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(回答先: 「法の根源に暴力がある」とベンヤミンは言い、「国家には生き残りの本能がある」と佐藤優は言う。(文藝評論家=山崎行太郎の) 投稿者 天命に遊ぶ 日時 2012 年 2 月 22 日 09:55:32)
「法の根源に暴力がある」とベンヤミンは言い、「国家には生き残りの本能がある」と佐藤優は言う。((文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ 『毒蛇山荘日記』)
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20120222/1329864469
「法の根源に暴力がある」とベンヤミンは言い、「国家には生き残りの本能がある」と佐藤優は言う。民主主義や国民主権、法治国家、三権分立、法の下の平等、罪刑法定主義・・・などの「本質」が先にあるのではない。「実存は本質に先行する」のである。つまり「現実は理念に先行する」のである。「小沢一郎裁判」の本質はここにある。国家は危機に瀕すると、「生き残り」を賭けて、批判されようと、嘲笑されようと、必死で「犯罪者」を捏造する必要に迫られることがあるのだ。小沢一郎は、有罪にする「証拠」がないから「無罪」になるのではない。証拠などなにもなくても「有罪」になることもあるのだ。小沢一郎を有罪にして政治的に抹殺しなければならないと考える人達がいる以上、小沢一郎は無罪にはなりえない。小沢一郎が有罪になるか無罪になるかは、極めて政治的・実存的な問題である。法律的な問題ではない。故に、小沢一郎裁判は、第一義的には政治的権力闘争なのである。
「小沢一郎裁判」を左右するのは日本国民大衆の動向である。国民大衆がどう動くかでこの裁判の行方は変わる。国民大衆が、マスコミや検察サイドからの一方的な情報操作を真に受け、マスコミや検察の思い通りに洗脳されていたら、どうなっていただろうか。小沢一郎バッシングは、かつて田中角栄の時と同じように、国民大衆の方から湧き起っていたはずだ。しかし、今回の「小沢一郎裁判」の場合、ネットを中心に多くの日本国民の支持があった。マスコミや検察の実体が、ネットによって次々と暴露されていった。つまり、検察審査会による小沢一郎強制起訴がいかに不当なものであり、いい加減なものであっても、国民大衆の支持かなければ、「小沢一郎有罪」のストーリーは押し切られたであろう。次のような記事が出ている。
捜査報告書、開示の意向=小沢元代表裁判で指定弁護士
時事通信 2月18日(土)2時35分配信
民主党元代表小沢一郎被告(69)の裁判で、小沢被告の起訴議決をした検察審査会に東京地検が提出した捜査資料のうち、証拠開示されていない捜査報告書などについて、検察官役の指定弁護士側が開示する意向を示したことが17日、関係者の話で分かった。
関係者によると、東京地裁が同日、指定弁護士側、弁護側と協議して開示を勧告。これを受け、指定弁護士側が開示の意向を示したという。
開示されるのは、陸山会事件の主任検事が2010年4月から5月にかけて作成した捜査報告書など。
一度は、非開示と決定したものの、開示せざるを得ないと判断したのは、おそらく国民大衆の声に押されたのであろう。
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