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司法をダメにするヒラメ裁判官
衆議院議員 石川知裕
http://gekkan-nippon.com/?p=1421
『月刊日本』11月号
司法の信頼を揺るがす「陸山会事件」判決
―― 2009年3月3日、小沢元代表の大久保元秘書逮捕(西松事件)から始まった一連のいわゆる「陸山会事件」の一審判決が出た。改めて、この事件と裁判についてお伺いしたい。
石川 この事件は政権交代直前、すなわち、麻生政権末期に発生したため、当初から、政権交代を阻止するための国策捜査ではないかとの疑惑があった。当時、小沢氏は民主党代表だったから、小沢氏をめぐる汚職疑惑を炊きつければ選挙へのダメージは必至だ。実際、自民党のある重鎮がそのような指示を出したという噂も永田町では飛び交っていた。真偽はともあれ、小沢氏の「黒い噂」というレベルではなく、検察という表の権力が無理筋で動いたのが今回の問題だ。
西松建設事件をめぐっては、その証拠認定の妥当性に議論が分かれていた。この西松事件を補完するために、次に陸山会事件が立件されたと言って良い。4億円という、原資が不明な資金がある、ならばゼネコンから貰っていた金だろう、それならば西松事件もクロだろう、という構成だ。実際、今回の判決では、水谷建設が5000万円の使途不明金を認めており、小沢氏には4億円という出所不明金がある、それならば、水谷建設の出金が小沢氏の原資の一部であろう、という推認が為された。
だがこの推認というものは極めて危険なものだ。裁判は「法と証拠に基づいて」行われるものであり、また、「疑わしきは被告人の利益に」が原則だ。状況証拠の積み重ねによる推認と言えばそれらしく聞こえるが、実際には、「小沢氏の『天の声』があった」などという週刊誌レベルのうわさ話の積み重ねにすぎず、状況証拠とは呼べないシロモノだ。大久保秘書自らが本人の公判で、「自分は張子の虎だった。強いふりをしなければならなかった。だが、『天の声』を出すような力はなかった」と述べて、『天の声』そのものを否定している。状況証拠の積み重ねを行うのならば、もっとしっかりした証拠を検察は提出しなければならず、裁判所も推認に推認を重ねるような判決を出してはいけない。それは司法の信頼そのものを揺るがすことになる。
―― 今回の裁判では、検察側の提出した証拠の多くが公判前整理手続きで証拠採用されず、また、石川氏がICレコーダーで録音していた取り調べの模様が証拠採用されたという、画期的な側面もあった。
石川 この公判前手続と判決とは、昨年の「村木裁判」に対する裁判所の態度表明だと思う。「村木裁判」では、なんとしても被告を有罪にしたい検察が焦りすぎて、証拠を捏造するという暴挙に出て、それが白日のもとにさらされた。検察の権威は地に堕ちた。検察調書の信頼性は疑わしいものとなった。
私の裁判で、検察提出証拠の多くが採用されなかったのは、こうした「村木裁判」後の、検察に対する世論の厳しい眼差しを反映したものといえる。一方、それでも推認に推認を重ねて有罪判決を出したというのは、裁判所から検察へ対するメッセージとなっている。つまり、「有罪にしようと焦る余り、無理なことをしなくてもいいんですよ。状況証拠さえあれば、裁判所が推認によってきちんと有罪にしますから、安心して下さい」ということだ。法と正義に基づいてというよりも、検察のために下された判決だ。
裁判官も人の子であり、法と正義よりも自身の出世を第一に考える裁判官も、残念ながら少なくはないと聞く。ここから、検察の言い分のみを一方的に聞いて飲み込んでおきさえすれば安全だ、上級審で判決をひっくり返されて、出世に影響が出るようなこともないと考える裁判官も出てくる。検察の方しか見ていないから、目が片方に寄る「ヒラメ裁判官」などと揶揄されることになる。
しかし、こうした状況が司法の独立、司法の信頼を損ねているのは明らかだ。「村木事件」では検察の信頼が揺らいだ。今回の判決は、司法の信頼を揺るがすものだ。(以下略)
*本稿は編集部の許可を得て投稿しています。
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