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日本共産党の不破哲三社会科学研究所所長の古典教室12回は最終回
となりました。今回は、「マルクス、エンゲルス以後の理論史」という題で、レーニンの業績と活動を述べ、「マルクス・レーニン主義」の名で歪んだ社会主義独裁体制を築いたスターリンとその後継者の過ちを批判しています。そして日本共産党が、ソ連の干渉や、「誤った理論」とたたかいながら自主独立路線を守り、科学的社会主義の理論を現代に生かすために努力してきたと、自画自賛の歴史と立場が語られます。
その内容については、「『レーニンと資本論』をめぐって不破哲三さんに聞く」(『赤旗』1998/9/15~23)と併せて視聴されるとさらによくわかります。
古典教室→http://www.jcp.or.jp/kk_kyousitu/
「レーニンと資本論」→http://space.geocities.jp/sazanami_tusin/
さて、今まで科学的社会主義・マルクス主義の反科学性と人間抑圧性を述べてきましたが、批判の基本は単純なものでした。マルクスが資本主義的生産様式の基本とした剰余価値説は、労働者搾取が「等価交換」によって行われているというものです。この認識の誤りは、アダム・スミス以来の西洋経済学が、商品交換成立の結果をすべて「等価」「均衡」とみなすのみならず、思考や認識の「結果」を合理的(法則的)と考える西洋的思考様式が根底にあるというものでした。
今回の不破さんの講義は、ロシア革命によって建設されたソ連が、本格的な社会主義と言えるものではなく、世界史的には「生成期(幼年期)」の社会主義で、マルクス主義とは似て非なるものだということでした。そして、不破さんたちの立場(自主独立、多数者革命論)が、今後の社会主義の未来社会論のあるべき方向をいかに正しく示しているかというものでした。
しかし、なぜ、マルクス主義の名において誤った社会主義が成立し、失敗してしまったのか、なぜ、高度に発達した資本主義が延命し、問題を露呈しながらも繁栄しているか、また、マルクス主義を理論的支柱とする共産党がいつまでも多数派を形成できないばかりか、少数派として定着しているのかが十分説明できていません。指導者が誤っていたからというのでは、自らの責任も問われるでしょう。
マルクスやエンゲルスにも誤りはあるし、レーニンも誤っていた。彼らの思想の眼目は「人間の自由な発達」であり、マルクス・エンゲルスの魂をつかんで古典を21世紀の現代に生かすことが必要だ。日本共産党は、発達した資本主義社会で社会主義を成立させるという人類の課題にとりくむ党です。と言うだけでは多数派を形成することはできません。
不破さんは優れた理論家で、マルクス主義を誰よりもよく理解し、現実の政治変革に生かそうとされていますが、マルクス主義の誤りと限界のなかでは、人類史に貢献できる未来社会論を構築することは不可能です。社会科学(経済学)の中で整合性ある説明のできない「等価交換」を、資本主義的生産様式解明の理論的前提(商品論)としたマルクス経済学と社会主義革命理論は、労働者の社会的地位の向上にとって積極的な側面もありましたが、それらを相殺して余りある多くの悲劇をもたらしています。
マルクス主義は、ロシア革命、中国革命、キューバ革命、ベトナム革命等、旧来の帝国や植民地の専制支配から解放する理論としては、革命正当化の有効性を発揮しました(開発独裁)。しかし、生産手段の社会化を厳密に行おうとした国はことごとく失敗しています。国家権力を階級支配の道具に過ぎないとする国家観は、革命後の社会においては、マルクス主義労働者党(共産党)の一党支配を必然とするのです。「人間の自由な発展」をめざす独裁政党が、革命後は人間の自由な発展を抑圧する機関となるのです。
不破さんは今一度、今日の混迷する社会主義の現状からマルクス以前に戻り、マルクス思想の根源に疑問を持ち、「人間とは何か」「人間にとって労働や生産・発展、商品とは何か」「利潤の根源とは何か」「人間の解放とは何か」等々や、『資本論』によって正しく資本主義の原則が解明されたのかどうかを、問い直す必要があるのです。「等価交換」にもとづく欧米のすべての経済学(社会科学)は、現代社会の政治経済の混迷を正しく分析し有効な処方箋を示すことはできませんでした。マルクスもまた、人間の交換関係を市場の平均化(需給・等価・均衡・発展・循環・没落)という概念で法則化してしまったのです。
不破さんは、ソ連の社会主義の失敗に対して、それはマルクス主義でも本格的な社会主義でもなかったと言われますが、その失敗がマルクス理論から生起した事実を否定することはできないでしょう。また、マルクス主義自体に、スターリンや毛沢東やチャウシェスク等の独裁者を生じさせる原因があったことを否定できないでしょう。天才的革命家レーニンがもっと長生きし、トロツキーが政権を継承しておれば、二人の知性と教養、洞察力と柔軟性によって、世界の社会主義はもっと発展していたかもしれません。しかしこれらの革命の失敗を、個人的資質や歴史的社会的未成熟のせいにしてはならないのです。
不破さんは、ソ連の崩壊がマルクス主義の未来社会論(社会主義論)の失敗だと言う人々に対して批判しています。すなわち「マルクスは、資本主義の分析では成功したが、社会主義論では失敗した」という間違った偏見は、ソ連はマルクスとは縁もゆかりもないとしてきた共産党だから批判できると自分たちの自主独立路線を正当化し、あわせてマルクス主義をも弁護します。しかし、現実には、ソ連崩壊が、マルクスの資本主義分析も社会主義論も失敗していることを示しているのです(唯物史観の想定外)。
またソ連の社会主義建設の失敗は、ロシア革命の指導者達が、ロシアと世界の革命を進展させると期待した先進国ドイツの革命が失敗したことによって、スターリンの「一国社会主義」を採用せざるを得なかったことによる、と解釈する向きもあります。しかしむしろ、ソ連の失敗を招いたマルクスの誤りは、民主主義の進展によって先進国に資本主義の「修正」(福祉国家)が起こり、また、マルクス主義共産党が多数派を形成できなくなったことで、革命が不可避なものでなくなったことでも検証できます(理論的欠陥が明らかなので今後も不可能)。
さらに、今までのマルクス批判は、ネット上でも見られますが、マルクス主義を体系的に批判したものではありませんでした。Kakasiたちの批判は、前回まで述べてきたように、科学的社会主義の基本となる剰余価値説と唯物史観の誤りを、経済学の非常識である「等価交換批判」と、認識論を革新する「生命言語理論」(ネット検索可)によって解明し、「道徳的社会主義」を提唱するものです。社会主義を持続的なものとするためには、商品交換の不等価性と人間言語の存在規定性を解明することによって、資本主義的契約関係を公正公平な制度に変革し、社会正義と道徳性を不断に追求できるしくみをつくることで可能となるのです。
不破さんは、この講義で、労働者階級の希望とされたソ連が崩壊したことが、マルクス主義の欠陥によるのではないことを説明し、諸国の独自な社会主義の未来論を追求する必要を述べています。しかし従来の社会主義論のように、生産手段の社会(共有)化によって分配的正義を実現するだけでは、計画的分配のための官僚(統制)主義は避けられません。だから、交換的正義によって社会的不公正を隠蔽する交換過程を透明化し、そこに公正と道徳を実現して初めて人間的共同体が成立するのです。
今回の古典教室で不破さんの講義は終了です。ご苦労さんでした。次回は、志位委員長の「綱領教室」2/21です。政局ばかりじゃ退屈でしょう。志位さんの未来社会論が楽しみです。
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