<注記>原発再稼働のための一次評価とは核燃料を溶融させぬようにするための安全対策についての評価である。対して、二次評価は核燃料が溶融した深刻な事故が起きた場合に備えた安全対策についての評価である。従って、当然、二次評価は机上の想定に過ぎぬストレステストだけで済むはずがなく、フクシマ3.11過酷原発事故の現場についての十分な検証が前提となる。
●だから、1990年代の後半以降の時代(それは、たかだか今を遡ること10数年前〜現在に続く時代)において、いったん電力業界が本気で検討した原子力発電にかかわる、これらのリストラ策の検討を押し戻してしまった直接的な契機が何処にあったかについては、<フクシマ3.11原発過酷事故の二次評価の問題>と同様に、時間をかけてでも具体的に徹底検証すべき最重要課題である。
[f:id:toxandoria:20120223222819j:image]●同時に、この問題を傍観するどころか、むしろ原発関連リストラ策の検討(より早い段階での脱原発の可能性についての電力業界内部からの自主的な芽生え)を逆に押し戻す方向へ向かって世論を煽ってきた主要マスメディアの責任は、矢張り、余りにも大きいと言わざるを得ない。なお、志村嘉一郎著『東電帝国』(著者は元朝日の記者(東電・電事連記者クラブ担当))によれば、電事連が籠絡ターゲットとして最初に狙ったのは朝日、次いで最大手の読売(初めから原子村広報紙だったから?)、最後が毎日(販売部数が小さいからどうでもよかった?)だったようだ(全てが広告費の餌に取り込まれた)。
●ともかくも、これは、マスメディアの暴走を許したのが電事連の巨額の宣伝・広告費であり、しかも、その費用の全ては総括原価方式による費用勘定(原価の一部)として我々が支払う電気料金へオンされていたということを意味している(電事連は、プロパガンダ用の広報・宣伝費と政界工作費の総計でmin3千億円(全電力会社が売上×2%を拠出するルールに従う)を現在まで蕩尽してきた/参照⇒http://t.co/g8tSOO5P)。
[f:id:toxandoria:20120222094131j:image:right]●これでは善良な日本国民が、自らを絶滅させる<超リスキーな原発事故の可能性>を買うために、せっせと真面目に身銭を支払ってきたことに等しいではないか?しかも、ポスト・フクシマ3.11の今に至っても、科学的・客観的な立場での裁定者であるべき原子力委員会の斑目委員長が<一次評価だけで原発再稼働を謀る篭ぬけ詐欺劇場>の主役の演技を真面目に演じている・・・、そして実質的に無力な野田内閣総理大臣は傍目でそれを傍観しつつ「原発一極経済型増税政策」をバカ丸出しで絶叫し続けるだけという、この日本という国は一体何なのだ!と言いたくなる。
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